4-15 喜哀

 帰宅後、紫希から早速お出かけについての連絡が入った。内容は、実力テストが来週に控えているからと、出かけるのはそれ以降にしようというものだった。紫希が、というよりも、莉李の性格を配慮してのことだろう。

 年末を避けようとすると、二人の予定が合うのは、実力テストが終わった週末しかなく、とりあえず日にちだけは決定した。


 紫希から連絡があるまで、夢でも見ているような心地がしていた。一緒に出かける約束が、全くもって現実味を帯びず、莉李は紫希から送られてきた文面を何度も見返していた。

 文章を何度、目で追っても、差出人を確認しても、やはりそれは紫希から送られてきたもので、出かける日程が決まっていく過程が残っている。そのことに、莉李は何度目かの安堵の気持ちでいっぱいになった。

 そうなると次に気になるのは行き先だ。紫希が考えてくれるとは言ってくれていたけれど、自分から言い出しておいて、何もしなくてもいいものだろうか。莉李はずっとそんなことを考えていた。不安というよりは、そわそわした様子で。












「おはよう」


「秋葉さん、おはよう」


 下駄箱で靴を履き替えているところに、秋葉から声がかけられる。下駄箱の位置は名前順に並んでいるため、少し離れたところにいる秋葉に挨拶を返すと、何やらまじまじと見つめられた。


「どうかした?」


「いや、何かいいことあったのかなと思って」


 ほとんど出会い頭の唐突な言葉に莉李は驚く。いいことがあったといえばそうとも言えるのだけれど、表に出ていることには全く気づいていなかった。莉李は思わず手を顔へと持っていく。もちろん、触れたところでわかるはずもなく、ただ冷え切っている体温に、気温の低さを教えるだけだった。


「あ、もしかして会長と仲直りしたとか?」


 まるで見てきたかのような言葉に、莉李は驚きを通り越して笑ってしまう。

 仲直りとはまた少し違うのだけれど、秋葉にも相談に乗ってもらっていたので、報告しておこうと口を開いた。


「お騒がせしましたが、無事? 解決しました。お土産ももらってくれたよ」


「お話聞いてくれて、ありがとう」と莉李が笑顔を向けると、秋葉は照れたように笑った。けれど、秋葉はすぐに笑顔を崩すと、顎に手を持っていく。彼女が考え込むときにいつもやっている仕草だ。


「となると、やっぱり作戦だったってことか……」


 教室に向かう途中、莉李が隣にいることを忘れてしまったかのように、自分の世界へとトリップしてしまった秋葉は、一人でぶつぶつと呟き始めた。何かを口にしているということはわかるのだけれど、独り言でしかないのだろう。聞き取ることはできない。

 秋葉の一人旅を邪魔しないように、莉李はただ隣を歩いていた。何の妨害もないために、一人旅は教室にたどり着く直前まで続き、階段を上りきったところで終わりを迎えたのか、急に彼女の目が莉李の方へと向いた。


「で、それだけじゃないんでしょ?」


「え」


 再び訪れた秋葉の鋭い言葉に、莉李が怯む。どのような思考回路をすれば、そこに行き着くのか。莉李には謎でしかない。莉李自分の顔にでも書いているのだろうかとさえ疑いたくなった。そんなことを想像して、思わず苦笑いが漏れる。


「実は、一緒に出かけてもらえることになって」


「え……」


 いつものように、盛り上がりを見せるかと思った莉李の予想に反して、秋葉は色をなくしたように固まった。言葉すら失ったかのように、開いた口が塞がらない。


「秋葉さん?」


「……あ、えと、ごめん。前に私が言ったこと気にしてたのかなって」


 秋葉はもう一度「ごめん」と呟いた。俯く秋葉に、莉李は首を傾げる。

 言われてみれば、確かに以前そのようなことを言われたような気もする。けれど記憶は曖昧で、秋葉に言われるまで忘れていたくらいだ。無意識のうちに気にしていたのだろうか。そして、無意識にそれをお願い事として口にしていたというのか。無意識ということが、本当のところ莉李がそれを望んでいたということに繋がるのだろうか。

 きっかけが秋葉だったとしても、それは今の莉李にとっては良い方のきっかけだと言い切ることができる。実際のところ、きっかけが何だったかは判然としないけれど、それだけは断言できた。

 莉李は静かに微笑むと、秋葉の顔を覗き込んだ。


「謝らないで、秋葉さん。むしろお礼を言いたいくらいなの」


「え? そうなの?」


 莉李の言葉に、先程まで暗い表情だった顔を一変、明るくした秋葉は顔を上げた。何とも現金だ。

 顔を上げ、莉李の顔に笑みが浮かべられていることにすっかり元気を取り戻した秋葉は、「で、どこに行くの?」と莉李に詰め寄る。あと数メートルで教室にたどり着くというのに、なかなか目的地に辿り着けずにいた。


