3-4 どちらでもない

「対中くんは、絶対成瀬さんに気があると思う!」


 休日の昼下がり。

 修学旅行の準備をと買い物に誘われた莉李は、美桜と秋葉と共にショッピングモールへと足を運んでいた。

 買い物は好調で、時間も忘れて歩き回っていたのだけれど、正午を過ぎて一段落した頃合いをみて、昼食もそこそこにカフェで休憩をしようと席につき、注文を終えたところで秋葉が冒頭の一言を口にした。


「文化祭の準備中から、みんな気付いてたよ! 気付いてないのは、当の本人くらい」


「そうかなぁ?」


「そうだよ! 成瀬さんのこと気にかけてる感じするし、気も許してるって感じだし」


「うーん……席となりだからかな? 話しやすいと思ってもらえてるなら嬉しいけどね」


「……成瀬さんは日頃、会長からのアプローチがすごいから。感覚が鈍ってるんだろうなぁ」


 同じようなことを、2年になって誰かにも言われたような気がする。誰だっただろうか、と莉李が考えている間も、秋葉は呟くように持論を展開していく。それは、莉李や美桜に聞かせることが目的ではないのか、まるで独り言のように囁かれる。

 三人いるにもかかわらず、一人で話している秋葉を不思議そうに見つめながら、店員さんが三人の席へと注文したものを届けにやってきた。さすがの秋葉も大人しくなったところで、目の前に料理が置かれていく。莉李はホワイトソースのかかったオムライス。美桜と秋葉はそれぞれ、ミートドリア、魚介類がたくさん乗ったパスタを選んだようだ。

 束の間の静寂も、店員さんが席を離れるとすぐ、再び口を開いた秋葉によって消え去る。


「会長とはそういう関係じゃないって言ってたけど、会長からそういう話出たことないの?」


「そういう話?」


「付き合おう、とか」


「ないよ」


 秋葉の問いかけに、莉李は呆気らかんとして答える。

 けれど、問うた側は「本当に?」と言いたげな表情で、莉李を見つめていた。再三同じことを訊ねられ、その問いに対する解答への反応も幾度となく同じものを莉李は見てきた。何度否定しても信じてもらえないのはなぜなのだろうか、とその答えを教えてもらいたいと思うほど。そもそも、付き合う以前に、好きだという言葉すら聞いたことがないのに。


「でも、会長ものんびりしていられなくなったよね」


 パスタを巻きながら、秋葉はまだこの話題について離れられずにいた。


「だってさ、編入生がきて、しかも席も隣で……なんて、少女漫画の王道でしょ! 近くにいる二人は、時を共にしていくにつれ、自然とその距離もどんどん近づいていって……」


「秋葉さんって面白い人だね」


「スイッチ入ると、いつもこうなの」


 一人盛り上がりを見せる秋葉の影で、莉李と美桜が小声で会話をする。実は三人とも、1年の時からクラスは一緒だったのだけれど、莉李と秋葉に接点はなく、ほとんど話したことがなかった。美桜は、係りか何かが同じになったことがあるらしく、彼女のこのについてすでに知っていたようだ。

 そう。彼女は一度スイッチが入ってしまうと、周りが見えなくなるのだ。それについては、文化祭準備中から垣間見られていたので、莉李も少しずつ免疫がつきつつあった。

 秋葉の妄想癖というか、空想癖というか。自分の世界へとトリップした状態では、こちらが何を言おうと聞こえるはずもなく。それでも楽しそうにしているので、そっと見守ることに徹するのだった。これも学びの一つだ。


「対中くんは、会長とは違ったストレートさがあるから。会長からのに慣れている分、逆に効果あり? あ、でも……もしかして!」


「?」


「あれか! 会長の受験が終わったら、とかって約束してるとか!」


 閃いたと言わんばかりに、秋葉は前のめりになり目を輝かせた。

 急に秋葉が大きな声を出すものだから、美桜が驚いたように目を丸くさせ、ビクッと肩を震わせる。莉李はというと、秋葉が口にした単語に、心が少し曇っていくような感覚を覚えた。けれど、表に出るほどではなく————否、意図的に隠すように、莉李は頭の中でその言葉をシャットアウトした。

