第11話

 

 白い髪に金色の少女。これだけの情報でどれほど先の指針が決まるというのか。龍騎は雨の中、何軒かの食事処や酒場を回った。彼の考えに反して一つの建物で一人以上から同じ情報が手に入った。


 その女の子ならこの街の孤児院に居るよ。


 当たり前のように、拐われたなんて言葉は一言も出てこず。どれだけ聞いても誰に聞いても楽しそうに暮らしているという言葉が返ってくる。


 宿に戻れば少女、遥はすでにベッドで寝入っており琉斗もベッドに横たわっていた。


「おかえり」


 小さな声をかけてきたのは洋平。拐われたなどという情報を流してきた張本人に恨みがましい目を向ける。覚えのない洋平は思わず一瞬たじろぐが、すぐに毅然とした視線を龍騎に返した。覚えがないものに怯えてなるものか。


「白と金を持つ少女」


 龍騎の平坦な声に、琉斗が寝床から体を起こす。


「誰もが孤児院で平和に暮らしているという。聞いた話と違う」


「へ? 孤児院?」


 素っ頓狂な声を返す洋平に彼は目を細める。


「拐うのが仕事なのか? 民の味方の冒険者が? 構わないが、良いんだな?」


「ちょ、待て待て待て。俺も聞いてない話だからそれ!」


 だろうな。龍騎は雨に濡れた外套を入口近くにかけると遥の眠るベッドに腰を下ろした。


「だが誰も嘘を言っているようではなかった。一人脅したが同じ情報しかない」


「おい」


「刃物で襲ってくるような奴だ」


 じゃあ良いか、と言いかけて洋平は動きを止めた。


「殺しては」


「無い。そこら辺に転がってる。お前が俺を何だと思ってるかよく分かったよ」


「そこは自覚しておいてほしかったんだけどな。ちょっと俺夜通しで向こう行って指示仰いでくるわ」


「明日までに戻ってこれるのか? 戻ってこないと宿の主に疑われる」


 慌てて荷物を抱え上げた洋平が動きをピタリと止める。街に着くまでは水龍の姿の琉斗に乗せてもらうことで半日以内に到着することができたが、人の足で一山超えるとなれば夜の間に元居た街との往復などできるものではない。


 縋るような洋平の視線に龍騎の隠さない大きなため息がこぼれた。


「琉斗の姿を認知以上にさせたくない」


「ぅ、それは俺も同じだけど」


「だから俺が行く。気遣う必要がないなら速さを出せる」


「え、それはそれでこわ」


「歩いて行って歩いて帰ってくるか?」


 隣町とはいえ山を一つ越えて?


 黙り込んだ洋平の隣を歩き過ぎ、龍騎は部屋の奥に備え付けられた大きな窓に手をかける。かちゃん、小さな金具の音。鍵を開ければ古びていたのか窓はわずかに口を開ける。ざあざあと強くなった雨の音が部屋の中に入り込む。


「琉斗。……、バレてるとは思うがそこのやつに俺がこれを背に乗せたとバレないようにな」


 人をこれとか言うな。洋平の小さな文句は窓の外へ身を翻すように飛び出した男には届かない。後を追った洋平の姿も見えなくなってから琉斗はゆっくりと窓を閉めて鍵をかけた。


 振り返れば健やかに、無防備に眠る小さな少女。


 あれだけの力を持つ同族と契約し、互いの意思はありながらも言うことを聞かせる存在。とてもそうは見えない。たしかに強いのかもしれない。けれど竜と契約するときに必要なのは力だけではない。互いの利が在り、互いの命を共有するだけの――尊敬と共感。


 契約をした竜は人が死ねば共に死ぬ。人が気まぐれに契約を破れば共に死ぬ。代償のない契約破棄なんて物は存在しない一度きりの約束。


 あの強い竜が共に生き、死ぬと決めた人間。


 知らず手が伸びた。


 伸ばした手先で布団に包まれた少女は笑っていた。堪えるように布団を抱き込み、手を伸ばす琉斗をしっかりと見詰め。


「起きてること、龍騎にバレちゃった」


 勢いよく起き上がり、跳ねた髪をそのままに龍騎と洋平の出て行った窓を見やる。


「良いのにね、他の人を乗せるくらい」


 竜は、本来人を乗せることすらないから。


 琉斗は答えながら喉に渇きを感じていた。差し出していた手を引く。何をしようとしていたかも分からない。


「じゃあアレは本当に物好きなのね」


 人より大きく、長命で、強靭な竜をアレと呼ぶこの少女は、この人は。きっと個人で竜を殺せる人。


 琉斗は肩をすくめ、笑った。


「物好きなのはお互い様じゃない?」


 少女の控えめな笑い声が聞こえた。


 琉斗は諦めた。何をしようと手を伸ばしたか覚えていない。けれどそれは決して目の前の存在に届くものではない。諦める道しかない。少女は琉斗を見据えた。


「琉斗と仕合いたいのは本当よ。貴方がそれを望むなら嬉しいくらい」


 近く遠い。ただの人間と、少女と呼ぶには相応しくない強い視線。


「でもそれはこの場所じゃ嫌。お互いに本気になれないもの」


 楽しみは取っておくほうが良いの。


 子供らしい言葉を残し、遥は布団へ再び潜り込んだ。しばらく黙っていれば聞こえてくる寝息。


 琉斗は自分用だと思われる寝床で身体を寝かせた。


 

