4-12 腹案
昼休み————昼食を済ませた紫希が教室に戻ると、扉付近にある人影が目に入った。扉が死角になっていて、ちらりと覗かせる髪や、制服の白くらいしか、その人物の特徴を示すものはない。
白い制服を纏っていることから、男子学生だということはかろうじて推測され、近づくにつれ聞こえる声に、誰かと話しているという状況も把握しつつあった。
声には聞き覚えがあった。二種類の声が耳に届き、その両方とも知っているものだった。自分のクラスだからといえば、全くもってその通りなのだけれど、この場合の聞き馴染みは、どうやらクラスメイトというわけでもなさそうだった。
「何で、九条がここにいるの?」
紫希の言葉に、九条がいつも彼に見せているような顔で振り返る。今までおそらく穏やかな表情であったであろうに、一瞬の間に、九条の表情が歪む。
「今日は朝から九条によく会う気がする」
「喜ぶな」
「むしろ嫌がってます」
冗談を口にしながら紫希が教室内に足を踏み入れると、遠野の顔が視界に入る。遠野は廊下側の窓際の席————自席に座っていた。なるほど、九条が話していた相手は遠野だったのか、と理解する。
「相変わらず、仲がいいね」
紫希が二人を見やると、遠野が「ゆっくんはこれを届けに来てくれたんだよ」と、手に持っていた袋を紫希に見せた。
「成瀬ちゃんからのお土産」
その言葉に、紫希が目を見開く。
「は? 何で、九条が莉李ちゃんからのお土産持ってるの? てか、俺のは?!」
「今朝、登校中に会った時にもらったんだよ」
「登校中って……俺も一緒だったよね?」
「お前と別れてすぐだ」
「そんな……俺も莉李ちゃんに会いたかった」
あからさまに落胆の色を見せる紫希に、九条と遠野は苦笑を浮かべる。
「国東の分は自分で渡せと言っておいたから、すぐ会えるんじゃないのか?」
「気を利かせてみた」と付け足す九条に、紫希はまだ拗ねているのか「それはどうも」と簡素に答える。そんな彼の態度に、眉を下げる九条だったけれど、何かを思い出したように、目を見開いた。
「そういえば、成瀬がお前のこと気にしてたぞ」
「え?」
死んでいた目が輝き、前のめりになった紫希は「莉李ちゃん何だって? 寂しかったって?」と堂々と願望を口にする。九条の方へと歩みを寄せる紫希に対し、反対に九条は後ずさる。
「国東が寂しがっていた、とは伝えておいた」
「え……いや、間違ってはないけど」
紫希は、「期待した自分がバカだった」と言わんばかりに肩を落とす。九条を横目にため息をつく紫希に優しさを見せるのは遠野くらいなもので、とは言っても、相変わらず苦笑を浮かべながら、「どんまい」と口にするだけなのだけれど。
「修学旅行前の集まりの時に、お前が変な態度とってたのが原因じゃないのか」
「……気づいてたんだ」
「気づかれてないと思っていたのか?」
九条の言葉に、遠野も頷く。隠せているとも思っていないけれど————むしろ、彼女には気づかれるようあからさまな態度をとったけれど————こうも、みんなにバレてるとは。
「いやぁ、慣れないことはするもんじゃないよねぇ。でも、莉李ちゃんが気にしてくれてたなら、大成功かな?」
「気にかけてもらいたかったのか?」
「修学旅行中、いやでも離れてるのに、その間一度も俺のこと思い出してもらえないとか寂しいでしょ」
「思い出してもらえないことは、自覚してるんだな」
九条の揶揄いをスルーした紫希は、「遠野ならわかるよね?」と遠野に同意を求める。けれど、遠野は何ともいえない表情を浮かべ、言葉を濁していた。
「お前のわがままで、人を振り回すな」
「俺がどうやって気を引こうと、九条には関係ないでしょ」
「気を引く?」
九条の眉が痙攣する。苛立ちを隠せないといった様子だ。いや、あれが気を引こうとしての行動だったのか、と理解できないのかもしれない。
「根本的なことを間違えてないか? その気の引き方で、もし気を引けたとしても一時的なものじゃないか」
「勘違いとも言う」と加える。そんなものでいいのか? と言いたげな表情を浮かべて紫希を見た。その紫希はというと、九条の言葉を嘲るように鼻で笑った。
「きっかけは何でもいいよ。本物にしてみせるから」
紫希は自信満々に言い切る。口元に浮かべた笑みが、不敵とも言えて、九条はため息をついた。
「俺にはやっぱりお前の考えがわからん。以前、付き合う気はないと言ってなかったか」
「お、さすが九条。記憶力いいね」
「茶化すな」
眉を顰める九条に、紫希は「本当のことでしょ」と軽口を叩く。
「ほんのちょっと口にした程度のことまで覚えてるんだから」
「よっぽど意外だったんじゃないか」
自分のことなのに、九条はまるで他人事のように口にする。このやりとりに辟易しているのかもしれない。
そんな九条の様子を、紫希はおかしそうに笑いながら、ふっと九条から目を逸らす。
「まぁ、何ていうか……予定が変わったというか」
「目的が変わったというか」と、心なしか小声になる。ボソボソと喋られては聞き取れないため、九条は怪訝そうな表情をさらに歪めた。
「つまりなんだ。心境の変化があったと?」
「まぁ、そんなところかな。今でも、そういうものにこだわりはないんだけど」
「けど?」
「そんなことより、そろそろ戻った方がいいんじゃない? 次、移動教室でしょ」
教壇の頭上にある時計に目線を移す紫希を追うように、九条も時計に目を向ける。自分の教室に戻るだけなら時間は十分にあったけれど、確かに、次は移動教室だ。どうして紫希がそのことを知っているのかについては定かではないけれど、強引に話を切ったことからしても、これ以上答えたくはないということなのだろう。
九条は呆れたように何度目かのため息をついた。そして、困ったように眉を下げる遠野の方へと目配せをすると、「というわけで、俺は戻る」と口にした。
「わざわざありがとね」
九条は返事をする代わりに手を挙げ、そのまま教室に背を向けた。刹那、顔だけ振り向くと、紫希の目を真っ直ぐ見つめ、「泣かせるなよ」とだけ言い残し、今度こそ本当に自分の教室へと戻っていった。
それは九条からの警告か、単なる呟きか————その答えはわからないけれど、九条の言葉に、紫希の口角が上がる。
「むしろ……そうしたいんだけどね」
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