 そんな莉李の気持ちなど知る由もない秋葉が、さらに言葉を続ける。


「実はすごくストイックな人で、受験が落ち着くまでは勉強に集中したいとか……」


 その言葉には、莉李も思わず反応を示した。吹き出すように笑った衝撃で、口に運ぼうとしていたスプーンからオムライスを落としそうになり、間一髪のところで堪える。そんな莉李の様子を、美桜と秋葉が見つめていた。自分の行動と、急に視線が集中したことが恥ずかしかったのか、莉李は照れ隠しのように咳払いをする。


「あ、ごめんね。先輩に限ってそれはないかなと思って」


「それも偏見か」と莉李は頭を掻く。

 けれど、莉李の意見に賛同するかのように二人が頷いていた。その様子がおかしかったのか、莉李は眉を下げて笑った。


「でも、会長って不思議な人だよね。頭いい人ってちょっと変わってるところあるけど。それは置いといたとして……泥臭いの好きじゃなさそうだし、努力を人に見せそうなタイプでもないし」


「どれもわかる気はするけど」


「けど?」


「意外としっかりしてるし、集中力とかもすごいから。尊敬できるところはあるんだよ、あれでも」


 最後の言葉は、茶化すような口調で紡がれた。けれど、全体を通して、莉李の口調はとても柔らかかった。それはいつもと同じようでいて、いつも以上に彼女の優しさがにじみ出ていた。

 そんな莉李の横顔を、秋葉が驚いたように目を丸くして眺めていた。

 その表情、雰囲気、声色————その全てから、彼女が紫希に抱いている感情が窺えるように思えた。


「成瀬さんって……」


「ん?」


「ううん、やっぱりいいや。ことに興味ないのかとも思ってたけど、単なる無自覚さんみたいだから」


 一人納得したように頷く秋葉に、莉李は首を傾げた。

 そのまま美桜に視線を移したけれど、美桜もさっぱりというような表情を浮かべているだけだった。


「そうか。そうなると、対中くんは片想いというわけだ」


「え、そこに戻るの?!」


「そりゃあね」


 さも当たり前とでもいうような口調で、秋葉が口にする。けれど、秋葉は慌てたようにすぐさま「でも気にしないで」と付け足した。


「私はどちらかというと、実らない恋を応援したい派だから。————って、それを決めつけるのも良くないか。何が起きるかわからないし。物理的に近くにいる方が有利な点もあるけど………一緒にいた時間って言えば、会長に利があるわけだし…」


 またしても、秋葉が独り言のようにぶつぶつと早口に語り始めた。誰も口を挟むものがいない————というよりも挟めないと言った方が正しいか————ため、秋葉の独壇場は続く。


「いや、でも修学旅行もあるし、まだまだ対中くんにも可能性はあるか? それに卒業しちゃったら、なかなか会えなくなるだろうし」


「それでも、会長なら毎日でも会いにきそうだけど」と、やはりよくわからないことを呟く。

 “卒業” という言葉を耳にした莉李は、再び固まった。今日は、その手の言葉に非常に過敏になっている。気にしたところで、どうにもならないということはわかっているのだけれど、何だかんだでまだ文化祭あの時のことを気にしているのだった。


