1-6 くすむ紫煙
立ち尽くすように、ビルの間の入り口で立ち止まったまま様子を伺う影。
銀髪の人物は、そこにいる彼に見覚えがあった。————というのも、そこにいたのは、今日初めましてを交わした彼だったのだ。
「さっきの光……」
その場に留まったまま、呟くように言葉を発する。
“光”
その言葉から、思い当たることは一つしかない。
「見られちゃってたかぁ。それなら、言い訳しようがないなぁ」と頭を掻くような仕草を見せながらも、銀髪の人物から困った様子は伺えない。
敢えて聞こえるように呟かれた言葉も、向けられた本人は怪訝そうな顔のまま、自分の世界に篭っていて届いていない。
そんなことは気にもしていないかのように、目の前の彼の様子を楽しそうに眺める。
「さて、どれから答えてほしい?」
「?」
先ほどよりも声量を上げた銀髪の人物の声に反応するように、下を向いていた彼が顔を上げる。
その動きで、奥の方にも光が差し込んだのか、そこで初めて、銀髪の人物の顔が明らかとなった。
「あんた……」
「やぁ、編入生くん。やっと気付いてくれた。こんな遅い時間まで何してるの?」
「よい子はとっくに帰る時間だよ」と、子供を窘めるように口にする。
その声、その口調に、目の前の人物が彼と結びつく。
目を見開く智也に、「髪色が違うから、わかんなかったかな?」と、さらに揶揄いの言葉を重ねる。髪色など、この暗闇の中では見分けがつくわけもないのに。
彼だということがわかり、揶揄うような言動があったにもかかわらず、智也は初めて顔を合わせた時に浮かべていた威嚇をするような表情はしていなかった。その代わり、困惑した色を覗かせる。
「正装しとけばよかったかな?」
学校からの帰宅途中に、急遽呼び出しを食らったため、白の詰襟のまま直行していた彼は、聞いてもいないことを饒舌に語る。
口から出たその言葉も、そんなこと本心では思っていないような口調で話すため、智也の混乱をさらに助長する。
「あの光、まさか……それにその……」
暗闇に目が慣れてきたのか、地面に横たわっているそれを指しながら、恐る恐る口を開く。
その言い方に、どういうわけか銀髪の人物は感心したように口角を上げた。
「俺たちの存在を知っている人間がいるなんてねぇ。以前にも見たことがあるのかな?」
たったあれだけの智也の言葉に、何をどこまで理解したのかはわからないけれど、銀髪の人物は自信ありげな表情でそう口にした。
その言葉に、智也は沈黙する。口を閉ざしたまま、何やら考えるように、けれど目線はそのまま彼を見据えていた。
智也の脳内にはある一つの出来事が思い浮かんでいた。
それは、数年以上経過している今でも、昨日のことのように鮮明に思い出される。姿、声、その時に言われた言葉でさえ、忘れたことなどない。
あの時のことを、あの時と同じように目の前に立っていた姿を思い出し、まるで目の前にいる人物がその人であるかのように、智也は嫌悪を露わにした。
けれど、すぐにその威圧感から解放されると、智也を纏う空気が変わる。
そして、今度は別の意味で眉をひそめた。
「どうしたの? 見た目が違いすぎるって?」
「?!」
不意にかけられた言葉に、智也は息を呑んだ。
首元に移動させた手が、声を発していないことを確認すると、いつもよりうるさく騒ぎ立てる脈拍が指先に伝わる。
見透かされているみたいで気味が悪い。智也はそう思っただろう。
そんな智也の様子が滑稽だったのか、目の前の彼は嘲笑するような笑みを浮かべた。
「でも、納得したよ。君があの時向けてきた敵意の意味も」
「俺も同じ顔になるね」と言いながら、不快そうな表情へと変わっていく。
理解が追いつかない智也は、彼のそんな表情など気にする余裕もなく————そもそも、視界に入っていなかった。そして、その混乱した頭のまま、先ほど指で示したものに再度目を向けた。
「あれ、あんたが
「違うよ。殺されたのは確かだけど、殺したのは俺じゃない」
「あんたらはそれを楽しんでるんじゃないのか!?」
感情を剥き出しに、声を荒げる。
蘇ってくる憎悪が、智也の感情を支配する。
「君の言いたいこともわかるけどさ、俺を野蛮なあいつらと一緒にしないでくれるかな?」
「でも、お前も同じ死が…」
「その呼び方もしないでもらえる? 嫌いなんだ」
智也の思考を読んでいるのか、それともそう呼び慣れているために、敏感に反応しているのか。
一般的な名称を最後まで口にすることを許さず、言葉が遮られる。
「じゃあ、あんたは? そいつに何をしたんだ?」
「回収だよ」
「回収?」
聞き返された言葉に頷きながら、目の前の人物は目線を下に落とす。
暗くてよく見えないけれど、右手を動かして何かしているようだった。
回収に続く言葉を待ってみたけれど、手元に集中しているのか、一向に口を開く素振りが見られない。
詳細を教えてもらえない智也は、フラストレーションが溜まっていく。
教えてくれないのであれば、全く何も情報を提供されない方が心の靄が少なくてすんだのに、と苦虫を潰したような表情になる。
けれどそうは言っても、どうしようもないのだと、智也はため息まじりに待つのをやめた。
その代わりに、これまでに起きた出来事と彼の言葉の整理を始めることにした。まだ、全てを呑み込めたわけではなかった。
思考にふける智也と、手元に集中している銀髪の人物。同じ空間にいるのに、我関せずを決め込む二人。
けれど、智也の方がすぐに自分の世界から飛び出した。そして一目散に、銀髪の彼を見た。
「どうしたの?」
その気配を感じたのか、相変わらず顔に笑みを浮かべたまま、智也の方へと視線だけを向ける。
「……」
「『どうしてこいつはバカ正直に正体を明かすのか?』」
突然、雰囲気が変わったかのように、少し声色を変えて話し始める。
それは全く似てはいないけれど、口調は智也に寄せているような話し方だった。
「『 そもそも、俺は何も喋っていないのに、自ら暴露するなんてどうかしてる。そもそも、いくらでもごまかすことはできたはずなのに、どうしてそれをしないんだ? バカなのか?』」
一人劇場を披露する銀髪の人物を睨みつけたまま、智也は口を開かない。
それに対して、「ちょっと、ここはツッコムところでしょ」とおちゃらけた様子で嘲笑する。
一人劇場を地産地消で楽しんだ彼は、その目から笑いを消すと、「くだらないことを考えているね」と元の口調に戻して言った。
「は?」
「別に、隠す必要なんてないんだよ。隠しているように見えるのは、こちらの不利になるからじゃなくて、<<君たち>>の理解が及ばないからだ」
「君は知ってたみたいだけど」そう言って不敵に笑う。
目の前の人物が自分たちをバカにしているのか、それとも智也を揶揄っているのかは判然としない。ただ、そのどちらにしても智也にとって不愉快なことに変わりはなかった。
「どうしてあんたは共生しているんだ? ごっこ遊びでも楽しんでるつもりか?」
「それについては考えても無駄だよ」
「何?」
声色が変わったことに、智也はさらに眉間にシワを寄せる。
「君が知る必要はないからね」
突き放すというよりは、揶揄うような言い方。
相変わらず子供扱いするような口調に、苛立ちが深まる。
イライラしながらも、智也は必死に頭を回転させる。
そして、ある一つの考えにたどり着くと「まさか」と口にした。それは、自分の意識するところとは別に発していて、智也自身、自分が声を出していることにも気付いていない。
そんな彼を引き戻したのは、吹き出すような笑い声だった。
その声の主は確認せずとも一人しかいない。笑われた理由も、笑われたこと自体も不愉快な智也は、眉間にしわを寄せた。
「考えが短絡的すぎやしないかな? それに言ったよね。俺をあいつらみたいな野蛮なのと一緒にしないでって」
「なら、あんたがここにいる理由は別だって言うんだな?」
「まぁ、そうだね」
銀髪の人物は、濁すように言葉を紡ぐ。
先ほどまでの饒舌が嘘かのように、ここにきて何とも歯切れが悪い。
