3-13 選択権はない
他に
状況はあの日とさして変わりはなく、限りなく酷似していた。智也はあの時と同じように路地の入り口に立ち、表通りの明かりも届かない暗闇に目を凝らす。
微かに聞こえた声に、その口調に、智也は予感が的中したのだと確信した。それと同時に、抑えていた憤りが全身を奮い立たせる。
「やっぱりお前の仕業だったのか」
「ねぇ、どうして邪魔したの?」
怒りの籠もった智也の言葉とは反対に、冷静さを————というよりも、冷ややかな声が闇黒の中から先程と同じ言葉を投げかける。
声の主は真っ黒なローブを身に纏い、フードを被っていた。それでなくとも真っ暗な場所に位置しているというのに、服装のせいで全身が暗闇と化している。それでも、フードからはみ出し、風に靡く銀色の髪だけは、光っているかのようにその存在感を示していた。
彼は、路地を創り出している建物の2階のベランダ部分に腰掛け、智也を見下ろしていた。
「君はとことん俺の邪魔をしたがるね」
「何をしようとしていたのかわかっているのか?! あれは、けがですむ程度の話じゃないんだぞ!」
「わかってるよ。わかってやっているに決まってるだろ」
銀髪の彼が口にした言葉と、彼の飄々とした態度が智也の逆鱗に触れる。彼の言葉を、行動を理解できた試しなどないけれど、今回のことは度を超え過ぎている。ありえない。その一言に尽きる現実に、表情が歪んでいく。
「俺はね、彼女の魂が欲しいんだ」
「は?」
高揚感に満ちた声に、智也は耳を疑った。2階にいる彼とは距離があるため、聞き間違いかと思った。思いたかった。
彼の言葉を飲み込めず、咀嚼もできない。けれど、思考が追いつかない智也を尻目に、銀髪の彼は話し続ける。
「俺は彼女の全てが欲しい」
「全てって……それならもっと他に方法があるだろ!」
「他の方法? これが最善だと思わない? 他者を介してでないと、俺が回収できないことだけが最大の難点だけど」
最後の方は独り言のように言葉が呟かれたのだけれど、静かな街並みで、その声はかろうじて智也の耳にも届く。ただし、聞こえたからといって、意味が理解できるわけでもない。
智也は眉をひそめ、目を細めて上にいる彼をじっと見つめた。
「人間はさ、とても脆い生き物だから。想像よりも簡単に消えて無くなってしまう。とても呆気なく、形あるものが壊れてしまうよりももっと容易に。それに、俺たちとは違って、
「……狂ってる」
彼の思考に、智也はこぼすように口から言葉を発した。自分の声が鼓膜を振動させ、その言葉を耳にして改めてその狂気を感じた智也は、顔を顰めた。ここに来てから————いや、ここに辿り着く前から智也はずっと同じような顔をしていた。そんな智也の表情がおかしかったのか、もしくは呟かれた言葉に笑いを禁じえなかったのか、銀髪の人物は嘲るように鼻先に笑いを漏らす。
「狂ってる? どうして? 好意を持った相手の全てを欲しいと思うことがそんなにおかしい?