「場所は先輩が考えてくれるって。あ、でも、私も何か考えた方がいいのかな?」


「うーん、考えてくれるって言うなら、任せていいのかも? 会長、行きたいところがあるのかもしれないし」


 秋葉の言葉に、その可能性もあるのかと、莉李は変に納得した。それでも、何か自分でも動いた方がいいような気がして、調査はしておこうと決意したのだった。







 ***







「あ!」


 帰りのHRホームルームが終わり、帰り支度をしている中、突然秋葉が声を上げた。各々が自由に話したり、教室を出たりと、多少の騒々しさがある教室内では、秋葉の声が耳に届いたのは近くにいた者くらいで。智也もその一人だった。


「どうした?」


「ちょっと、ちょっと! 対中くん!」


 二人の声が重なる。けれど、秋葉の方が圧が強く、智也の声は秋葉には届かない。

 いつにも増してすごい勢いで智也に近づいてくる。小声でも聞こえるくらいにまで距離を詰めると、周囲をキョロキョロと見回し、勢いそのままに声のトーンを抑えた秋葉が言葉を続けた。


「いいの!?」


「何が?」


 秋葉の圧にも動じない様子の智也は、いつも通りに返す。


「多分だけど、今度こそ会長本気だよ!」


 だから何がだよ、とツッコミを入れる隙をも与えないまま、秋葉の口は閉じることを知らない。


「出かけたことないって言ってたのに、『一緒に出かけてもらえることになって』って言ってたから成瀬さんから言い出したんだろうけど……それにしても今になってそんな展開になったりする? そりゃあ、成瀬さんからのお誘いをあの会長が断るとは思わないけどさ! もうそうなったら、対中くんに残された道は、もう略奪愛しかないんだよ!」


 何の説明もないままに、秋葉は好き勝手に言いたいことだけを口にした。不穏な気配を漂わせた言葉に、さすがに動揺の色を見せた智也は自然とため息が漏れる。

 莉李と紫希の名前が出たことに、二人のことを話しているということについては理解した。そうであれば尚更、これ以上、秋葉と話すことは何もない。誰にも、何も話せない。それに、今は一人、落ち着いて考えを巡らせたかった。少し離れたところで、客観的に見えるものを探していた。

 秋葉の気遣いは嬉しいとは思うけれど、今はこの場を切り抜けたかった。けれど、いまだに一人で暴走している秋葉を一瞥し、そう簡単に抜け出せる方法が思いつかない現実も智也に降りかかる。

 どうしたものかと思案していると、見慣れた人物がこちらへと近づいてきていた。その人はまさに救世主のように見えた。


「盛り上がってるとこ、悪いな」


 盛り上がっているのは秋葉だけだ、と言いたいところをグッと堪え、声の主の方へと視線を向ける。その声に、我に返ったように秋葉も振り返ると、そこには久弥の姿があった。


「対中、俺と教科担当の仕事なんだけど、借りてっていい?」


 久弥の言葉に「まだ話は終わってない」と言いたげに口を膨らませた秋葉だったけれど、さすがに都合が都合だったこともあり、不服そうに頷いた。

 智也はというと、久弥と教科担当が一緒だということも、そもそも何かの担当になった覚えはない。自分が忘れてしまっているだけだろうかと、半信半疑になりながらも、久弥に促されるまま後を追った。

「また明日な」と秋葉に告げると、手を振って返してくれた。逃げ出したいと思っていたのに、眉を下げたような秋葉の表情を見て、少しばかり罪悪感を感じた智也は、明日秋葉が落ち着いていたら、もう一度話を聞いてみようと心の中で思うのだった。





「何の教科担当だっけ?」


 教室を出てすぐ智也が久弥に訊ねた。久弥は悪びれる様子もなく、首を振る。


「あれ、嘘」


「え?」


「何か、困ってそうだったから」


「違ってたらごめん」とそこで初めて久弥が眉を下げた。その表情に、智也は目を丸くする。


「ただ、略奪愛はやめておいた方がいいぞ」


 今度は真顔で口にする久弥に、智也は声を出して笑った。それに対し、表情を崩さない久弥に、冗談なのかどうか判断できなかったけれど、彼の気遣いに救われたことに、智也は「ありがとう」と呟いた。



『略奪愛』というものに興味はないけれど、奪わせはしない。そのためには、早く方法を見つけなければ————

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