「半分は違うけど」そう呟く声は、あまりに小さく智也の耳まで届かない。
そんなこと全く知る由もない智也は、この機を逃さんとするべく、言葉を重ねる。
「隠す必要がないって言うなら、あんたの正体を他のやつにバラしてもいいんだな?」
「例えば、あいつとか」智也がそう言うと、彼は「あいつ?」と口にして考えるような仕草をした。
いまだに右手はずっと動いている。何かを巻いているような動きだということが今になってわかった。
あと少しで巻き終えるところまできたとき、不意に彼の手が止まった。
そして、智也が言った言葉の答えにたどり着くと、彼の表情が歪んでいく。
「それって、もしかして彼女のこと言ってる?」
初めて会った時に見たグレーがかった瞳が、赤へと変わる。
その表情に、一瞬心臓が跳ねた。
「彼女のことを気安く喋らないでくれるかなぁ」
「それでなくても不愉快なのに」とぶつぶつ小言を言う。
最小限しか動いていない口元に、加えて声を出すのも無駄だと言わんばかりの声量なので、智也の耳までその内容は届かない。
全てを吐き出し、顔を上げた彼は満足そうに笑っていた。
逆に、その笑顔が不気味なくらいに。
「君が話したいなら話せばいいよ」
「いや、話されるのは嫌だなぁ」と、すぐさま矛盾を含んだ言葉を発する。
事情を一切知らない人間からすると、混乱のタネになる言葉なわけだけれど、智也は察しがついていた。それは、あの時智也にだけ聞かせるように言った忠告と、彼の彼女に対する態度を見ていればわかることだった。その異様さについては、理解できるものではないけれど。
「でも話したところで、彼女がそれを信じるかどうかは別だけどね」
開き直ったかのように、これまで以上に強気な態度でそう口にする。
その言い方が気に入らない智也は、やはり苛立ちを隠しきれない。
「自信があるような言い方だな」
「だって、そうでしょ? 特にさ、彼女みたいなタイプは優先するものが明白なんだ。
よく知りもしない寡黙を美学としているような編入生と、ちょっと好意を向けている付き合いの長い俺。どっちの言うことを信じる? まして、そんな作り話みたいな話」
勝ち誇ったような表情を浮かべる彼を腹立たしく思いながらも、返す言葉が見つからなかった。
彼の言っていることに共感したからではない。今日会ったばかりの人物についてそう言われても、そうだと肯定することも、違うと否定することもできないからだ。
「それに、君は言わない————いや、言えないよ」
「どうして、そう言い切れる」
「そんなことをしても君には何のメリットもないからだよ」
智也とは反対に、終始、何でもお見通しのように口にする彼。
そのことについても気に入らないのに、やはり言い方が癇に障る。
不機嫌を前面に出している智也を気にしていないかのように、「もうこんな時間だ」と呟く。
一仕事を終えたように、肩の荷を下ろし、智也に帰宅を促す。
彼の言葉に従うのは気に触るけれど、いつまでもここにいない方がいいと思う気持ちもあった。横たわるそれを一瞥して、尚更そう思う。
「君に容疑がかからないように、うまくやっとくからさ」
「実際違うしね」と、フォローなのか何なのかよくわからないことを言う彼に、怪訝な表情を浮かべたまま、智也は振り返るような素振りも見せずに、明るい場所へと消えていった。
智也の姿が見えなくなってもなお、そこに残された彼の表情には変わらず笑みが浮かんでいる。
「彼女に何を言おうと無駄だよ」
やっと巻き終えたそれを満足そうに眺める。
「彼女は警戒心は強いけど、とても無防備なんだ。
そんなところが、たまらなく愛おしいんだけど」
呟くように言いながら、空を見上げる。
先ほどまで雲に隠れていた月が、合間をぬうようにその顔をほんの少し覗かせた。
微かな月明かりに照らされて、彼の赤い髪色が輝く。
「さぁ、帰ろう。明日また、君に会うために」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます