4-19 変遷
ところ時刻変わって学校では————実力テストが終わり、早く帰る学生が多い中、莉李はまだ校内に残っていた。
「ノイくん」
「成瀬、お疲れ」
「お疲れさま。ノイくんも今から?」
頷く野依に、「ご一緒してもいい?」と訊ねると、二つ返事で承諾してくれた。
莉李と野依は、生徒会室に向かって歩いていた。階段を降り、二人の教室がある校舎から渡り廊下を通り、別校舎に向かう。その足取りはとてもゆっくりとしたものだった。野依が莉李に合わせてくれているようにも見えたけれど、それにしてものんびりしすぎているように思えた。
「……俺、成瀬に謝らないといけないことあって、」
「?」
「修学旅行の時の話。自分で口止めしといて、会長にバラしちゃったんだよね」
両手を合わせ、「ごめん」と口にする野依に、莉李はぽかんとした表情で首を傾げた。
「私の方は全然。ノイくんは、大丈夫だったの?」
「それは……大丈夫だったといえば大丈夫だったんだけど」
歯切れの悪い言葉に、さらにその心境を物語るように野依の顔色がどんどん青ざめていく。「今は会長に会いたくないんだよなぁ」と独り言のように呟く野依に、紫希と何かあったのかもしれないと推測はできても、具体的には皆目検討もつかない莉李は困惑の色を見せる。
そんな莉李は、野依の顔色が悪い原因は体調が優れないせいではないかと思い至った。歩みがゆっくりなのはそのせいか。実力テストが終わったばかりで、テスト疲れを起こしているのかもしれない。何にせよ、もし具合が悪いのであれば早く帰って休んだ方がいい。事情はこっちで伝えておくよ、と口を開く前に生徒会室があるフロアにたどり着いていた。
「お疲れ」
「九条先輩、お疲れさまです」
「ん? ノイどうした? 具合でも悪いのか?」
「え、あ、いえ。体調は大丈夫です」
体調はと言った言葉に、莉李も九条も顔を見合わせ頭を傾げた。
「お、集まってるね」
不意に後ろから聞こえた明るい声に、野依が肩を竦める。驚いたにしては、それに続くいつもの軽口が聞こえない。顔色も先程にも増して悪くなっているように思えた。本当に大丈夫だろうかと心配する莉李たちを他所に、紫希が三人を生徒会室に押し込める。いつもの強引さに、九条がため息をつきながらも自席に荷物を下ろした。すでに作業を始めようとしていた他のメンバーにも席に座るよう促し、着席したことを確認すると、紫希が満面の笑みで口を開く。
「えー、今日集まってもらったのは他でもない」
「何だ、改まって。嫌な予感しかしないじゃないか。そもそも今日集まったのは、」
「やだなー、九条。俺が君たちに悪い話なんてしたことないでしょ」
九条の言葉を遮り、軽口を叩く紫希に「……ツッコむ気も起きないな」とため息混じりに九条が呟く。それに対し、「ボケてないんだけど」と返す紫希に、皆苦笑いを浮かべていた。
片付けをするために訪れたはずなのに、なぜ座らされているのか。いつもなら微笑ましい紫希と九条のやりとりも、紫希の言葉の続きを聞きたくないという気持ちが先走り、顔は引き攣る一方だ。反対に紫希の顔に浮かべられている笑みがまた、不穏な空気を醸しているようにも思えた。いい話ではないということを物語っている。
こんなことなら来るんじゃなかった、と誰しもが思っている中、そんな願いも届かず、紫希が無情の口火を切る。
「早速ですが、発表します。次期生徒会から、選出方法を変更したいと思います!」
「は?」
予期せぬ言葉に、九条が真っ先に怪訝な表情を向ける。他のメンバーも、何が何やら理解できないといった様子で、開いた口が塞がらない。
「どういうことだ?」
「だってさ、成績順なんてつまらないでしょ」
「つまるか、つまらないかは知らないが……どうやって決めるつもりだ? 今から選挙なんて無理だぞ」
「うん。だから、俺が選ぶ」
「は?」
眉間にシワを寄せ、懐疑心をさらに浮き彫りにする。紫希の案に反対はしないけれど、相談もなしに決められたことには不満を抑えることはできない。嫌味の一つでも言ってやろうと思っていた。けれど、紫希は相変わらず笑みを浮かべたまま、九条が口を開く前に先手を打つ。
「すでに顧問には話つけてるから」
「確認してもらって構わないよ」とさらっと言いのける紫希に、九条は開きかけた口を閉ざす。こういうことにつけては、用意周到なところがまた腹立たしい。もちろん、九条以外に紫希に文句を言う者も、言える者もいないため、本当にただ決定事項を聞かされているようなものだった。そうなると、気になるのは紫希が誰を選ぶのかというところだけれど……
「次期生徒会長については……それは、正規の発表日に改めてということで」
「……」
「さ、俺の話は以上。ささ、みんな片付けに取り掛かって」
終始マイペースな紫希は、周囲を気にすることなく話を終わらせると、自席周りの片付けを始めた。ほとほと呆れて言葉も出ないメンバーも、紫希に倣うわけではないけれど、本来の目的を成すまでは帰ることもできないため、各々やるべきことに着手することにした。
