2-4 時、移ろう
文化祭の準備というのは、時間が足りないものだ。
こだわり始めれば際限はないけれど、そんなことを言っていられる余裕もない。
入学してすぐ、そして1ヶ月も準備期間がないという慌ただしい日程の中、本番を明日に控え、すでに準備は大詰めとなっていた。
教室内だけでなく、廊下にも所狭しと道具やら、作成する学生やらが溢れている。
「おぉ!」
「すごい! ちゃんと、ぽく見える!」
最終調整に入っているのは、莉李のクラスも同じだ。
それぞれの衣装の最終版ができたとのことで、早速袖を通してみようということになり、役ありの学生が担当の衣装を手に取り更衣室へと向かっていく。
微調整のためにこれまでに何度か着ている衣装なので、補助は必要ないのだろう。各自、自分のペースで目的地へと向かい、そして、着替えが終わった学生から教室内へと戻ってきた。役により、衣装の着やすさが異なるため、何度着ていたとしてもその差は埋まらない。それに試着後、さらに調整が必要な場合、時間差を設けてもらった方が衣装係も仕事がしやすいというものだ。
そうして、各自担当の仕事をしていたのだけれど、智也の登場により、一同が手を止め、そちらに目を走らせた。
「王子様だ!」
「本物だぁ!」
様々な場所から聞こえる声。もちろんその渦中の人物は、声にいい反応を示さない。
衣装が変わり、見た目は完全に王子のそれと化しても、表情は相変わらず、と言ったところだ。
「ちょっとその衣装のままリハやってみようよ! 最後のところだけでもいいからさ!」
人一倍テンション高めにそう言い出したのは、台本担当の女子学生だ。
それに対しても、嫌な予感しかしない智也だったけれど、こういう時の行動力は目を見張るほどすでに他のクラスメイトたちが準備に取り掛かっている段となり、断れる雰囲気ではない。それに今更、と思う気持ちもあり、半ばヤケクソぎみに配置へと向かう。
「じゃあ、最後のシーンいくよ! 白雪姫が目覚めてから、王子が言葉を発するところ。あ、そこは片手を差し伸べた状態で跪いて」
「は? そんな演出……」
「早く!」
完全にスイッチが入ってしまっている台本担当の彼女が、智也相手に有無を言わせない物言いでねじ伏せる。
もう何度目かのその光景に、誰も口を出さない。智也もそのまま口を閉ざし、先ほどの指示の通りにしゃがみ込む。
白雪姫役の子に向けて右手を差し出し、台本通りのセリフを。
たった一言。長くないたった一言を発しただけなのに、教室内から歓喜のような悲鳴が響いた。それは、廊下に溢れ、このフロア一体に響き渡るほど。
「王子だ……」
「すごい、王子様だ…」
「お前、さっきからそれしか言ってないぞ」
「語彙力」
そんな揶揄いのような会話がなされる中、一瞬呆けていた学生たちが、嬉々としてさらに智也にリクエストを追加する。それは明らかに無茶振りも含まれていて、智也のこめかみがピクリと動く。
遠巻きに見ていた莉李は、苦笑いするしかなかった。
————————————————
————————
「お疲れ様」
「……あぁ…」
衣装もろとも解放された智也が、自席へと戻ってくる。
その顔には明らかに疲労の色が窺えて、何だか糖分を与えたくなる。智也が、甘いものを得意とするかは知らないけれど。
「ところでさ、」
「?」
ほっと一息ついたかと思うと、智也の表情が変わった。それは、いつものようなというよりは、何だか呆れているような、それでいて訝しんでいるようなそんな表情。
どうしたのだろうか、と思いながらも莉李は続く言葉を待った。
「ここの生徒会長って、いつもあぁなのか?」
「えーと、うん?」
首を傾げる莉李に、「悪い。抽象的すぎたな」と智也が苦笑いを浮かべる。
そんな智也の表情に、莉李もつられるように眉を下げた。
「何というか…ちゃらんぽらんとしているというか」
「ははっ」
眉間にシワを寄せ、言葉を選んでいるようなそぶりを見せるのに、実際に発している言葉は何ともストレートだ。その矛盾がおかしく、莉李は思わず吹き出してしまう。
「そうだね。大体そんな感じ」
「そんなんで大丈夫なのか? というか……」
「?」
莉李は再び頭を傾けた。今回は本当に理解できていない様子でさらに眉を下げる。
そんな莉李に、智也はなぜか謝罪の言葉を述べた。本当に口にしたかった言葉は、莉李に聞いたところでわからないだろう、と呑み込む。その代わりに「悪い、忘れて」と付け加えた。
「わかんないけど、」
「?」
「多分大丈夫だってわかると思うよ」
智也の目を真っ直ぐに見つめ、迷いがないかのようにそう口にする。あとの言葉から、先に出た「わからない」という言葉の意味はおそらく智也が考えている内容と合致するかはわからないという意味なのだろう。
そんなことがわかったところで、莉李の言葉の意味を理解できずにいる智也は、眉を歪ませたままだった。
***
「どうしたんだ?」
隣を歩いていたはずの紫希が足を止め、進行方向とは別の方へと視線を送っていた。
九条が声をかけても反応を示すそぶりも見られない。
生徒会も明日に向け最終確認に入り、いつものことながら九条としては早く作業を終えて生徒会室に戻り、他の業務に取り掛かりたいという気持ちがあった。
にもかかわらず、そんな九条の考えなど知る由もない紫希が立ち止まったまま動かない。
九条はため息をつき、彼のいる地点まで足を戻した。
「あぁ、成瀬のクラスか」
「……」
「同級生と一緒にいる時の成瀬はまた印象が変わるな」
何気なく口から出た言葉に、紫希の眉が動く。
「それ、どういう意味?」
紫希の声色が、いつもよりも低く響く。
けれど、そのことに気づいていないのか、九条は訊ねられたことに真摯に回答する。
「こっちの方が年相応に見える」
「九条はどこにいても、成人済みに見えるよね」
「……その言葉の意味次第では、お前の仕事が増えるが?」
「も、もちろん褒めてるよ! 当たり前でしょ。これ以上、仕事はしないからね!」
饒舌に、それでいて視線が彷徨っている姿に、九条がおかしそうに鼻で笑う。
「それならば」と、さっさと仕事を終わらせてしまおうと歩みを進める。
「……年相応、ね」
そんな紫希の呟きは九条に届くわけもなく、いまだ動く気配のない紫希を振り返り、「急ぐぞ」と声をかける。
「あ、あの」
紫希がやっとのことで九条と歩みを揃えたところに、声がかけられる。
二人の目の前には同じ人数の女子学生が。この階にいるということは、2年生だろうか。
「会長、明日お忙しいとは思いますが……もしお時間できたら、ぜひいらっしゃってください!」
二人のうち一人が紫希に、手に持っていた紙を渡す。
渡すことに精一杯で、その女子学生は紫希の顔を見ることができない。
最初こそ驚いたように目を見開いていた紫希だったけれど、目の前の彼女からその紙を受け取ると、「ありがとう」と告げた。
「時間見つけて、行けるようにするね」
「わぁ! ありがとうございます!!」
「失礼します!」
任務を達成した彼女たちは、頭を下げると、足早に自分たちの教室へと戻っていく。
そんな二人の背中に手を振りながら、紫希は「本当は九条にも声かけたかったんだよ。彼女たち」と口にした。
「? そんなそぶりは見られなかったが?」
「だって九条、顔怖いもん」
「……どうやら仕事を増やしてもらいたいらしいな」
どうしても余計な一言を口にしてしまう紫希に、九条はとうとう決断を下す。
紫希は慌てて謝罪やら弁解やらを口にするけれど、九条は我関せずを貫き、早足に歩みを進める。
意外とそういうことを気にしているんだね、という明らかに九条の機嫌を悪化させる一言は、さすがに呑み込んだ。
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————————
「じゃあ、ちょっと行ってくるね」
クラスでの役割を終え、生徒会の方の仕事に向かうべく、莉李が教室のドアを開ける。
「会長来てくれるかな?」
「忙しいとは思うけど、ちょっとでいいから来てほしいね!」
教室を出るとすぐ、何やら盛り上がりを見せる学生に遭遇する。
二人は莉李に気づく様子もなく、二人の世界を楽しんでいた。
「会長に着てもらいたい衣装いっぱいあるもんね!」
「誰とペアで巡回してるんだろ?」
「あ、今ペアの人にもって思ったでしょ?」
「そりゃあね。副会長となら海賊っぽいのもいいし、スーツも絶対かっこいい!」
「遠野先輩となら……軍服着せたい! 吸血鬼とかもいいなぁ」
「いいね、いいね! 楽しみだなぁ」
意図せずそんな会話が耳に入り、莉李はここ最近紫希に会っていないことに気づく。
あれだけ毎日顔を合わせていた相手と会わなくなるというのは、何とも形容し難い感情を作った。
明日も会えるかわからない。
広い校舎、普段よりも人が増えるこの場所で、遭遇できる確率の方が低い。何より、明日の二人のスケジュールは、謀ったかのように違う方向を向いていた。
不意に、1年後の卒業の日が思い浮かんだ。
脳裏に浮かんだその言葉に、莉李は胸が締め付けられる感覚を覚えた。
「先輩、元気かなぁ」
ふと、九条に怒られている紫希が脳内に浮かび、笑いそうになるのを咳払いで一蹴した。
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