「あいつの……あいつの心は無視か? 心はいらないって言うのか!?」
「こころ? ふはっ」
「何がおかしい?!」
今度は吹き出すようにして笑い出した彼に、智也の苛立ちは増していく。
顔にも、そして全身にもその怒りを露わにしているというのに、銀髪の彼は痛くも何ともないかのように笑いが収まらずにいた。
しばらく笑い転げた後、智也を見下ろしたまま咳払いをする。
「いや……君は、心が生きている人間の身体の中にあると思ってるんだなぁ、と思って。心臓? それとも脳かな?————実に、人間らしい考え方だ。あぁ、意外とロマンチストなのかな?」
彼の発言は終始、智也を挑発しているように聞こえた。それは、智也が彼に対して敵意を剥き出しにしているためにバイアスがかかっているとも考えられたのだけれど、この時ばかりは完全に否定もできなかった。現に彼の口調からは、いつものような人を揶揄う雰囲気が感じられたし、智也に対する悪意の色も見てとれた。けれど、苛立ちを示しているのは智也だけではない。智也の目の前にいる彼も、顔にこそ笑みを浮かべてはいたけれど、その実、心の奥底では怒りを孕んでいるかのように思われた。
「じゃあ、お前のエゴであいつの命を奪ってもいいと?」
「うーん、ちょっと違うかなぁ。俺はただ、彼女の魂が欲しいだけだからね」
「同じじゃないか!」
「違うよ。少しの違いで、そのニュアンスはものすごく変わるんだ。そうだなぁ……例えば、君のすぐ近くに俺が物を落としたとして、『君の方が近いんだから、それ取ってよ』って言われるのと、『申し訳ないんだけど、取ってもらえないかな?』って言われるの、どっちが素直に拾いたいと思う?」
彼がこの例え話で何を言いたいのか、すぐにはわからなかった。話を逸らそうとしているのだろうかとも考えられたけれど、それでもひとまず言葉の真意を見抜くことに注力した。自ずと表情は怪訝さを増す。
智也からの返答がないことと、その表情から「少し難しかったかな?」と彼は余裕綽々で説明を続ける。
「俺は別に彼女に死んで欲しいわけじゃない。ただ、魂をもらうにはそれが付随するだけ。ただ、それだけのことだよ」
銀髪の彼は加えて、「だから、違う。似ているようでいて、全然違うんだよ」と口にした。もちろん、そんな言い分で智也が納得するはずがない。
「そんなよくわからないこじつけで、あいつを傷つけることを何とも思わないのか?」
「彼女は傷つかない。傷つけるわけがない」
誤算はあったけど、とぼやく声は智也の耳には届かない。
「言ってることと、やってることが矛盾している」
「じゃあ聞くけど、君は他人を傷つけないって言い切れるの? 君が大切にしたいと思って起こす行動が全て、間違いなく、他者の幸せに直結するの?————それはすごいね。君は聖人か何かってわけだ」
「お前なら傷つけないって言い切れるのか? 今まさに傷つけようとしている張本人が、聞いて呆れる」
「質問を質問で返さないでくれる? まぁいいや。————俺ならできるよ。言ってるでしょ。魂なら、魂になった彼女なら、俺のそばでずっと守っていくことができる。誰にも邪魔されずに、誰の目にも触れさせることなく、正真正銘俺だけのものとして大切に大切に守ることができるんだ」
「それは本当に守ることになるのか?
「何が言いたいの?」
智也の言葉に、銀髪の人物は初めてほんの少し顔を歪ませた。
実際は片方の眉だけが動いたに過ぎないのだけれど————元より左目は、前髪とフードに隠れて見えていない————暗闇に目が慣れつつある智也には、彼の表情の変化を感じ取ることができた。
空気が変わり、上から感じる圧にも動じる素振りを見せないように、智也は平然を装った。
「結局お前は、あいつがいいわけじゃないんだ。お前らは、一人だけを選ぶわけじゃない。戯ごととして、弄んでるだけなんだ。つまり、あいつが————」
「君は本当に……ロマンチストだね」
怒気を含んだ言葉に、智也の言葉が遮られる。
威圧感はさらに増したように、空気が重く感じられた。
「さっきの言葉、気に入らないから訂正してくれる?」
「は?」
「確かに、俺の役割は回収で、コレクションしようと思えばそれも可能だ。でも、だからと言って何でもいいわけじゃない。誰のものでも集めたいと思うわけじゃない。彼女は特別なんだ。彼女のように、これというものがそんなにしょっちゅう出てくるわけでもない。
「理解できない」
「理解する必要はないし、理解して欲しいとも思わない。それに言葉を返すようだけど、君が彼女に構うのも彼女だからじゃない。君は単に、彼女に “妹” を重ねているだけなんだよ」