そんな中、いまだ腑に落ちない様子の九条は、紫希を睨みつけるように見ていた。九条の視線に気づいているだろう紫希は、九条の方をちらりとも見ようとはせず、黙々と手を動かしている。しばらくして、ずっと見ているのも馬鹿らしくなり、視線を逸らした九条の目に野依の姿が映った。野依は何やらぶつぶつと口ずさんでいるように見えた。
「ノイ?」
「俺じゃない、俺は関係ない」
作業をしながらも、心ここに在らずといった様子の野依に声をかける。声をかけられていることに気づかないのか、野依は何かを呟くばかり。
「ノイ、ノイ!」
「わ! 九条先輩、どうしたんすか?」
「ノイ、お前……知ってたのか?」
九条の問いかけに、野依は激しく首を横に振った。生徒会室に入る前から今現在までの野依の様子がおかしいことには気づいていた。紫希への応対もいつもと違っていた。とはいえ、否定する野依の態度は、嘘をついているようには見えない。おおよそ紫希に揶揄われでもしたのだろう。
怯えるような態度を取る野依に同情しつつも、九条も片付けに取り掛かった。落ち着いて話す機会を伺いながら————
「じゃあ、俺はお先に失礼するね」と、大掃除が終わるや否や、紫希は早々と部屋を出ていった。声をかける間もなく姿が見えなくなった紫希の後を追うように、九条が生徒会室を飛び出した。
「待て、国東」
すぐに追いかけたため、紫希はまだ遠くへは行っていなかった。それでも本当に急いでいるのか、九条の呼びかけに「何?」と不機嫌そうに返す。
「目的は何だ?」
「目的って?」
「お前は思いつきで周りを振り回すようなやつだが、何も考えてないわけじゃないことは知ってる」
「買い被りすぎだよ。俺は思いつきでみんなを振り回すようなやつです」
茶化すような紫希の言い方に、九条がムッとした表情を浮かべる。自分から言い出したことではあるけれど、揚げ足を取るように、揶揄うような口調で言葉にする紫希に苛立ちを隠せない。
「生徒会に入れたくないやつでもいるのか?」
鋭い目つきに、紫希は目を見開いた。————否、すぐに節目がちに目を逸らし、ため息を漏らす。
「本当、九条は変なところ鋭いよね。その鋭さを他のところでも発揮できれば、遠野も苦労しないんだろうけど」
「どうしてここでアヤが出てくるんだ? 誤魔化してるつもりか?」
「まぁ、半分半分ってところかな。顧問にも許可もらってるんだから文句ないでしょ。いいじゃん。新しい風入れていこうよ」
そう言って紫希は踵を返した。早く九条から解放されたいと気持ちが急いているように見えた。本当に急いでいるのかもしれないけれど、おそらく前者の理由が大きいだろう。ところがなぜか足を踏み出す前に、再び九条の方へと振り向いた。
「?」
振り返った紫希の目は、九条の方を見ていなかった。視線の先は、九条の後ろの方を向いているようで、九条もその先を目で追う。
「……成瀬?」
「あの、すみません。お話中に…」
「もう終わったから大丈夫だよ。莉李ちゃん、どうしたの?」
その言葉に、二人の元へとおずおずと近づいてくる。その手には紙袋を携えていた。
どちらに用があるのかわからない二人は、そんな莉李を見つめていた。見つめられる中、莉李は紫希の前で立ち止まる。
「先輩、これ。ありがとうございました」
手に持っている紙袋を前に出し、「遅くなってすみません」と口にする。何だろうかと、渡される紙袋を手にしながら中身を確認する。目に入ってきた柄には見覚えがあった。
「これ、俺のマフラー?」
「はい。ちゃんとクリーニングに出しましたので」
「わざわざ良かったのに。というか、明日でもよかったのに」
「明日だと荷物になるかと思って」
控えめに口にする莉李に、紫希は笑顔を浮かべ、もう一度「ありがとう」と口にした。
二人を眺めながら、九条が首を傾げる。
「明日は休日のはずだが?」
「あ、えと……」
「さ、莉李ちゃん。野暮なこと言う九条なんかほっといていいから。といけない。ごめんね、莉李ちゃん。俺ちょっと急いでて」
「引き止めてしまってすみません」
紫希は莉李の頭をポンと軽く撫でると、「また明日ね」と言って二人に背を向けた。
「おい、待て。俺の話は終わってないぞ」
「九条の話はまた今度聞くから! 今日は見逃して! 何かが俺を呼んでるんだ!」
早口に言うと、逃げるように駆け出した。九条の方は見向きもしなかった。
意味のわからない言葉を残して去った紫希の後ろ姿を呆気に取られたような顔で見送ると、「えーと、じゃあ私たちも戻りましょうか?」と気まずさを隠しきれない様子で莉李が口にする。上からちらりと覗くように見つめられる目に、「正気か?」と言われているようで、莉李はすぐに目を逸らした。九条は訝しげな表情のまま、それでも先程のことについて言及することもなく、足を生徒会室へと向けた。
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