2-2 垣間見える素顔、そして
グラウンドから威勢のいいかけ声が聞こえる。
それは野球部だったり、陸上部だったり……ウォーミングアップを終え、本格的な練習へと切り替わったと思しき運動部の声だ。
それに混ざって、金管楽器のロングトーンも鼓膜を振動させる。
帰りのHRが終わり、部活に入っている学生は各々所属する部活へ。部活動をしていない学生、活動日ではない学生たちは、帰路につく。
まばらにしか人がいなくなった校舎を、急くように駆ける女子生徒が一人。
ここで一つ注意したいのは、皆さんご承知のとおり、廊下は走ってはいけないということ。
しかし、彼女は大変急いでいるのか、普段は絶対にしないことをしていた。息を切らし、歩き慣れた道のりを駆けていく。
「ごめん、お待たせ」
教室にたどり着くなり、そう口にした。
思っていたよりも教室に人が残っていたのだけれど、それでもお目当ての人物はすぐに見つかり、彼の元へと歩みを進める。
その姿を目にして、彼が自分のことを待っていてくれたことに、内心安堵していた。
智也に近づき、再度謝罪の言葉を伝えるけれど、それに対する返事はない。
それはもはや彼のデフォルトであり、決して怒っているわけではないということがわかってからは、以前よりも気にならなくなった。
「さて、じゃあ寸法させてもらうね」
急遽担任から頼まれ、受け取ってきたプリントを机の上に置くと、代わりにメジャーを手に取る。
楽しそうな莉李とは裏腹に、智也はいつもと変わらない表情で、重い腰を上げるように席を立った。
「でも、本当に私でよかったのかな? 衣装担当でもないし、こういうのやったことないから、ちゃんと測れるかわかんないよ?」
そんなことを口にしながら、紙に数字を記入していく。
莉李が持っている紙には予め、衣装担当である美桜が、どの部分を測定して欲しいのか詳細に記載してくれているので、莉李はそれに従い、測定・記入をすればいいだけとなっていた。
それでも、測り方というものがあると思われるその作業を、完全な素人の自分がやってもいいものなのか、と思わずにはいられなかったわけだけれど、智也自身がそれを望んだのだった。莉李に担当させろ、と。そうでなければ王子役を降りる、と。
もちろん、そんな自分勝手な発言をよく思わないクラスメイトもいたわけで、智也がそう口にした瞬間に一触即発の空気が漂った。けれど、その淀んだ空気をいち早く察知した莉李が、「自分が測ってもいいなら、ぜひ」と承諾したのだった。
「別に俺は何でもいい。お前に、ってことが重要だからな」
「?」
智也の言葉に、同じように文化祭の準備をしていたクラスメイトたちは、一斉にそちらに目を向けた。その面持ちは、まさか、といった様子だ。
クラスメイトたちがまず気になったのは、智也の表情。けれど、彼は顔色一つ変えずに、寸法に応じている。
では、次に気になるのは莉李の反応なわけだけれど。当の彼女はというと……
「対中くんって……意外と人見知り?」
なんてことを、あっけらかんと言ってのける。
その場にいたクラスメイトたちは、気づかれる前に彼らから目を逸らした。
そして、皆同時にこう思っただろう。「違う。きっとそういう意味じゃない」と。
そんなことを周囲から思われているとは露知らず、莉李と智也の寸法作業は続く。
「呑気なあんたにはわかんねぇよ」
「? よくわかんないけど、対中くんが引き受けてくれて嬉しいよ。クジとは言え、こういうの得意じゃないのかなって思ってたから」
莉李はそう口にするとすぐ、「あ、違ってたらごめんね」と慌てて訂正した。
「別に。それに、王子は最後にしか出てこないし、出番少なくていいだろ」
「もしかして、白雪姫詳しい?」
「妹が……」
「妹さん?」
顔を覗き込むように呟かれた莉李の言葉に、ハッとしたように「何でもない」と智也はそっぽを向いた。思わず口走ってしまったのか、その横顔が何だか赤らんでいるようにも見える。
智也の心情は置いておいて、智也の口から『妹』という言葉が出てきたことに、莉李は一人納得していた。まだ付き合いは浅いけれど、彼の纏う雰囲気だとか、接し方などに、上の兄弟がいるような感じはしなかった。それはなんとも曖昧で、あくまでイメージにすぎないわけだけれど、やはり長年、兄弟構成という縛りの中で生きていると、特徴が自ずと出てくるものだ。それは隠そうと意識しても無意識に出てしまうもので。
少なからず智也からも、長子を纏う何かが滲み出ていた。
その予想が当たったからか、照れているような智也の表情に親しみを感じたのか、莉李の口元が緩む。
