1-2 無自覚な蒼白
木枯らしを思わせる風が吹き、長かった夏休みの終わりを告げる。
ジャンパースカートタイプの制服に、スカートと同色の紺のジャケットを羽織っただけの身体には風が冷たい。
そんな身体を摩りながら、ショートヘアの女子学生が新しい1年の始まりに向かって行こうとしていた。
「おはよう」
「あ、おはよう莉李」
ショートヘアの彼女よりも前を歩いていた莉李が、校舎内に入ろうとしたところで彼女に気づき挨拶する。
「
莉李の後ろに隠れていた赤髪の彼がひょっこり顔を覗かせる。もちろん、莉李より背幅がある彼が彼女に隠れられるわけはなく、ただ単に美桜が気づいていなかっただけなのだけれど。
赤髪の彼————紫希を目にするとすぐ、美桜の顔が引きつった。
その表情は嫌悪のそれではなく、足も竦むような恐怖。
そんな美桜の態度に、紫希は顔色一つ変えず、気にする素振りも見せない。
彼女は元々怖がりな性格で、莉李の後ろに隠れて歩くようなところがあった。それがどういうわけか、紫希に対してはいつもそんな調子だったので、もはやそれが普通のこととなり、そういう認識でいるのだった。
「会長もご一緒だったんですね……」
「莉李ちゃんとはいつも一緒だからね」
「お変わりないようで…」
いっそ清々しいほどの紫希の態度に、美桜の表情は恐怖から呆れへと変換された。
その間、紫希が莉李にくっついているのも、もはや日常茶飯事なので、敢えて触れることもしない。
それでも入学式以来、彼が生徒会長だということを、新入生全員に周知されたことで、莉李に対する甘々な彼を、奇怪なものでも見るような目もちらほら見かけられた。
基本的に目立つことを嫌う美桜は、そういう意味でも紫希が苦手だった。
明るい赤髪に、校内では知らない人がいない生徒会長という肩書を持つ彼のそばにいると、どうしても視線が向けられる。
彼と話す時はいつも莉李が一緒なので、この二人の光景がもれなくついてくるわけなのだけれど、それがさらに好奇な目を向けられる要因を助長するのだった。
それでも、今日はまだマシな方だ。なぜなら、ここは入り口で、校舎に入れば3年である紫希は、別校舎へと向かうから。つまり、靴を履き替えれば、紫希とはそこで別れることになる。
いつものように、名残惜しそうに莉李との別れを告げる紫希の背中を見送りながら、美桜は安堵のため息をついた。
***
「莉李、会長のこと怖くないの?」
5階建ての校舎は、学年が上がるに比例して、高学年生が上らされる形式をとっている。
3年だけ校舎が別なので、5階は2年のフロアになっていた。莉李たちも2年生ではあるけれど、クラス数の都合で彼女たちの教室は4階にあった。
莉李たちは4階まで階段を上がると、廊下に出た。
教室に向かう途中、美桜が莉李に声をかける。
辺りをキョロキョロと見渡した上、さらに声を潜める。まるで誰かに聞かれては困るとでも言うように。
「ん? 怖くはないよ」
「困ってはいるけどね」と苦笑を浮かべる。その表情と声の雰囲気から、発している言葉ほど迷惑さを感じていないのが窺える。それは、彼女なりの気遣いなのか、本当に心から迷惑だと思っていないのかは判然としない。
「美桜は前から先輩のこと苦手だよね。何かあったわけじゃないって言ってたけど……」
莉李はそう言いながらも、再度確認するかのように美桜の顔を覗き込む。
心配をその顔いっぱいに広げた莉李に、美桜は眉を下げた笑みを浮かべて首を振る。
「ごめん、そういうんじゃないの。ただ、何となく雰囲気がね。会長っていう肩書のせいかも! 莉李がそう感じないなら、あたしが気にし過ぎてるだけだと思うし!」
「ごめんね」と再度謝罪の言葉を述べる美桜に、莉李も眉を下げた。
それでも、美桜本人が大丈夫だと強く言うので、それ以上追求することはしなかった。
そのタイミングで教室に到着した2人は、各々の席へと向かう。
「成瀬さん、おはよう」
莉李が自席に腰掛けるとすぐ声がかけられた。その声に振り返ると、見知った顔が一つ。その彼女に連れられてきたように、初めましての二人の顔。
用事だろうかと思いながらも、莉李はまず挨拶を返した。
椅子に座っている莉李の前に立ちはだかるように位置取り、先ほど声をかけた彼女が口を開く。その彼女が一歩前に出ているだけで、お付きの二人はやはり彼女の後ろにいるだけだった。
「成瀬さんって、会長の彼女って本当?」
「違うよ」
その質問に対し、莉李は即答する。紫希のあの行動は、人目を気にすることがないので、学内ではもはや周知の事実で、同じような質問を散々受けてきていたのだ。
それでも莉李は、繰り返されるこのやりとりに辟易するでもなく、ただ淡々と事実を口にした。
「え、でも会長、毎日成瀬さんに愛の告白してるって…」
「愛の告白……」
その言葉に、自分の認識との差異を感じる。
けれど、そのような言葉で表現されたのは初めてで、思わず表情が緩んだ。
「先輩のあれは挨拶みたいなものだから」
「そうなの?」
「そうだよ」
笑顔で答える莉李に、言葉を発していた彼女が安心したかのように、肩を落とした。
実際紫希は、生徒会長ということもあるのか、先生や学生に関わらず、誰とでも分け隔てなく接しているように見えた。本当に壁などないように。
その派生による接し方なのだと、莉李は疑わなかった。同じ生徒会メンバーで、接点があるからなのだと。
「じゃあさ!」
先ほどまでの態度とは一転、パッと明るく声を弾ませて、さらに一歩、莉李のそばに近づく。
「お願いがあるんだけど」
「何?」
「実はね、この子が会長と話したいって言ってて」
そこで初めて、そばにいた友人を紹介するように、手招きをした。
ご指名が入った彼女は、
人見知りなのか、その挙動がどことなく美桜のようで、莉李は少し親近感を覚えた。
「私は取り次げばいいのかな?」
「いいの?」
「もちろん。多分、今日の生徒会の集まりすぐ終わるから、放課後とかどうかな?」
「え! そんな急に!?」
「早い方が良くない? もし都合悪いなら…」
「ううん、今日で!」
戸惑う梓の代わりに返事をしたのは、先ほどまで話をしていた彼女で、その返答に梓は目を見開く。
その様子を見ていた莉李は困ったように笑うと、「どうする?」と梓に目線を合わせて訊ねた。
目が合うとすぐに逸らし、俯きがちになった梓だったけれど、すぐに顔を上げ、頷いた。
その返答にさらに目尻を下げると、梓も照れたように笑った。
***
「いいよ」
思っていたよりも早く終わった生徒会の会合の後、何ともタイミングよく紫希と二人になれた莉李は早速例の話を切り出した。
その返事は、たったの三文字で戻ってくる。
いつも以上に軽く紡がれた言葉に、莉李は少し拍子抜けしたような顔をする。
その表情がおかしかったのか、紫希は口角をほんのちょっとだけ上げると、莉李の頭に手を置いた。
それは、いつものようにベタベタと触れるものではなく、微かに温もりを感じる程度で、その感触もすぐなくなってしまうほど、一瞬で離れていった。
「莉李ちゃんのクラスで待ってるの?」
「あ、はい…」
「わかった。じゃあ、気をつけて帰るんだよ」
紫希はそれだけ口にすると、生徒会室を後にした。
扉が閉まるまで、紫希は一度も莉李の方を見ようともしなかった。
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