 そんな莉李のわずかな異変は、二人には気づかれてはいなかった。

 その時、二人は莉李の方を見ていなかったから。というよりは、秋葉が美桜に迫っていたのだ。


「美桜はどっち派?」


 急に自分のところへ注意が向けられたことに、美桜は目に見えてあたふたしていた。

 その様子を気にする気配もなく、秋葉は「会長と対中くん、応援するならどっち派?」と付け足した。


「あたしは……どっち派でもない、かな?」


「お、美桜はあの二人でも納得いかないと」


「そういうわけじゃないけど……」


「あ! 食べ終わったら、ここ見に行きたいんだけど。行ってもいいかな?」


 明らかに困った表情を浮かべる美桜に、すかさず莉李が救いの手を差し伸べる。

 少し強引に話題を変えた莉李の言葉に、質問攻めをしていた彼女も嫌な顔を見せることなく、むしろ表情をパッと明るくさせた。「ここ、私も行きたいと思ってたの!」と。


 それならば早く昼食を終えてしまおうと、秋葉が目の前のパスタに目を移したタイミングで、美桜は莉李にアイコンタクトを取った。その表情からは「ありがとう」と言っているように読み取ることができた。それに対して、莉李は首を振る。

 元はと言えば、話の発端は自分のせいで。それに美桜を巻き込んでしまった罪悪感と、莉李も早くこの手の話題から逃れたかったというのが本音で。だから、美桜からお礼を言ってもらう立場にはないと思うのだった。










 昼食を終え、次なる目的地へと足を運ぶ。

 莉李たちが行きたいと言っていたお店は、先ほどまでのショッピングモールからそれほど離れてはいなかった。ショッピングモールを出て、大通りを真っ直ぐ歩いて、三つ目の信号を左折したところにお店はある。

 休日ではあったけれど、時間帯なのか歩いている人はまばらで、歩きにくさも感じない。強いて言うなら、大通り沿いにある個人経営のお店が工事をしているらしく、足場などの機材が置かれていて、その区画だけ通路が狭くなっていることくらいだろうか。それも、そこまでストレスを感じるものでもなく、何よりその先にある楽しみに、三人の足取りは軽かった。


「うわっ!」


 突然、どこからか声が聞こえた。聞こえたような気がした。

 けれど、それを確かめる間もなく、莉李たちのすぐそばに衝突音が鳴り響く。




「大丈夫ですか?!」


 近くにいた作業員の人が三人に声をかけるまで、彼女たちは何が起きたのか理解できていなかった。様々な衝撃に、三人は声も出ない。


「けがはないですか?」


 三人の安否を確認する声に、少しずつ落ち着きを取り戻し始めた彼女たちは、辺りを見渡した。

 三人は、工事中で狭くなっている通路を歩いているところだった。そこは、他の歩道よりも狭くなっていて、一人ずつしか通れないほど。その道を、秋葉、美桜、莉李の順で歩いていた。

 最初の声は、美桜がその地点を過ぎたところで聞こえた。そしてその直後、美桜の後ろ、つまり莉李の目の前に金属が硬い物質に当たった時に響く音を立てて、大きな何かが落ちてきたのだった。

 落ち着いて見てみると、それは足場の一部で、高さを作るものではなく、それこそとなる部分の部品のようだ。


「あ、えーと……大丈夫です」


 いまだに戸惑いを隠せない莉李は、それでもかけられた声に返答した。

 不幸中の幸いというか、莉李たち三人に落下物が当たることはなく、その時、その場にいたのも莉李たち三人だけだった。

 莉李たちのそばに寄ってきた作業員が、莉李の返事に再び謝罪の言葉を口にしたかと思うと、すぐさま頭上へと顔を上げた。


「おい! 気をつけろ!」


「すみません! 何かスルッとんですよ」


「何、訳わかんないこと言ってんだ!」


 怒号が飛び交う中、上にいた人も急かされるように下りてきたかと思うと、謝罪を繰り返した。不注意には変わりないのだけれど、誰もけががなかったのだから、さすがにこれ以上謝られるのは逆に申し訳ないような気もしてくる。

 その気まずさを一蹴するように、莉李は困ったように眉を下げ、「何事もなくてよかったです」と口にした。

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