2 微動
2-1 ある意味劇状、開幕
※「ロミオとジュリエット」、「白雪姫」のネタバレが含まれます。
***
「九条! くじょー!」
耳を裂くような音を轟かせながら、生徒会室のドアが開いた。
必要以上に勢いをつけて開けられたドアが、その衝撃に耐えかねて跳ね返り、少しの隙間を作って自動ドアの如く自然に閉まっていく様子を見つめがなら、その場にいた全員が何事か、とドアの前に仁王立ちをしている彼に視線を走らせる。
そんな彼はというと、とある人物を探していた。
「九条いる!?」
「大声出してどうした」
座っている生徒会メンバーもいる中、彼の探し人は立位の状態で、割と目立つところで書類を片手に紫希を一瞥した。
息を切らし、目を見開いている紫希とは反対に、九条はいつも通りの冷静な応対をする。
そんな二人の様子を、そこにいる生徒会メンバーが静かに————否、作業を黙々とこなしながら、横目に眺めていた。
「莉李ちゃんのクラスの出し物、許可したのって九条?!」
「生徒会長が仕事しないからな」
書類の山を上から叩くようにして、その仕事量を指し示す。
秋入学制度をとっているこの高校は、入学直後に文化祭が実施される。それは、そもそも文化祭がこの時期に開催されることが多いからという理由が一つ。もう一つは、その手の行事により、交流を深めてほしいとの学校側の意図があるのかもしれない。
しかし、そのしわ寄せは全て生徒会にのしかかってくるのだった。
おまけに、今期の生徒会長は仕事をしないときた。それは、彼の怠け者精神のせいもあるけれど、それ以上に副会長の仕事ぶりが優秀すぎるため、
そんな生徒会長————紫希は、嫌味を言われているにもかかわらず、自分のことではないと開き直っているかのように、入ってきた勢いそのままに喋り続ける。
「どうして? どうして許可なんて出したの! え、ありえなくない? 俺の莉李ちゃんが可愛い格好して、人目に晒されるのなんて、ありえなくない?」
「別に劇くらいいいだろう」
「くらいじゃないよ! 俺の莉李ちゃんが……え、まさか『ロミオとジュリエット』とか言わないよね?」
今日の紫希はいつも以上に饒舌だ。その想像力に周囲は思考が追いつかない————いや、それはいつものことか。
それでも、紫希と九条のやりとりがいやでも耳に入ってくるわけだけれど、この場にいる全員が、色々とツッコミたい気持ちを抑えていた。彼女に関して、紫希に口出しをしない方が身のため。それよりも、目の前の山を削ることの方が先決だ。
「その昔、いがみ合う二つの旧家があった」
誰からも返答をもらえないからか、もしくはそれ以前に自分の世界に入り込んでいたのか。
突然始まった何かに、全員がポカンと口を開ける。
「え、何か始まったよ」
「劇団シ……」
お調子者の書記2年———
そんなことはさておき、彼を止めることは容易だけれど、
野依の言葉を借りるわけではないけれど、一人劇団の開幕だ。
「憎しみあう二つの旧家には、それぞれロミオとジュリエットという子どもがいて、二人は舞踏会で出会い、恋に落ちる。そう! まるで莉李ちゃんと俺、みたいな」
他の生徒会メンバーが作業に明け暮れる中、自分の世界に入り込んでいる紫希が、何かをアピールするかのように莉李を一瞥する。
「呼ばれてるよー」と野依が莉李に声をかけるけれど、莉李は我関せずといった様子で、目の前の仕事に集中していた。
「周囲に内緒で夫婦となった二人だったが、諸々の障害が生じ、離れ離れになってしまう。
「どうしようも何も、物語の話ですし。何より、演目は『ロミオとジュリエット』じゃないです。それに…」
「え、じゃあ何?」
莉李の話を最後まで聞かず、かぶせるように言葉を発する。
他に何かある? と言わんばかりに、目を丸くして訊ねる紫希に、逆に『ロミオとジュリエット』が真っ先に選択肢として出てきたのは、紫希の趣味だろうか、と違うところに思考が向きそうになる莉李だった。けれど、「何?」と書類の山に手を置き、作業を邪魔してくる紫希に、莉李は一つため息をこぼす。
