2-3 妄想の先に、本音

 その日、紫希は不機嫌だった。

 いや、この日に限ったことではない。ここ数日、彼の機嫌がよくないということはクラスメイトや生徒会メンバーの誰しもが認識している事実だった。

 彼のその手の感情は、元々誰が見ても明らかなのだけれど、それは纏う雰囲気もそうだし、何より紫希が机に長時間向かうようになるため、より明白となる。

 彼の不機嫌の理由は忙しさにあった。けれど、ただ忙しいからといって真面目に仕事をするタイプでもない。

 そんな紫希がなぜ……その理由はただ一つ。そこに莉李彼女がいないからだ。


「ねぇ、今日も莉李ちゃんいないのー?」


「クラスの方の準備に顔を出すと連絡を受けている」


「どうしてー? 昨日も生徒会室ここに顔出さなかったし、それならせめて一緒に帰ろうと思ってたのにつかまらないし。朝だって……」


 不満を口にしながらも、手を動かすことはやめない紫希の姿に、九条が微笑ましい視線を送る。

 ただ、その言動については、理解できないことが多く————に関して、理解できたことはないけれど————いつものことながら、何からつっこめばいいのかがわからない。

 後半は、度を越すと莉李に訴えられかねない発言もあったけれど、敢えて触れるまい。


「それに、やっぱり嫌なんだよね……」


「何がだ?」


「莉李ちゃんの白雪姫……」


 紫希の言葉に、九条は真面目に取り合った自分を悔いた。

 何をいまだに誤った状態で変換しているのか。話を聞いていなかったのだろうか。と、普通であれば開いた口が塞がらない状態だったかもしれない。

 九条がそうならないのは、慣れているから。いや、むしろ眉間にシワを寄せる方へとシフトしたのだった。


「まだ言ってるのか。それなら、いっそ何ちゃら喫茶の案を採用すれば良かったか? そうすれば、成瀬のメイド姿が拝めたぞ」


「メイド…メイド服を着た莉李ちゃん……」


 その言葉に、紫希の手が止まる。

 紫希の表情に再び、今度は別の意味で後悔することになる九条の気持ちなど露知らず、そして、そんな九条の懸念はあっという間に現実のこととなる。

 単に話を逸らし、減らない仕事の山を削ってほしかっただけだったのだけれど。逆効果だったようだ。九条の次なる言葉は、もう紫希には届かない。

 九条がメイドという言葉を口にして、まだ1分も満たないというのに、彼の脳内はすでに莉李のメイド姿でいっぱいとなる。


 まず紫希が想像したのは、ミニスカートのメイド服だった。

 夏の制服と同じ袖に膨らみのある半袖に、前掛けエプロンのようなスカート。ニーハイを履いて、髪型は高い位置でツインテールに……

 紫希の妄想はそこで物体を移動させる。紫希は教室のドアの前に立っていた。その場所にはとても見覚えがあった。紫希は躊躇いもなくそのドアを開ける。

 ドアを開けた瞬間、開けた本人も、その先にいた人物も目を見開き固まった。


『え……莉李ちゃん、』


『先輩、急に入ってこないでください。……て、何ですかその顔。似合っていないって言いたいのかもしれませんが、その手の苦情に関しては…』


『似合ってる!すごく似合ってるけど……その格好で出ていくのは賛同しかねるね』


 とそこまで考えてみて、首を振る。

 自分だけのために着てくれるならまだしも、誰が見ているのかもわからない中、そんな格好の彼女を野離しにはしておけない。というより、自分以外の視界に入れさせたくない。ありえない。