 洋平は竜の黒い身体にしがみついていた。


 遥と行動する時だけ竜の姿で移動していたからそれ以外の人を運んだことを人に知られたくない。目的の街からは少し遠く、見えない場所に降りる。速く飛ぶ。


 往き過ぎる山。強い風。街には遅れて入るという龍騎の言葉に応える余裕すらない。


 琉斗がどれほど気を遣って飛んでいたかを実感し、ようやく地に足をつけた洋平は恨みがましく黒竜を見上げた。真っ赤な瞳が洋平を睨むように細められる。


「はあ……。俺、オーナーに取り次いでもらってくるから後で組合の方に『人の姿で』来てくれよ?」


『早く行け』


 竜に睨まれるなどそれだけで尻込みする、人によっては狂乱するだろうが。洋平には目の前の竜は、ただ無愛想な龍騎にしか見えなかった。


 不満げな黒竜に背を向け去っていく洋平が視界から消えてから、龍騎は人の姿に戻った。


 オーナーと呼ばれる人間は初めて会ったときから苦手だった。自分と少女のことを一目で見抜き、好きに動けるよう計らう代わりに様々なことを頼んでくる。それだけならまだ良い。


 あれは個で竜を殺せる人間だ。それも、自分の力だけではなく知識と謀略で。


 単純な力だけならかつて戦った青の女の方が断然強い。だが、あの場所、組合に居るオーナーはいつ何が起きても竜『程度』殺せる備えをしている。


 洋平を先に行かせたのは一種の保険。間違っても攻撃するな、という意思表示。


 服から水滴が滴り続けるようになってようやく龍騎は足を動かし始めた。


 門番に「気のいい男」のような返事をして街に入り、冒険者組合の建屋を見上げる。普段誰もいないオーナーの部屋から赤い瞳に見下される。目を細め、笑った顔が不思議なほど鮮明に見えた。


 組合に入ると洋平が慌てて駆けつけ真新しいタオルを龍騎へ渡す。こんなもの。そう言いかけるも洋平が建屋が濡れるだろうと怒られる。無愛想にしながらも雨露を払い落とせばようやく洋平は一つ頷いた。


「どうやらご足労いただいたようで」


 聞こえた声と言葉に龍騎の眉が寄る。


「そう仕組んだのではなく、か」


 建屋の奥から階段を下りてくるオーナー。組合も閉まっている時間帯。オーナーの立てる革靴の音が響く。


「ええ。貴方ほど長命な方であれば依頼書を読み『白と金』に文句を言い立てるはずですから」


「依頼書を読まないことも想定してか、たちが悪いな」


 おやおや。わざとらしく大きく肩をすくめオーナーが笑う。


「それは今どうでもいい」


 飄々とするオーナーに何を伝えたところで自分の思いどおりになることはない。それをよく分かっている龍騎は話題を変えた。知りたいのは今回の任務の達成条件。元々聞いていたのは拐われた少女の奪還。本当に拐われたのか、幸せに暮らしているという場所から奪ってよいのか。


 龍騎の問にオーナーは笑顔で一つ頷いた。その通り。


 分かった、と龍騎が答える前に洋平が声を上げる。それは依頼に出来ないとオーナーに向かう。


「俺は依頼だというならやり遂げよう」


「ほら、龍騎さんはこう言ってますよ?」


 二人からの畳み掛けに一瞬口を開けて呆けるがすぐ首を振る。すでに居場所のある場所から子供を拐うなど国からも頼まれていないはず。洋平がそこまで話し、オーナーがおやおやと笑った。


「国から?」


 色々事情があると言われた依頼だが多くを聞かないと決めていた。しかし。龍騎はオーナーから視線をずらした。視線の合わない洋平という男。口を滑らせた自覚があるのか彼の視線は全く龍騎へ向けられない。


「そういうわけです。これは私や組合としての意思ではなく国の意思になります。如何な理由があろうとも白と金を持つ者を監視下に置くことを国は求めています。ランク上げは貴方を任に就かせる口実ですね」


 にこにこと普段と変わらない笑みを浮かべるオーナー。


「依頼と言うなら俺はやりきろう。人の世で生きるための環境を整える、その対価を忘れるなよ」


「もちろん。貴方たちが『国と組合に害を成さない』間は守ります」


 誘拐をしろと言いながら、国と組合の評判を落とせば協力はしない。


 龍騎からの圧に洋平が押し黙り気を尖らせる。


「……穏便な誘拐があると思ってるのか」


「長命で博識な貴方ならきっと出来ると思っていますよ」


 隠しもせず舌を打ち鳴らせば人間のようだと笑う。飄々としながら隠し事ばかり。敵意を差し向ければ一時の自由は得られるかもしれないがこのオーナーの配下にある組合を相手取るのは厄介だ。龍騎は視線を逸らした。


「分かった。何とかしよう。組合でどうにか出来ると判断した範囲では――良いな」


 龍騎の言葉にオーナーは頷く。もちろんです。


 どれだけ人の言葉と約束事を並び立ててもこの男には通じない。話しているだけ時間が浪費されるだけだ。龍騎は外套を翻した。建屋の外に出れば行きよりも強く打ち付けた。


 どれだけ長く生きていたとしても、どれだけ知識を集めていたとしても、どれだけ力を付けても。人は短い時間でそれを凌駕する。


 はあ。街から離れた所でため息を吐き竜の姿へ戻る。足下でいつ見てもすごいなどと感想を吐くこの男も同じだった。


『白と金を併せ持つ者について何を知ってる』


 二人の子供を残した宿に向かう空の道。初めて自分からそう語りかけたのは情けなく背中にしがみつく男を貶めるためか、あのオーナーに向かわせる牙として使うためか。問いかけながら龍騎は首を傾げた。

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