「白雪姫です」
「白雪姫……」
莉李の回答に、先ほどと同じような雰囲気を醸しながら、何やらぶつぶつと口にする。
ひとまずこれで邪魔からは解放されたので、莉李は気にせず高い山を捌いていく。
「白雪姫…その美しさに嫉妬した女王様の魔の手から逃げるように森へ」
「また始まったよ」と目線はそのまま、口だけを彼に向ける。
その言葉も、紫希の劇場も誰一人聞いてはいない。
「小人たちと幸せに暮らしていた白雪姫だったが、死んだと思っていた白雪姫が生きていることを知った女王様に再度命を狙われ、毒りんごを食べさせられてしまう。そして、死んでしまった白雪姫は、通りすがりの王子様のキスで………え……」
端折りすぎな
「どうしました?」
その奇怪さに、全員が手を止め紫希を見る。何だかんだで、紫希が生徒会室に入ってきてから、皆の集中力は切れていたのだった。
そんな彼に、莉李が声をかける。彼女の声を辿るように、紫希は虚ろな目を返す。
「ダメだ……莉李ちゃん、ダメだ!」
「?」
「反対! 白雪姫反対! それにこういう場合は、王子役はあの編入生なんだよ! そう決まってるんだよ!」
「先輩が反対したところで、もう決定事項です。確かに王子役は対中くんですが、白雪姫は私じゃないですよ」
「え、違うの? それはそれで大丈夫?」
「何がですか。生徒会は当日、他に仕事があるので基本的にはクラスの出し物には参加できないんですよ。ご存知ですよね? 先輩もですからね!」
まるで前科でもあったかのように、念を押す莉李。
そこでやっと現実に戻ってきたのか、安心したかのように紫希の空気が変わる。
その機を逃すまいと、そのまま会長の席に腰を下させ、紫希の担当分の書類を目の前に無造作に置いた。
何だか小さな子どもになったかのように、大人しくなった紫希が書類に手を伸ばす。
「でも、彼が王子役を引き受けるなんて、何だか意外だね」
仕事に取りかかった紫希を確認し、自身も仕事の続きに戻ろうと莉李が踵を返した時、ボソッと呟くように紫希が口にした。
一度しか会っていない、しかもさして話をしていないにもかかわらず、智也の性格を読んでいるような口ぶりに首を傾げながらも、確かにと納得せざるを得ない。
役決めはくじだったわけだけれど、彼ならそれもつっぱねそうなもので。だから、彼が王子役を引き受けてくれたことに、正直莉李も驚いていた。しかも、あんな条件付きで……
「どうかした?」
無意識に左眉をかいていた莉李を不思議に思ったのか、紫希が覗き込むように見つめる。
「あ、いえ」
紫希の問いかけに、莉李は言葉を濁す。それは隠そうとする行為ではなく、自分自身も咀嚼しきれていない内容を、うまく説明できる自信がなかったから。
けれどもちろん、そんなごまかしで紫希が納得するわけもなく、話すまで逃さないとでもいうような目で訴えかける。
そんな莉李の助け舟となったのは、生徒会の担当教員だ。
もちろん、彼にそんな意図はなく、莉李が担当する仕事について確認したいことがあるとのことだった。
莉李は紫希に断りを入れ、先生の元へと向かう。
莉李とは入れ違いに、紫希のそばへとやってきた九条が、問答無用で文化祭当日の段取りを説明し始めた。律儀な九条に反して、紫希は心ここにあらずの面持ちで視線を宙へと投げる。
「でもさ、こういうのって、当日になって白雪姫役の子が急遽出られなったりするんだよ。それで、代わりに莉李ちゃんが出演してさ………そう相場が決まってるんだよね」
「何の話だ」
紫希に資料を渡そうとした矢先、紫希が謎の持論を展開する。
哀愁を漂わせる紫希のことなど相手にせず、九条は資料に目を落とした。
「そんなことより仕事しろ。遊んでた分、しっかり働いてもらうからな」
何とも無慈悲な言葉に、紫希は肩を落としながら、資料に書かれている文字を目だけで追っていった。
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