4-11 席替え
莉李たちが修学旅行から戻ったのは木曜日で、翌日は休息日として二年生は休校となっていた。そのまま土日を過ごし、週末が明けると、1週間ぶりの登校だ。たった1週間しか空いていないのに、学校までの道のりがとても懐かしく、校舎に近づくにつれ、少しだけ緊張しているような心持ちがした。
久々の登校なので、鞄も重い。普段、教科書類のほとんどを学校に置いている莉李も、週末に勉強ができるように持ち帰っていた。月曜日の時間割の分だけしか鞄に詰めていないのに、そこそな重量になっているのは、教科書に加えて、お土産が入っているからかもしれない。
正門までの坂道を登っていると、見慣れた二つの背中が目に入る。対照的な赤と黒の髪が、冷たい風に靡く。そんなところも正反対なのだとしみじみ思う。そんな二人が学校までの道のりを、並んで歩いているというのは珍しい。
何にせよ、ここで会えたのはタイミングがいい。生徒会の集まりまでは日があるので、お土産を渡すなら今がチャンスだ。
坂道を登りきり、右に曲がって正門を潜る二人の後を追う。少し駆け足に、2、30メートルはあろうかと思われる距離を進み、正門を通って構内に入ると、紫希の姿が見えなくなっていた。
不思議に思いながらも、九条の元まで向かい、声をかける。
「おはようございます」
莉李の声に振り返った九条が、莉李の姿を認めるとすぐ「おはよう」と返す。
「修学旅行は楽しめたか?」
「はい! …あ、でも……あ、いえ。何でもありません」
言葉を濁す莉李に、九条は首を傾げる。
自分の失態について話そうとしていた莉李は、野依の言葉を思い出した。あの時、友人の元へと戻る前に、野依は莉李に釘を刺していた。『俺と会ったことは、先輩たちには内緒で。特に会長には』と。
野依の意図はわからなかったけれど、恩人の頼みだ。断る理由もあるまい。莉李は二つ返事で頷いた。去り際に、『成瀬が制服なら、まだ大丈夫だったんだろうけど』と野依が呟いていたことも、莉李には理解できなかった。
そんなやりとりがあったにもかかわらず、早速九条に吐露してしまいそうになった莉李は、動揺を隠すように鞄の中に手を入れる。九条に渡すものがあったことに感謝しつつも、慌てているため、すぐには取り出せない。口籠もった後、鞄をごそごそと弄る行動は、不審としか言いようがない。
目の前であたふたしている莉李を見つめながら、九条が口を開く。
「あいつも間が悪いな」
「え?」
「国東だよ。さっきまで一緒だったんだ」
「用事があるって、先に校舎に向かったところだ」と、その先に視線を送る。
「そうだったんですね」
一緒にいたことは知っていたのに、莉李はそこで初めて紫希がいたことを知ったかのように振る舞った。
タイミングがいいと思っていたのに、出鼻を挫かれた気持ちだった。
「紫希先輩に変わりはありませんでしたか?」
「ん? 特に……あ、いや、国東にしては大人しかったかな?」
「大人しい?」
九条から返ってきた言葉は、莉李の予想に反していた。
首を傾げる莉李に、九条は「寂しかったんじゃないか」と付け足す。
「寂しいと、大人しくなるものなんですか?」
「さぁ? あいつの場合は、騒ぎ立てることも考えられるが……何だ、この答えじゃ不満か?」
「あ、いえ……むしろ、寂しいって思ってくれてるだけならいいんです。避けられてるのかなって、ちょっと考えたりしていたので」
「避ける? あいつが、成瀬を? 何のために?」
九条は心底驚いたような顔をして、莉李に詰め寄った。
「えーと…目的はわかりませんが、嫌われたのかと」
「嫌う? あいつが成瀬を?」
圧も言葉も同じく攻め入る九条に、莉李は苦笑を浮かべる。そんな莉李の表情に気づいたのか、九条がメガネを掛け直しながら、「すまない」と口にした。
「あまりにも予想外なことを口にするんで、取り乱してしまった」
「予想外ですかね?」
「あぁ。成瀬がどんなに酷いことを言おうが、しようが、あいつが成瀬を嫌うことなんてないと思うぞ」
「……その根拠は?」
「勘だ」
九条にしてはテキトーなことを自信満々に言ってのけた。あまりに普段の彼とはかけ離れた言葉ではあったけれど、不思議としっくりきたことに、少しだけ笑ってしまう。
「まぁ、正しい答えは本人に聞くんだな」
莉李は小さく頷いた。頷いた拍子に、鞄の中に手を入れたままだったことに気づく。
そうだ。お土産を渡そうとしているところだった。莉李は思い出したかのように、今度は落ち着いて、個包装にしておいた袋を取り出した。
「九条先輩、これお土産です」
袋の中身はお守りと、名物のお菓子を添えていた。
「ありがとう」
気を使わなくてもよかったのに、と付け加えた九条は、それでも嬉しそうに莉李のお土産を受け取ってくれた。
「国東の分もあるのか?」
「はい。あと遠野先輩の分も」
「アヤの分は渡しておこうか?」
「え?」
「生徒会の集まりがないと、タイミングないだろうし。あ、でも国東の分は成瀬が渡した方がいいだろ?」
