3-6 ——じゃない

 授業中だというのに、教室内はざわついていた。

 机の配置もいつもとは違い、教卓に背を向けているものもある。けれどそれは、決して彼らが反旗を翻しているわけでも、授業中に遊んでいるというわけでもなく、彼らは至って真面目に指示に基づいた行動をしていた。


「はい、全員集合」


 すでに机を合わせ、班のメンバーも集まっているにも関わらず、班長の関目が改まって召集をかける。ちなみに、ここでの班というのは、修学旅行でのものだ。

 関目は、どういうわけか声を潜めていた。


 班員の一人である久弥ひさやが「対中がいないけど」と、智也が向かった方へと視線を向けた。各班の班長が駆り出されたじゃんけん大会に、なぜか関目ではなく智也が差し向けられたのだった。その理由は単純なもので、関目が驚くほどじゃんけんが弱いから。

 本来班長である関目が行くべき場所へと智也を行かせておいて、その智也がいない状態で始めるのは気が引ける久弥が「いいのか?」と言葉を続ける。けれど関目は、気を遣う久弥の口を手で塞ぎ、静かにと自分の口に人差し指を当てた。そして、前回の反省なのかはわからないけれど、先ほど同様、関目は小声で話し始めた。


「俺は、見てしまいました」


「何を?」


 関目に合わせて、秋葉が声を落として訊ねると、乗ってきてくれたことに気を良くした関目が、その顔に笑みを浮かべる。


「この前、昼飯を食べていたときの話です。飯の途中で、あいつのスマホが鳴りました。対中はスマホを取り出して確認したあと、すぐに返事を返している様子でした」


「何であんな喋り方なの?」


「さぁ?」


 いつもとは異なる、謎の語り口調で話す関目に、秋葉たちがこそこそと疑問をぶつける。もちろん、それに答えられるのは関目だけなわけだけれど、彼は自分の話を早く聞いてほしいばかりに彼らの会話は全く眼中にない。聞こえていないだけかもしれないけれど、関目は話の続きを語る。


「誰から送られてきたのか、何て送られてきたのか、についてはわからないのですが。対中が打っている文章を、俺は見てしまったのです!」


「人のスマホ、盗み見るとか最低」


「見たんじゃない! んだ!」


 秋葉の疑いの目に、関目はムキになって「あいつも隠してる風じゃなかったし」と言い訳をする。その様が、さらに不信感を抱かせるのだけれど、ここでは一旦置いておくことにして。次に進めてもらおう。

 秋葉の冷たい視線を感じながら、関目は口を窄ませて一番伝えたかったことを口にする。


「対中の返信はこうだ。『桃が好きな花ね』」


「?」


「だから! 『桃が好きな花ね』って」


「うん。それは聞こえてる」


 聞こえてるなら、俺が言いたいこともわかるだろ! と言わんばかりに、言葉なく関目が主張する。けれど、関目が見たものに対して、関目が何を訴えたいのかわかる者はおらず、皆首を傾げていた。


