4-9 行き先

 一方その頃、莉李はというと————



『目で追ったりしちゃう』



 呑気にもそんな言葉が脳裏に浮かんでいた。その言葉は、修学旅行出発の前日に耳にしたものだ。聞いた時には、友人たちが笑っていたように、『そんなことあるのだろうか』と莉李も半信半疑だった。けれど今、自分が置かれた状況に、『まさか』と自分自身を疑わずにはいられない。

 何に目を惹かれたのか、その答えはとても曖昧だった。一瞬、風に靡く何かが見えた程度で、その正体は割れない。かろうじて、色が白っぽいものだということだけはわかっていた。靡くことができ、かつ白いもの。莉李はその特徴で挙げられるもののうち、一つのものを思い浮かべた。そして、次に出てきたのは、紫希だ。ここで真っ先に紫希が出てきたことに、莉李は笑いを禁じ得なかった。


 白く靡くものとして、莉李が思い浮かべたのは包帯だ。先程、莉李の視界に飛び込んできた包帯がどこに巻かれていたかまでは判然としない。もちろん、答えが包帯で合っているのかも定かではない。

 けれど、莉李にとってそのことは問題ではなく、思考はやはり紫希へと飛んでいた。そういえば、紫希も左腕に包帯を巻いていたことがあったな、と。あの時は誤魔化されてしまったけれど、結局のところ、あれはけがではなかったのだろうか。制服に隠れて見えない部分であるため、今も彼の腕に包帯が巻かれているかどうかは、莉李の知るところではない。






 知らない土地で一人になった莉李は、思いの外冷静だった。けれどそれは、他のメンバーと合流できる算段があるというわけではない。集合場所に一人で迎えるほどの土地勘もなければ、連絡を取ろうにもスマホは少し前に休眠状態に入ってしまっていた。

 落ち着いてはいたけれど、冷静になった分、回顧しては自己嫌悪に陥っていた。それは今現在のことも含め、ここ数日の自分自身に対してだった。思い返せば思い返すほど、自分のことしか考えていなかったことに気づく。

 紫希のことについてもそうだ。自分の日頃の行いを棚に上げて、突然態度を変えた彼に対して、自分がさも被害者かのように周りに不満を漏らした。不運がもたらした弱気から精神的に参っていたとしても、莉李自身がそんな自分を許せなかった。周囲にも心配をかけて、智也には弱音まで吐いてしまった。

 ぐるぐると回るネガティブな思考が、巡り巡ってへと着地する。「そうだ、先輩の態度が変わったのって、あれ以降じゃない?」と、莉李は心の中で呟く。もしそうだとすると、やはり縋ったことがダメだったのだろうか。いつもと変わらない、そう思っていたのは気が動転してしまっていたからで、実はあの時にはすでに兆候が見られていたのかもしれない。


 莉李は首を振り、考えを一蹴する。

 今はそんなことよりも、みんなと合流する方が重要だ。待たせているに違いない。その申し訳なさに、またしても負のスパイラルに陥りそうになったところで、「成瀬?」と後ろから声がかかる。振り返ると、そこには見知った顔。


「ノイくん!」


「やっぱ成瀬だよな。制服じゃないから、違う人かと思った」


「こんなところで何やってんだ?」と、友人と思しき集団から離れ、莉李のそばまで近づきながら野依が訊ねる。


「お恥ずかしながら、迷子になってしまって」


「迷子? スマホは?」


 友達に連絡を取るとか、マップを使うとか、と真っ先に思い浮かぶ手段を提示する。それに対し、画面をタップしても、ホームボタンを押しても真っ暗なまま反応を示さないスマホを見せた。自嘲する莉李に、野依は呆れた様子などは一切見せず、一緒に行動していた人の名前を教えるように言うと、自分のスマホを取り出した。意図がわからないまま、美桜たちの名前を告げていく。野依はそのままスマホを操作して、「いないか」と呟くと、野依の戻りを待っている友人に声をかけた。どうやら、連絡先を知っている人を探してくれているらしい。けれど、生徒数が多く、莉李自身も同級生ですら知らない学生の方が大半を占めるほどだ。結局、野依の友人たちの中に共通の友人はいなかった。


「ちなみに、どこに向かう予定だったんだ?」


「えーと、鴨川の近くの……ここが集合場所になってたんだけど」


 莉李は、本日のスケジュールをまとめておいたメモを野依に見せる。スマホで照らしながら覗き込んだ野依は、メモに書かれていた集合場所を目にすると、ぽかんとした顔をした。


「成瀬、それ本気で言ってる?」


「うん?」


 目を丸くした野依につられるように、莉李も同じような顔になる。またしても、野依が何を言わんとしているのかがわからない。


「これ、すぐそこだぞ」


「え」


 再びスマホを操作し、その画面を莉李に見せる。野依が見せてくれたのは、マップだった。地図上には短い部分に太い線が描かれていて、よく見てみると、現在地と繋がっていた。その先は、莉李の集合場所を指していて、『目的地まで5分』という表示が下の方に示されている。

 莉李はまたしても、苦笑いを浮かべた。


「重ね重ね、お恥ずかしいところを……近くってことは知ってたんだけど、まさかこんなにとは」


「いやいや、何か安心したわ。成瀬にも苦手なものとかあったんだなって」


「いっぱいあるよ?」


「そうなんか? じゃあ、俺が知らないだけか」


「それはさておき」と、野依が切り替える。


「悪い。俺、ちょっと抜けるわ」


「了解。この辺にいればいい?」


「あぁ、助かる」


 友人たちと簡単にやりとりを終えると、「じゃあ行くか」と野依が莉李に声をかける。

 どうやら送ってくれるらしく、野依は莉李の返事も聞かずに歩き出した。


「ノイくん、待って」


「何」


「送ってもらうのは悪いよ。お友達も待たせちゃうし」


「すぐそこだし。それに、あいつらもいいって言ってんだから」


「甘えとけ」と、いつもとは違って声に落ち着きがあった。野依の声が聞こえたのか、「きゃー、ノイくん男前ー!」と少し離れたところから野次が聞こえる。照れたように「うるさい!」と怒る野依は、顔を背けて再び足を前に出す。

 どうしようかと思案していると、「お気になさらず」と友人の一人が莉李に声をかけた。


「知らない土地だし、女の子一人じゃ危ないでしょ。それに、ノイは帰り走らせるから大丈夫だよ」


「ほら、早くしないとノイに置いてかれちゃうよ?」と付け加える。帰り道の件については、本気かどうかは定かではなかったけれど、ここで自分がグダグダと決断を遅らせても、彼らの時間を潰すだけだ。それに、彼の言った通り、野依はゆっくりではあるけれど、歩みを進めたままで、今追いかけないと無駄に終わる。莉李は決心すると、彼らに会釈をし、野依の後を追った。

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