2-6 指きり、それは過去に未来に

 文化祭では、学校全体がお祭り会場と化す。

 莉李たちの教室がある校舎はもちろん、紫希たちの教室がある棟も例に漏れない。また、各教室がある校舎だけでなく、少し離れた場所に位置する体育館も、この日は全面的に開放されていた。

 莉李たちのクラスの出し物は、体育館に設置されたステージで行われる。

 そのステージでは、軽音部がライブをしていたり、他にも様々な催しがスケジュールを組んで企画されていた。

 ちなみに、莉李たちのクラスは最後から二番目の出演予定だ。


「対中くん、どうしたの?」


 先に会場入りした智也たちは、邪魔にならない程度に準備にとりかかっていた。

 そんな中、ステージ横でスタンバイしている学生を気にしつつ、度々客席に目を移す智也に、脚本担当の秋葉あきはがたまらず声をかけた。


「もしかして、成瀬さん探してる?」


「は?」


「あ、図星?」


「違うし」


 秋葉の言葉を智也はすぐに否定する。けれどその一瞬に、智也が微かに表情を崩したことを秋葉は見逃さなかった。

 そんな小さな動揺の色に、なるほどと一人相槌を打ちながらにやけている秋葉を、智也が睨み付ける。智也の威嚇するような態度も、事実を知っていれば怖くはない。


「向こうの仕事があるから、こっちには顔出せないんじゃないかな? それとも約束してるとか?」


「だから、そんなんじゃねぇよ」


 あくまで白を切る智也に、お見通しとでもいうのか、もしくは単に秋葉がしつこいだけなのか、決めつけたように智也に訊ねる。

 そんな秋葉の問いを先ほど同様に否定しながらも、智也は秋葉から顔を背けると、無意識に右手の小指に視線を落とした。

 “約束” という言葉が反芻する。と同時に、智也は昨日のことを思い出していた。




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————————




「明日の予定は?」


「え?」


 唐突に訊ねられた言葉に、思考が追いつかない様子の莉李が頭を傾げる。

 明日は集合時間が指定されているため、いつもより早く家を出る必要があり、そのあとは副会長の九条から最後の指示を受けて……なんてことを考えているうちに、目の前にいる智也が頭を掻き、その動作の影を見た莉李が目線を上げた。目が合った智也はバツが悪そうに補足する言葉を足す。その説明でやっと理解できた莉李は、気を使ってもらったことに照れくさそうに笑みを浮かべた。


「明日は生徒会の方の仕事で、一日見回りしてるよ」


「それって一人?」


「ううん、今年は同学年の子と二人」


「そうか」


 なぜか安心したようにため息を漏らす智也に、再び莉李が今度は小さく頭を傾ける。


「あ、でももしかしたら劇は見に行けるかも!」


「?」


 何やら嬉しそうに声を弾ませる莉李に、智也は目を丸くする。

 予想していなかったところから言葉がかかり、彼の思考が一瞬停止する。その間も莉李は笑みを絶やさない。そんな莉李の顔を見ていると、思考回路を止めていることがバカらしく—————いや、冷静になり、すぐに莉李との間で語弊が生じていることに気づく。


「あ、いや。俺は別に来てほしいとかじゃなくて……」


 むしろ、そのことに恥ずかしさを覚える智也は、その言葉を濁す。今まで散々練習風景を見られているというのに、彼の中ではそれはまた別ということなのだろうか。

 智也の心情がどちらなのかはさておき、莉李にはそんな智也の想いは届いていない。困惑する智也の目の前で、嬉々として明日の予定について口にする。


「あ、約束しよう!」


 思い至ったかのように、突然莉李は小指以外を折り曲げて、智也の前に差し出した。

 そんな莉李の行動にも、智也は驚きを隠せない。またしても理解が追いつかず、言葉も行動も何一つ体が満足に動かない。

 すぐに反応がないことに、そして智也のその表情にさすがの莉李も我に帰ったのか、慌て始める。


「ご、ごめん。もうこんなことする年でもないか」


 莉李は恥ずかしさを隠すように、手を元に戻そうとした。けれど、その行動は智也によって阻まれる。

 次に目を見開くのは莉李の方だった。

 莉李が手を引くより少し前に、智也の小指が莉李のそれに絡み、本来の目的を為す。それにより、莉李は差し出した手を戻すに戻せなくなったのだった。


「ほら」


「え?」


「ん」


 智也はそれだけ言うと、目線で指先を指し示す。ぎこちなく触れる指を見つめながら、莉李は少しの間、智也の意図を考えていた。そしてその意図に気がつくと、お決まりのあのセリフを口ずさむ。

 周囲は、各自の作業で多忙を極めていたので、二人のことなど気にしている様子はなかったけれど、心持ち声のボリュームは落としていた。

 最後の言葉を口にし、二人が指を外すと、莉李の笑顔とは裏腹に、智也は少しだけ顔を赤らめているように見えた。


「もしかして、妹さんと指きりしたりする?」


 智也の意外な行動に、以前智也の口から聞いた言葉を思い出し、思い切って訊ねてみた。

 莉李の言葉に、微かに肯定する言葉を返す智也。けれど、それはすぐに否定された。


「もう、今はできないけどな」


「? できない?」


「あぁ。妹はもういないんだ」


 智也はそれだけ口にすると、莉李から視線をそらした。窓の外に視線を走らせているような、けれど、その視点はどこに定まっているのかは判然としない。

 ただ、その横顔が何だかとても切なくて、莉李はかける言葉を見つけられなかった。

 莉李からの反応がないことに気づいた智也が振り返ると、莉李は悲しそうな、それでいて申し訳なさそうな表情を浮かべていた。

 それを見た智也は、眉を下げ、小さく笑みを浮かべながら、莉李の頭に軽く手を置いた。


「あんたが気にすることじゃない。それより、忘れんなよ」


 そう言いながら、右手の小指を莉李に見せ、もう一度念を押した。

 そして、何やら呼ばれているからと、急ぎ足にその場を後にした。

 もちろん、あの約束を強要することが目的ではなく、気を使ってくれたということを莉李も気がついていた。




————————————————

————————




「何で俺、あんなことしたんだろ……」


 独り言のように呟きながら、智也は右手を見つめていた。

 いっそ夢ならよかったのに、と思うのだけれど、微かに残る柔らかい髪の感触が、その現実を突きつける。


「どうしたの?」


「いや、違う。あれは、頭の位置がいもう……との…」


 焦ったように、弁解をしはじめた智也だったけれど、秋葉と視線が合うのと同時に冷静さを取り戻したのか、表情を戻すといつも通りの口調で「何でもない」と口にした。

 いつもの無表情が崩れ、明らかに動揺の色を見せる智也に、秋葉は面食らったような表情を浮かべた。けれど、智也が落ち着きを取り戻すのと合わせて、その表情は笑みへと変わる。

 この数日、練習を通して彼と接する機会が増えたことで、智也の人となりに触れ、彼もいろんな顔を見せてくれるようになった。そして、普段無表情な智也は、あまり表情が変わらないように見えるだけで、実際はポーカーフェイスには向かないのだということも理解していた。おそらく秋葉だけでなく、クラスメイトのほとんどがそのことを認識しただろう。


「来てくれるといいね」


「……何の話だよ」


「うんうん。いいのいいの。こっちの話だから」


 何やら意味深に頷く秋葉に、智也は訝しげな表情を浮かべるしかなかった。

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