「え、え、お前ら正気か?!」


「お前が正気じゃないんだよ」


「成瀬は? 成瀬は気にならないの?!」


 突然話を振られた莉李も、やはり首を傾げるだけ。さすがに、痺れを切らしたのか、関目が再び同じ言葉を繰り返す。「桃が、好きな、花。だよ!」と親切丁寧に区切って。


「彼女なんじゃないでしょうか?」


 その言葉を受けて、やっと主旨がわかった。

 それならそうと、最初からそう言えばいいのに、と秋葉や久弥が思ったところで、秋葉が関目の発言への疑問点を口にする。


「桃っていう男の子かもしれないよ」


「花が好きな?」


「別におかしい話じゃないでしょ。お花好きな男の人いいじゃない。好感度高い」


「お前の好みは聞いてねぇよ」


 そんな関目と秋葉の攻防を、他のメンバーは傍観していた。けれど、完全に気を抜いていたところに、再び関目が莉李の方へと視線を向ける。


「この件に関して、どう思われますか?」


 インタビュワーの如く、マイクを握っているような手を莉李へと差し出す。目の前に来たその手に戸惑いながらも、莉李は考える仕草をし、おずおずと手を挙げた。


「うーん……じゃあ、はい」


「はい、成瀬さん」


「気になることがあるなら、本人に聞くのがいいと思います。こそこそするのは、何だか悪いような気もします」


「俺が聞いたのはそういう話じゃないんだけど……でもそうですね。正論ですね。じゃあ誰が聞きますか?」


 問いを投げかけ、一人ひとりに視線を向けるのだけれど、その誰もが関目の方を見ていた。


「……はい。言い出しっぺが聞きます」


 渋々といった様子で、関目が承諾する。他のメンバーからすると、至極当たり前のような気もするのだけれど、関目は覚悟が決まらないようで、智也が戻ってこないのをいいことに話を続けた。


「でもさ、でもさ! あの劇の時だって、なんか慣れてるような気がした! 実際、触れてないにしろ、なんかこう……」


「あぁ。おこちゃまな関目くんには、早かったですかねぇ」


「ばっ!」


「どうした?」


 最後のシーンのことを言っているのだろうと、すぐに推測できた秋葉の揶揄いに、関目が身を乗り出そうとしたところに智也が戻ってきた。突然かけられた声に、そして心の準備ができていない段階での智也の登場に、驚きと動揺で関目は椅子から転がり落ちそうになる。それでも間一髪のところで智也が関目を支え、なんとか事なきを得たのだった。


「ほら! こういうとこ!」


 支えられている智也の腕を指差し、「ほら!」」と智也以外に訴えかける。けれど、そこにいる全員が、智也本人に聞くんでしょ、と目で語りかけていて、戻ってきたばかりの智也は、何のことを言っているのかさっぱりわからない。蚊帳の外状態だ。

 いざとなると聞きづらいのか、関目はなかなか智也に向き合おうとしなかった。秋葉や久弥に喚き立てるように、先ほどのことを含めて力説している。二人はというと、だから本人に聞きなよ、と取り合わない。

 そんな中、未だ関目が騒いでいる理由がわからない智也は、莉李の隣の席に腰掛け「何かあったのか?」と訊ねた。自分のことを話しているようだけれど、関目の様子を伺うに、彼を待っているよりは莉李に聞いたほうが早いと踏んだのだ。


「あー……えーとね。関目くんに聞いてもらっていいかな?」


「?」


 歯切れの悪い莉李の言葉に智也が首を傾げていると、久弥に押されるように関目が智也の前へとやってきた。それでもまだ、智也から顔を逸らし抗う関目に「何?」と智也がいつもよりも優しい声色で声をかけた。その雰囲気に誘導されるように、関目がおずおずと口を開く。


「……“桃” って誰ですか?」


 関目の声は思った以上に小さかった。まるで人見知りをする小さな子どもが、親から初めて会った大人に挨拶をしなさいと促されているときのようで。

 それでも、智也の耳にはちゃんと届いていたらしく、智也は驚いているような表情を浮かべていた。その表情についての弁解は、「勝手に対中くんのスマホ見たんだって」と秋葉が口を挟んだ。もちろん、「見たんじゃなくて、見えたの!」と躍起になって関目が否定する。


「あぁ、そういうことか。いや、別に怒ってないよ。桃は妹」


「え……」


 予想していなかった返答に、関目が固まる。その表情は、怒られなかった安堵と、驚き、そして残念そうな色が含まれていた。


「対中くん、妹いたんだ」


「え、じゃあ彼女は?! 彼女は別にいるのか?!!」


 何かを吹っ切ったのか、関目が秋葉の言葉を遮る。「別にいる」と関目が口にしたのはおそらく、劇のことを引きずっているのだろうけれど。何とも言葉のセレクトが弱いタイプなんだとツッコミたくなるところを、秋葉が何とか留まる。


「いないけど」


「え、え、じゃあ。じゃあ! 彼女いたことは!?」


 興奮状態で、智也にさらに迫ろうとする関目を久弥が抑えた。久弥の手で引き剥がされる関目を、目を丸くしながら見つめていた智也は、目線はそのままに「何これ。新しい遊び?」と困惑した様子で莉李に訊ねた。