「国東もそっちの方が嬉しいだろうし」と、少し意地悪げな笑みを浮かべる。紫希がそれで喜ぶかどうかは別として、遠野と会うタイミングがないのと同じで、紫希とも生徒会の集まりがないと、なかなか会う機会はない。それでも、九条が直接渡した方がいいと言うのであれば、きっとそうした方がいいのだろう。先程の話ではないけれど、莉李自身も紫希に会って確かめたいことがあったので、そうすべきだと自分自身に言い聞かせる。
「そうします」
決意を新たに、莉李は「お言葉に甘えて、遠野先輩の分はお願いしてもいいですか?」と遠慮がちに訊ねた。九条は優しく微笑み、莉李から遠野の分のお土産を受け取る。そして、遠野の代わりに「ありがとう」と感謝を伝えた。その言葉に、莉李は「こちらこそ、ありがとうございます」と九条の親切心にお礼を告げた。
「ところで、今年は白馬は見られたのか?」
「白馬、ですか?」
あまりに突然の話題転換に、莉李は驚きを隠せない。
そんな莉李の表情がおかしかったのか、今度は表立って破顔する。
「今年は京都だったな。悪い、勘違いだ」
「九条先輩から “白馬” って言葉が出てくるとは思いませんでした」
「白馬が似合うのはアヤだからな」
そういう意味ではない、と思いながらも、確かに遠野に白馬は似合う、と口を噤んだ莉李だった。
***
「早速だが、席替えをする」
修学旅行明け早々、担任が思いついたように口にする。もっと他に優先すべきことがあるだろうと、直近に迫った実力テストに浮き足立つ生徒たちを尻目に、「もちろん、くじ引きで決めるぞ」などと勝手に話を進めていく。勇んで口にはするものの、用意をしているというわけではなく、その後の進行も、くじ引きの作成も、学級委員に丸投げしていた。何とも怠慢だ。
このクラスになって初めての席替えのような気がする。
初めてのことにも臨機応変に対応できる学級委員の二人は、さっとくじ引きを作ると、順番に引きに来るよう伝えた。一人がくじが入った箱を持ち、もう一人は黒板に机の位置と、そこに番号を記載していく。どうやら、黒板に記載された番号が新しい席になるようだ。どの席になるかは、もちろん引いたくじに書かれている数字が示す。
「何番だった?」
「25番」
番号を口にしつつ、覗き込んでくる莉李に向けて紙を差し出す。智也の番号を確認した莉李は、そのまま黒板の方へと視線を移した。
「ってことは……窓側だ! いいね。私、真ん中の前から二番目だよ」
「離れちゃったね」と、莉李が眉を下げる。
「大丈夫よ、成瀬さん」
いつもとは違う温度差を保ちながら、意気揚々と近づいてきたのは秋葉だ。秋葉は、両手に携えていた教科書類を、智也の席の隣に下ろした。
「秋葉さん、席ここなの?」
「そう。対中くんのお世話は、この私に任せなさい!」
「うわぁ……何かちょっと、嫌かも」
「このツンデレさんめ」
「いや、本心」
このポジティブがすぎる人に何を言っても無駄だと、智也は早々に辞退する。
「秋葉さんが隣だなんて、楽しくなりそうだね!」
正気か? と思われる言葉を口にした莉李に、智也は驚きを隠せない。それでも、莉李は至って真面目で、同調した秋葉と談笑している。全くもって理解できない。理解できないけれど、莉李がそう受け取るだろうことは、何となく想像がついた。
「しかし、あれだね」
莉李が二人の元を離れ、新たな席へと旅立った後、秋葉が声のトーンを落として呟いた。
「対中くんは、このポジションが安定したというか。席まで、成瀬さんとの関係を表しているというか」
「どういう意味だ?」
「言葉通りの意味だよ」
それがわからないから聞いているのに、秋葉はそれ以上の説明をしようとはしない。それでも、そんなことは問題ないと言わんばかりに、「これでよかったんだよ。距離置きたかったし」と呟く。
「何なに? 何の話?」
食いつかれることを予想していなかったわけではないけれど、予想以上のテンションの高さに智也はため息をつく。
「修学旅行の時はあんなに近くにいようとしてたのに、何かあったの?」
智也の空気を察したのか、秋葉が再び音量を下げる。何かあったのかと問われれば、あっただろ、と返したくなるけれど、秋葉が聞いているのはそういうことではないのだろう。
「……独占欲と所有欲って何が違うんだろうな」
「え! え! 何それ! とうとう芽生えちゃった系?!」
「いや、何でもない……話す相手、間違えたわ」
「えー! 間違えてないでしょー! 何でも聞いてよー!」
前のめりになる秋葉から目を逸らし、智也は窓の外を眺めた。
聞く必要はない。これは自分自身の問題だ。あの時、気づいた感情を認めたくないわけではない。そこまで往生際は悪くない。だからと言って、その後の進展を求めているわけではないけれど。
ただ何より、同時に居座っていた思いを、考えを否定したかった。あいつとは違うということを証明したいだけだ。
「ま、安心しなさい。授業中に成瀬さんばかり見てたら、ちゃあんと注意してあげるから」
「いや、その場合、お前も授業聞いてないことになるけどな」
と、左隣から智也が揚げ足を取る。それでも秋葉は「大丈夫、大丈夫」と、使い方の間違っている言葉を呪文のように口にしていた。
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