 それでも懲りずに、別のパターンも考えてみる。脳内では、自分以外に見られる恐れもないので安心して妄想に耽る。

 今度はロング丈のワンピースで、袖も長いものにして、出来る限り露出がないように。彼女の性格に合うように、清楚なイメージで。

 ワンピースの上からエプロンを着せた、よく見るタイプのメイド服。

 髪型は一つに編み込んで、頭にはブリムをつけても可愛い。ホワイトブリム。間違いない。

 そして、の校舎に足を運んだ彼女にこう訊ねるのだ。


『あれ、莉李ちゃん。どうしたのこんなところで。あ、もしかして売り子してるの?』


『あ、いえ…その……先輩に会いたくなって…』


『え……』


 そこで妄想が終了すると、紫希は口元を手で隠した。けれど、覆ったのは口元だけで、目尻を下げたその部分は表に出ているため、彼がことを考えているのは一目瞭然だ。

 その内容について、敢えて触れる必要もなければ興味もない九条は、彼が現実に戻るのを待った。

 けれど、予想に反して紫希の帰還は早かった。緩んでいた表情を戻し、反対に浮かない顔を作りあげる。


「どうした?」


「うーん……可愛いことには変わりはないし、そりゃあもう最高なんだけどさ」


 惚気のような言葉に、「よかったな」と心の中で口にする。

 他に何を望むことがあるのかと、九条は思ったままの疑問を紫希に訊ねた。


「好みじゃなかったか?」


「あ、九条は想像しないでね!絶対だめ。想像したら皆に、九条はムッツリだってことバラすから!」


 牽制と、謎の暴露を脅迫してくる紫希に、九条は呆れて言葉も出ない。

 それを否定するのも時間の無駄だというように、ため息をつく。


「お前の成瀬に対する感情はよくわからん。そんなにそばにいたいなら、付き合えばいいだろう」


 九条はずっと思っていた疑問を、初めて紫希にぶつけた。

 関係が進めば、苛つく原因となっている要因は除けるのではないか。

 そもそも側から見たら、一般的なその人たちとさして違いがないような二人なのに————その場合、莉李のツンが強力だけれど————一向に進展を見せない。

 紫希からも、進もうという気概が見られないことも謎だった。


「別に俺、莉李ちゃんと付き合いたいわけじゃないから」


「? そうなのか?」


「うん」


 なんとも簡素に返された言葉に、九条は拍子抜けする。

 その口調も、その表情からも嘘を言っているようには見えず、だからこそ余計に頭を悩ませた。


「そうか。いっそ妹設定とかの方がよかったのかもな」


「え……妹?」


「妹なら、家に帰れば会えるぞ」


「それは何……実は血がつながってませんでした、的な設定でってこと?」


「……いや、それは何でもいいが」


 そこまで深い考えもなく、ちょっとしたノリで口走ってしまった内容に、予想を超えて食いつきがいいことに、九条は戸惑いを隠せない。何より前のめりすぎる返答に、正直ドン引きだった。

 けれど、紫希は紫希で、九条の返事が気に入らない様子だ。


「何でもはよくないでしょ!だって妹は妹であって、妹以外の何者にも…」


「お兄ちゃん、と呼んでもらえるとしても?」


「……お兄ちゃん?」


 仕事に対するやる気をなくさないために相手をしていた九条だったけれど、早くも飽きてきたのか、返答がすでにおざなりになっている。

 視線すらもはや紫希ではなく、手元の書類に向いていた。


 そんな九条の様子を気にすることなく、紫希は再度自分の世界へとトリップする。

 もはや、考えていることは言わずもがなであり、行き着く場所も同じであるため割愛させてもらう。


「最高じゃん……」


「よかったな」


「でも、ダメだよ九条!」


「?」


 いつも以上に感情の起伏が激しい紫希に対し、落ち着いた様子の九条が、何やらまた訴えを始めた紫希に目だけを向ける。


「そんな可愛い妹、絶対誘拐されちゃうじゃん! そんなの心配すぎて、おめおめと外になんて出せない。そしたらもう閉じ込めておくか、一日中見守っていないと。え、どうしたらいいの? どっちがいいの?」


「どっちもない」


 どちらも犯罪の香りがするのに、彼が言うと余計にその匂いが濃くなる。

 それでも、当の本人は大真面目に言っているのだから、笑うに笑えない。


「お前の好意それは、一体どこまで本気なんだ?」


「ん? 俺はいつでも本気だよ」


「あぁ、そうだな」


「即レス! 信じてないでしょ」


 信じるも何も、と思いながら、時計を一瞥する。

 体感よりも時間が経っているという事実に、顔には出さないけれど、内心舌打ちをしたくなる。


 九条は目の前の書類仕事と紫希を交互に見ると、ざっと頭の中で計算し、その山から半分ほどを紫希の机に置いた。

 あとは無言の圧力をかけると、いまだ喚いている紫希を黙らせることに成功する。

 ひとまず、今日終わらせておきたかった仕事は片付くなと思うと、あのな時間も必要だったのだと思えた。思うことにしたのだった。

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