先程の智也の発言が相当気に食わなかったのだろう。銀髪の彼は仕返しか、もしくは対抗するかのように言葉を発した。
「何で妹のこと……」
「こっちのことは簡単に調べられるからね。だから、君の方こそ彼女に執着するのはやめてくれる? それとも正義感か何かのつもり?」
「……それは、理由が違えばいいのか?」
智也の言葉に、今度はあからさまに顔を歪ませる。
「何それ……ケンカ売ってるのかな? 王子気取りも大概にするんだね。王子は劇中だけで十分だ」
「王子を気取ってるつもりはない。最初からそのつもりだ」
「最初から?」
眉が痙攣するかのようにピクリと動く。
初対面の時から明らかに馬が合わないことが明白な二人ではあったけれど、お互いの発言のどれをとっても気に触るようだ。そのせいで、ずっと堂々巡りをしていることもまたお互いストレスを感じていた。
緊張感が走る暗闇の中で、二人は視線を離さずにいた。お互いに苛立ちはピークを迎える。
智也は唇を噛んだ。打開策がないかと必死に頭を回転させるけれど、悲しいことに何も思い浮かばない。
このままでは埒が明かない会話にも、そろそろ終止符を打ちたかった。
対抗できる何かがあれば……智也はどこかにこの場を切り抜けられるヒントが落ちていないか、彼との会話を反芻する。————いや、そもそもどうして魂を手に入れるのに、自ら手を下さないのか。 あいつは自分で手にかけていたはずだ。そうしないのは、なぜだ? できないから、か?
思い返せば、『他者を介してでないと、俺が回収できないことだけが最大の難点だけど』と言っていた。それが何を意味するのか、詳細はわからないけれど……本当なのであればそこをつくことができる————
一人、考えに耽ていると、不快な音が耳に届く。
今日、幾度となく聞いたバカにするかのような笑い声だ。
「君、今矛盾したことを考えてるって自覚ある?」
見透かしたように、それでいてやはりバカにするかのような口調で言葉を投げかける。
その声に智也が睨みつけるように上を見上げると、何でもお見通しかとでもいうように、可笑しそうな笑い声とともに彼の声が響いた。
「まぁ、でもチャンスをあげないこともないよ」
「…チャンス?」
「君に邪魔されるのは不愉快だけど、何だか可哀想になってきたし、それに————今回のことで初めて彼女の弱さを露呈できて、それが思いの外、すごくキタんで、ちょっと欲が出てね。見てみたいものができたんだよね」
「……」
「だから、俺がそれを見るまでなら時間をあげてもいいよ。俺がそれを見るまでに、君が打開策を見つけられたら君の勝ち。見つけられなかったら、俺は再び実行するだけ」
どうする? と譲歩するかのように口にする。
「君にできることは限られてるし、ほとんど無駄な努力ではあるけどね」とさらに言葉を付け加える。
彼の提案は智也に選択肢を与えているようで、その実、現時点で智也に選択権はなかった。
憐れむように、同情するかのように提案された案を飲むのは癪だ。けれど、智也には他に得策など持ち合わせていなかった。今ここで、彼に対する敵対心のみで、せっかくの提案を台無しにしてしまうほど考えなしではない。時間さえあれば、その間に何か策を考えればいい。
「分かった」
智也は、彼の提案を飲んだ。
苦渋の決断かのように、いまだ納得はしていないとでも言いたげに、首を縦に振った。
「じゃあ、交渉成立だね」
彼はそう言って立ち上がり、ベランダの冊子に足をかける。その不安定さを感じさせない姿に、彼の余裕を感じさせられた。
「君に与えられた時間はわずかだ。アディショナルタイムはすでに始まっている。俺はもう早速動かせてもらうからね。————あぁ、それと、」
もう話すことはないと、顔いっぱいに怪訝さを表している智也に対し、銀髪の彼は何かを思い出したかのように智也の方へと振り返る。
「修学旅行、行き先は京都だったよね?」
「?」
智也はそれがそれがどうした、と言いたげに彼を睨んだ。
「もし、右目に包帯を巻いている少年を見かけたら、彼女を近づけさせない方がいい。絶対に、だ」
それだけ言い残すと、彼は暗闇に消えていった。
先程まで彼がいた場所を眺めながら、智也は手を力強く握った。痛みを伴うほどに。けれど、皮膚に食い込むほど加えられた力に、智也は何も感じていなかった。
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