4-10 情調
「ノイくん、ごめんね」
呟くように出た莉李の言葉に、野依は静かにため息をついた。
「成瀬、何回ごめんて言えば気がすむんだよ」
「ごめ、あ……」
再び口から出そうになった謝罪に、慌てて手を口に持っていく。しかし、時すでに遅しとでも言うべきか。野依の方を見ると、彼の顔には苦笑が浮かべられていた。
「しょうがないな……特別にとっておきの秘密を教えてやろう」
「?」
苦笑いを消し去り、ドヤ顔とも言える表情を浮かべた野依が、なぜか自信満々といった様子で胸を張っている。急にどうしたのだろうかと莉李は首を傾げた。『特別に』と言った意味もわかりかねる。
頭を捻る莉李を尻目に、野依はその態度とは反対に声を落として話し始めた。
「遠野先輩から聞いた話なんだけど……九条先輩ってあぁ見えて、子どもの頃はよく迷子になってたらしい」
「え?」
目をパチクリとさせる莉李の表情に、野依は満足そうに頷く。莉李の驚きは、やはり急に始まった話の内容が飲み込めないということと、今からは想像もできない九条の一面に対して向けられていたのだけれど、おそらく野依は後者だけしか汲み取っていないのだろう。
「何かに集中すると周りが見えなくなるタイプだったんだと。本読んでたり、何かに注意を惹かれると、そっちに興味が集中してそのまま迷子に……」
まるで自分のことを言われているような気がして、莉李は押し黙る。
野依は気にせず、話の続きを語っていく。
「で、よく探されてたらしい。子どもにはよくある話だけど、九条先輩となると、またちょっと違ったんだろうなって思うよな」
それについては同意見の莉李は「確かに。集中の度合いが違いそう」と呟いた。
幼いとはいえ、九条が迷子になるということが想像できないと思う一方で、理由を聞いてみると、『散漫』というわけではなく、一つのことに集中してしまい、それを追求してしまうがためにはぐれてしまうという光景は、容易に思い浮かべることができた。
「そんでもって、見つけるのはいつも遠野先輩で、ある時から遠野先輩が九条先輩を見つける役を一任されたんだと」
「それも何だか想像できるというか……」
少し考えてみて、逆も想像できるような気がした。遠野が迷子になって、九条が探している。そっちの方がしっくりくるような気もするけれど、探されている九条もまた可愛らしくて、思わず笑みが溢れる。もちろん、九条本人には内緒だ。
「まぁ、だからなんだ。あの九条先輩でもそんな時があったんだ。今日をもって成瀬は九条先輩の仲間入りってわけだ」
「? それは嬉しいような、喜んじゃいけないような……?」
仲間入りするなら、もっと名誉なところで参入したかったと思う。けれど、バレたら怒られそうな九条のマル秘話を打ち明けてくれたのは、莉李を励ますための野依の優しさだということが段々とわかってきて、茶々を入れるのは控えることにした。
「よし。九条先輩の仲間入りさせてもらったんだから、もっとしっかりしないとね!」
「今でも十分しっかりしてるだろ……いや、その意気だ! さ、
「おー!」
野依の前半のぼやきは莉李の耳には届かず、勢いをつけて掲げられた拳を真似るように、莉李も曇天へと手を突き出す。ノリと勢いは、時に大事だとでも言わんばかりに。
とは言え、単なるノリなので、すぐに収束する。莉李も野依も揃って手を下ろすと、「行くか」という野依の言葉を合図に、再び足を前に向けた。しかしながら、それはすぐに止まった————否、止められたのだ。
二人が向かい合っていた体を前に向けた時、それを阻むように莉李の肩が掴まれた。そのまま、背後へと力が加えられ、野依の視界から莉李が消えた。
***
正直、智也はどちらを探すべきか迷っていた。どちらを探した方がいいのか、またはどちらも変わらないのか。しかし、莉李はともかく、もう一方については見た目はおろか、ほとんど何の情報も持たなかった。したがって、探すべき選択肢も自ずと決まってくるのだけれど、平常心ではない智也は、その当たり前のことをも考えられずにいた。
後悔は先に立たない。そんなことは昔から痛いほどよく知っていた。次こそは、と決めていたのに————幾度となく感じた己の無力さに打ちひしがれる。浸っている場合ではないこともわかっている。けれど、足が止まらないのと同じように、脳内では後悔と、最悪の状況ばかりが
離れるべきじゃなかった————
目の届くところに置いておくべきだった————
自分のすぐ隣で、いつもそこにいてくれたら————
気持ちは急く一方だった。