そんな莉李を一瞥し、不機嫌そうに智也が弁解を始めた。
「俺が好き好んで見てたわけじゃないからな。どっちかというと、白雪姫は棚ぼた待ちしてる感じがして、あんまり好きじゃないんだ」
「棚ぼた? そう言われてみれば確かに?」
思いがけない智也の言葉に、莉李の手が止まる。
白雪姫から棚ぼたという言葉が連想されることに、割とすぐ呑み込めた莉李の柔軟性に驚きを隠せない。けれど、そんな莉李も何やら考え込むように上を向いていた。
棚ぼた、について咀嚼しているのだろうかと思っていると、
「でもそれって、ちょっとリスキーだよね」
そんなことを口にする。
その返答は智也も予想していなかったもので、莉李を見つめたまま目を丸くした。
しばらく、とは言えほんの数秒の間そうしていたかと思うと、堪えきれなくなったように智也が吹き出した。
自分の目の前で大笑いする智也を、今度は莉李が目を丸くして見つめる。
それは、状況を把握できていないクラスメイトたちも同じだろう。あのいつも仏頂面の編入生が、何だかよくわからないけれど、一人笑っている。なんとも楽しそうに。
そんな周囲のざわつきも気にならないかのように、初めて見る智也の破顔した表情に、莉李もつられて笑顔になる。
「良かった、笑えるんだね」
「? 何か言った?」
ツボに入ったのか、まだ先ほどのおかしさが拭えない様子の智也が、微かに耳に入ってきた言葉を聞き返す。けれど、莉李は首を振るだけで、同じ言葉を繰り返さなかった。
その代わりに、満足そうに笑みを一つ浮かべた。
「何でもないならいいけど。そんなことより、さっさと終わらせちまおう。さっきから遠巻きに、あんたのお友達さんが待ってるからな」
先ほどまで笑っていた智也がいつもの表情に戻り、冷静にそう言ってのける。
智也に言われて、彼の視線の方へと顔ごと向けると、こちらの様子を伺っているような美桜の姿が目に入った。
智也の視野の広さと冷静さに驚きながらも、王子の衣装も担当することになっている美桜から、今日寸法が終われば、型紙だけでも作りたいと聞いていたことを思い出した。
「対中くんも終わったら早く帰りたいよね。ごめんね。すぐ終わらせるから」
「俺は別に………これが終わったら、生徒会の方に顔出すのか?」
「ん? 生徒会の方は、今日は休むって言ってあるよ」
莉李に仕事が回ってくるのはもう少しあとのこと。
忙しくなるのはこれからで、もっというと、進捗報告させきちんと行えば、生徒会室で作業しなくてもいいと、九条から言われていた。その見た目から一見厳しそうに見える彼だけれど、人一倍周囲を見て気配りができる人間でもあった。そして、何度も言うようだけれど、本来この手の権限は生徒会長にあるわけで……いや、もはや九条に一任されているのは今に始まったことではない。
さて、なぜ智也が生徒会のことを気にするのかわからない莉李は首を傾げた。
おまけに、休むと言っていることを聞くや否や、莉李にもわかるように安堵の表情を浮かべている。
その顔に、自分のことも気にしてくれたのだろうか、との解釈に至った。質問の意図は、智也の優しさなのだと。
そんな彼の優しさに莉李の頬が緩む。
そのことに気づいた智也がやはり不機嫌そうに「こっちはこっちで利用させてもらってるだけだから」とよくわからないことを口にした。
「そうなんだ? ありがとう」
無愛想な物言いを気にすることなく、むしろ嬉しそうに笑顔を絶やさずに莉李が返す。
その笑みも気に入らないのか、智也が悪態をついた。
「ほら、そういうところが呑気なんだよ」
そんな智也の言葉が聞こえなかったのか、莉李はご機嫌な様子で残りの寸法に取り掛かる。
美桜のメモが的確だったのか、莉李が器用なのか、それとも智也がそれに関しての文句は言わずに応じたからか。思ったよりも寸法作業は早く終わった。
一仕事を終えたように、二人揃って肩を落とす。
そして、莉李は智也にお礼を伝えると、記載した紙を美桜に渡してくると言って踵を返した。
「なぁ」
するとすぐ、後ろから声がかかる。
もちろん声をかけたのは、先ほどまで一緒に作業をしていた彼。
莉李はその声に振り返り、自分よりも背が高いその顔を見るために顔を上げる。
智也と目が合うと、彼は真っ直ぐな目で莉李を見つめていた。
「全部はカバーできないけど、できる限り俺の目が届くところにいろ」
「?」
この時智也が言っている言葉の真意について、莉李が理解できるはずもなく、莉李はただ首を傾げるだけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます