4-2 余薫

 修学旅行を前日に控えていても、授業は当然のように組み込まれている。明日の集合時間が早かろうが、そんなこと関係なくきっちりと6時間目まで授業が入っていた。

 5時間目が終わり、残すはあと一つというところで、移動教室があるというのは何とも言い表しようのない虚しさがある。とはいえ、行かないわけにもいかず、必要なものを手にし、莉李は美桜と秋葉と一緒に目的地へと向かっていた。


「あれ?」


「どうしたの、美桜」


 旧校舎を繋ぐ渡り廊下を歩いていると、自分たちよりも少し前を行く男女に、美桜が視線を走らせていた。おまけに、不思議そうに首を傾げている。

 目の前の学生は二人とも莉李たちのクラスメイトで、近くもなく遠くもない程よい距離を保っていて、けれど、肩を並べて時折笑みを浮かべながら歩いている。言わずもがな、目的地は莉李たちと同じだろう。


「あの二人って、あんなに仲良かったっけ?」


「あぁ、最近付き合い出したんだよ」


「そうなの?!」


 目を見開き、心底驚いたような顔をする美桜に、秋葉は訳知り顔で説明した。どちらから告白したのか、いつ、どこで、などを詳細に語る。饒舌に語る秋葉を眺めながら、莉李は秋葉の情報収集の早さと多さに感心していた。噂話や、その手の情報に関して、彼女がいかにアンテナを張っているのかという点について、改めて思い知らされることになるのだった。


「文化祭、体育祭、修学旅行————あらゆる行事の前っていうのは、告白する人が増えるものだし、それに比例してカップルも増えるものでしょ! これ、行事あるある」


 秋葉は得意げに、そして早口に捲し立てる。話したいことはまだ終わっていないのか、歩いているにも関わらず、莉李と美桜の前に立ち、振り返るとそのまま口を開いた。三人が並んでも余裕のある渡り廊下で、しばらく直進なのをいいことに、秋葉は歩みを止めず、後ろ向きに進んでいく。


「それに、修学旅行から帰ってきたら、一大イベントが待ってるでしょ!」


「「?」」


 修学旅行が終わってからのイベントといえば、莉李の中では生徒会メンバーの入れ替えが思い起こされた。もちろん、秋葉が言っているイベントと一致しないことは理解している。けれど、それ以外に何かあっただろうかと皆目検討もつかない様子で————美桜も同じように頭を捻っていた。

 二人の反応が予想外だったのか、秋葉が信じられない! といった様子で、目も口も開いたまま、突然その場に立ち止まった。


「クリスマスだよ! クリスマス!!」


「あぁ」


「反応薄い! もっとないの!? こう、甘酸っぱい感じの……」


「残念ながら」


 美桜の言葉に秋葉は踵を返すと、背中を丸めて歩き出した。おまけにため息までついている。秋葉の落胆具合に、莉李と美桜は目を合わせ、少しのアイコンタクトの末、莉李が「秋葉さんはクリスマスの予定は?」と訊ねた。その言葉に、顔だけを後ろに向けると、言葉なく首を横に振った。

 けれど、次の瞬間には顔を上げ、目を見開いていた。目を見開くといっても、先程とは異なり、何やら瞳が輝きに満ちている。


「成瀬さんは、会長からお誘いがあるんじゃないの? そんな素振りないの?」


「ないねぇ」


 それに————と、続けようとした言葉を莉李は飲み込んだ。

 クリスマスに関係なく、学校外で会う約束なんて今まで交わしたことがない。紫希からお誘いがあった試しもない。それに、今朝の紫希の態度を見ると、余計に考えられないと思った。

 結局あれは何だったのだろうか。無視————ともまた少し違うような気がするし、今まで自分が素っ気ない態度を取ることはあっても、莉李に対して紫希が冷たい応対をしたことはない。

 初めてのことに、腑に落ちる理由が見つからなかった。これまでの紫希に対する失礼な態度に、とうとう堪忍袋の緒が切れてしまったのだろうか。

 いくら考えても自分の中に答えはない問答に、莉李は自然とため息が出た。

 そんな莉李を二人が不思議そうに見つめていると、彼女たちの後方から楽しそうな笑い声が響いた。莉李たちと同じ教科書を持っているところからして、クラスメイトだろう。二、三人の女子生徒が談笑しながら、歩みが遅くなった莉李たちを追い越していく。


「じゃあ、付き合ってから会えなくなるの初めてなんだ?」


「そうなの……もう今から寂しい」


「あたしなんて他校だから、学校で会えるあんたが羨ましいけどね。同じような髪型で、似てる人を見かけると、つい目で追ったりしちゃうの」


 いるわけないのにね、と自嘲する。それに対して、「愛が重い」と唯一彼氏がいない女子学生が揶揄いの言葉を口にした。


「見た目だけじゃないの! 匂いとか! 香水とかもそうだけど、街中とかでもふわってその人と同じ香りがしたら、思わず振り返っちゃうって!」


「それは、もはや変態なのでは?」


「えー! そうかなぁ? あれだったら、何か借りていこうと思ってたのに…」


 一人は「それいいね」と賛同し、もう一人は言葉が出ないほどにドン引きしていた。

 そんな会話とともに彼女たちが通り過ぎると、またしても目を爛々とさせながら秋葉が振り返った。


「聞いた?」


「?」


「どう? 成瀬さんも」


 何に対しての「どう?」かわからない莉李は首を傾げる。秋葉は興奮冷めやらぬといった様子で、一歩莉李に詰め寄った。その勢いに押されたように、莉李は後ずさる。

 秋葉の顔が間近にあり、満面の笑みを向けられていた。


「会長にお願いするの! 『修学旅行の間寂しいから、何か先輩を思い出せるものください』って」


「言わない————というか、そんなこと言えないよ!」


 両手を顔の前に出し、慌てたように手を振り全否定した。心なしか顔が赤くなっているように見える。莉李自身も、顔が火照っていることを自覚していた。

「結局、会長を応援することにしたの?」と訊ねる美桜に、「もちろん成瀬さんを応援してるけど、どちらかといえば面白い方に一票!」と心の声を溢れさせる。欲望に素直な秋葉に、二人は苦笑せざるを得ない。二人との温度差を感じていない秋葉はじっと莉李を見つめ、ニヤニヤと笑みを浮かべる。何かを待っている秋葉に、揶揄いの言葉が出てくる前にと、莉李は顔を仰ぎながら口を開いた。


「でもさ、それって逆に寂しくなりそう」


「どういうこと?」


「だって、仮に何か借りられたとして、を使う時って会いたいって思ってる時でしょ? 会いたいのに会えない…それなのに、その人のことを思い出すようなものが身近にあると、寂しさが増しそうだなって」


「ほうほう」


 どうやら逃げ道に逸れようと思って口にした言葉は逆効果だったようだ。秋葉の含んだ笑みは相変わらず崩れることはなく、詳細を訊ねようと莉李に詰め寄る。

 困惑する莉李を助けてくれたのは、皮肉にも休み時間の終了を告げるチャイムで、莉李はまるで逃げるかのように早歩きで次の授業へと向かった。

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