『あとは俺が何とかする』と言った言葉も、嘘ではないけれど、まだ何もできていない。
『頼ってほしい』という想いも、何とも無責任な気がした。頼ってほしいのであれば、頼られる存在になるべきで、何より自ら気づくべきで————それをせずに、できずに、何がそばにいろ、だ。聞いて呆れる。
でももし、見つけられたなら。
無事に戻ってきてくれるのなら、今度はもう二度と見落としたりしないから。
だから、無事に————
頭の中で溢れ出す言葉に飲み込まれそうになる智也を引き戻したのは、着信音だった。智也は我に帰ったように足を止め、スマホを取り出す。画面を確認すると、電話は久弥からだ。
走っていたせいか、こめかみから顎に向かって汗が伝っていた。智也はその汗を拭うと、画面をスライドさせ、スマホを耳に当てた。
「もしもし」
『もしもし?』
智也は一度スマホを放し、再度画面に表示された名前を確認する。確かに『久弥』と表示されていた。しかしながら、返ってきた声は久弥のものとは似ても似つかない。久弥の声は低めで、ベースのような重低音を思わせる。トーンでいうなら、智也と近いだろう。けれど、先程スマホの通話口から聞こえた声は、どちらかというと高めの声だ。
聞き間違えたのだろうかと、再びスマホを耳元へと持っていく。そして、同じ言葉を繰り返した。
『あ、もしもし。対中くん?』
今度ははっきりと聞こえた。聞き間違いではなかった。いや、いよいよ幻聴が聞こえ始めたのかもしれないとも思えた。けれど、気持ちが落ち着いた上で耳を通るその声は、電話越しでも相手が誰なのかわかる。それは、今まさに探していた張本人だ。
「……な、るせ?」
『うん、成瀬です。ごめんなさい、迷子になってしまって』
『今、久弥くんに無事保護されました』と照れ隠しを含ませながら、少し戯けて口にする。
その口調、声————全てが莉李のもので、電話の向こう側で謝罪を繰り返す彼女の声に、張り詰めていた緊張の糸が解れていく。
『もしもし?』
「……」
『おーい、対中? とりあえず、集合場所戻るからな。また後で』
返信がなくなった智也を不思議に思ったのか、莉李がスマホの持ち主に変わり、久弥が段取りよく指示していく。ただ、一つが抜かりがあったとすれば、久弥の指示に対して智也が返事をする前に通話を切ったことだ。おおよそ莉李が見つかったことで気が抜けてしまい、声も出ないというところだろう、と推測してのことかもしれない。それが的確に当たっていることを知ってか知らずか、久弥は強引に取り進めていた。
集合場所へと向かう途中、智也は先程脳内を占拠していた言葉を消し去ろうとしていた。
そばに、自分の一番近くに置いて、そして————そこまで思い返して、智也は首を振った。
違う。違う、同じじゃない! 心の中で強く否定する。けれど、否定しても同じ言葉が繰り返される。繰り返されるうち、智也の嫌いなあの人物の顔まで出てくる。その顔は嘲るような笑みを浮かべていた。『俺の言ってたことが理解できた?』と嗤っている。
智也は全てを払拭するように頭を掻いた。手に湿り気を感じた。さっきまでの汗の名残りだろうかとも思われたけれど、どうも違う。これは、“冷や汗” だ。
再び汗を拭うと、智也はため息をついた。
結局自分はまた何もできなかった。自分の手で、彼女を見つけ出すことすらできない。そんなことすらも、もどかしい。無事に戻ってきてくれたのであれば、それでいいじゃないか。そう思う反面、自分自身で見つけたかったという気持ちが心を占める。
心臓の辺りがチクリと痛んだ。痛んだところに手を持っていくけれど、その痛みはすでに消えていた。
以前にも、似たような痛みを感じたことがあったな。あれはいつだっただろうか。
集合場所には、久弥と莉李が先に到着していた。
美桜や秋葉に抱きしめられ、お互いがお互いに「ごめん」と言い合っている。そんな姿を、智也は少し離れたところから眺めていた。
本当に彼女がいる。本当に無事に戻ってきてくれたのだと、確信する。
彼女が笑っている。みんなに囲まれ、笑っている彼女を見つめながら、安心とは違う感情が自分の中にあることに、智也は気づく。心が騒つく。
安堵も、焦りも、あいつに向ける嫌悪も、胸の痛みも————全部、全部、答えは一つだったんだ。
以前、あいつに『妹の代わりだ』と言われ否定したけれど、自分の言葉がまさか現実になるとは思ってもいなかった。
「はぁ……笑えねぇな」
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