「私が説明しよう」


 そう言って間に入ったのは秋葉だ。いつまで経っても本筋に繋がっていかない会話に痺れを切らしたようで、久弥に取り押さえられている関目を尻目に、説明を始める。


「関目くんが言いたいことはね。文化祭でやった劇のラストシーンで、対中くんがあまりにもスムーズに動いて見えたものだから、お子ちゃま関目くんは気になったらしいわけなのよ」


「お子ちゃまじゃない!」と関目から茶茶が入るけれど、秋葉は気にせずに続ける。


「そんな時に、“桃” ちゃんの名前を見ちゃったものだから。ま、それは妹さんだったってわけだけど。そういう色恋沙汰の話なんかをね、この機会に聞いちゃおうって」


 ねぇ、と秋葉が莉李に同意を求める。けれど、そんな話だっただろうか、と莉李は少し半信半疑に思いながらも、秋葉の勢いに押されてとりあえず頷いておいた。


「で、そこんとこどうなの?」


「いないって」


「今まで? 一度も?」


「悪い?」


「悪くはないけど……意外ね。対中くん、モテそうなのに」


 再び秋葉は莉李に同意を求めた。今回の内容に関しては、莉李も素直に首を縦に振った。別に今まで彼女がいなかったということについては、特に関心はなかったけれど、モテそうだというところに同意の意味を込めた。


「別にモテないけど。あと多分、その劇のことなら……妹が影響してるかも」


「どういうこと?」


「妹から、寝る前にほっぺにキスして欲しいって強請られてたから」


「……いや、欧米か」


 全ての謎が解けて、その答えがまたしても関目の予想を反していたことで、彼は不服そうにツッコミを入れた。

 不満に思っているのは関目だけで、女の子3人は、何だか微笑ましく智也を見つめるのだった。


「いやー、まさか対中がシスコンだったとは」


「は? シスコンじゃないし」


「いや、十分そうだと思うけど」


「妹が可愛いのは、一般常識だろ。シスコンとは違う」


「何その横暴な持論」


 智也と関目が謎の言い合いを始める。今回ばかりは関目に賛同する者が多かったのだけれど、誰も口出しはせず、傍観に務める。何とも平和な争いだと思うのだった。



「そうだ、一応さっき決まったこと伝えとく」


 関目との会話に終着点が見えないと悟った智也が、話題を変えるように持っていた紙を班のメンバーに回した。急に方向転換を見せた智也に、関目は不服そうな表情を浮かべていたけれど、班長の責任感からか、ここは大人しく席についた。


 智也の手には複数のプリントがあり、それを隣にいる莉李と秋葉に渡して、他のメンバーにも回すように依頼する。そして、最後のプリントを渡し終えると、それを受け取った莉李の手に視線を落とした。かと思えば、そのままその手を掴み、自分の目の高さまで上げた。


「お前、またけが増えてないか?」


「あはは。これはちょっとした不注意で」


 指に増えた絆創膏を見つめながら、真剣な面持ちで智也が問うのだけれど、莉李は笑ってごまかす。それは、心配をかけまいとする彼女の気遣いと、もまた、けがと言ってもいいものかどうか憚られるほどのものだからという2つの理由からだ。


「もうちょっと、自分にも気を配ってくれよ」


「……気をつけます」


「なんかさ……お前ら、やっぱりできてんの?」


「は? あ……これは違う!」


 関目の言葉に、莉李の手を掴んでいることに気づいた智也は、慌てた様子でその手を離した。


「秋葉先生、これはあれですね」


「えぇ。そう思ってました」


「何だよ」


 秋葉と関目の結託に、智也が不服そうな表情を浮かべる。そんな凄みも可愛く見えてくると二人は思いながら、智也にニヤリとした笑みを向けた。


「対中は天然タラシだ」


「レベル1というところでしょうね」


 こうして、この班の間では智也のあだ名が『天然タラシ』になったとか、ならなかったとか。

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