第10話

 

 雨は薄い水膜に弾かれほぼ揺れの無い広く長い背中の上。遥はタオルを頭に乗せた状態で背後の龍騎に全身を預けていた。


 組合のある町から出てすぐ彼らは街道を逸れて森に入った。そして驚く洋平を差し置き水龍の姿となった琉斗へ乗り目的地、少女が拐われたと思われる場所へ移動している。


 洋平は強く水龍のたてがみを握り、その必死さに琉斗は笑った。空を泳いで約一時間それだけで山を越え、一日分の旅程を越える。数日かけて移動するはずの距離を飛び、龍騎の指示で目的地から少し離れた場所へ降りる。


「どう、だった」


 たどたどしい口調で水龍は精一杯下げた頭を洋平へ向ける。一歩、足を引きながら雨の中洋平は精一杯水龍へ笑いかける。


「すごいな、あ、すごいですね……?」


 ばしゃん。水龍の身体は水と散り、ずぶ濡れの少年が笑う。


「敬語は要らないです。この体だと、不自然でしょう?」


 琉斗の姿に洋平は眉を寄せる。


「風邪引かないか、君も遥さんも」


「……琉斗はともかくこれは病気になるだろうな」


 龍騎が羽織っていた外套も羽織らされた少女遥は自分の身を抱きながら平気、と龍騎を見上げる。平気だったら震えないだろ。少女の身体には大きすぎる外套ごと少女を抱きかかえ、龍騎は洋平へ視線をやった。


「俺たちは親子ということにする。琉斗もな。残念ながらこの町に馴染みはほとんど居ない、宿探しからだな」


 意外と過ごし方に慣れてるんだな。洋平の言葉に笑って答えたのは龍騎に抱えられた遥だった。龍騎はずっと前から冒険者をしているし知っているもの、ランクだけ上がったような冒険者よりよほど頼りになるわよ。


「お前も琉斗もあまりしゃべるな。そのほうが都合がいい」


「あれ、俺は?」


「憎まれ役だ。冒険者の護衛を雇って旅をしていたが雨に降られてやっと町に着いたことにする。実際、病気になりそうなやつは居るからな。気の利かない冒険者のフリでもしてくれ」


 そのくらい気は訊くんだけど。洋平の言葉には耳を貸さず、龍騎は少女を抱え琉斗を連れて歩いていく。


 小雨の降る町には人通りが少なく、雨除けの外套をかぶった住人たちは足早に歩く龍騎たちを怪訝な視線で追った。町の中でも一際大きな建物に『宿』という文字を見てその扉を開いた。


 ずぶ濡れの彼らを見て扉、カウンターの向こう側に居たふくよかな女性が慌てて駆け寄る。


 一階部分は食堂を兼ねているのか円卓を囲む家族連れや冒険者のような出で立ちの人が多い。


「ちょっと、どうしたんだい」


 女性の声に龍騎は困ったように小首を傾げて笑う。


「冒険者を連れて遠出から帰るところなのですが雨に降られまして。部屋は空いていますか? 欲を言えるのであれば風呂が部屋にあるとありがたいですが」


「大部屋なら空いてるよ。ただちょっと、値は張っちまうけど」


 宿代なら冒険者組合から、そう言いかけた洋平は龍騎の鋭い視線に制される。


「大丈夫です。その部屋を」


 片手で遥を支え、空いた片手で腰元のポーチから何枚かの銀貨を女性に渡すと女性はその枚数に驚きながらも、お願いします、と真摯に頭を下げる龍騎にうなずく。


 床が濡れるのは気にしなくていいから。女性の言葉に礼を返し、洋平が若干睨まれるのは気にせず、龍騎は持たされた鍵に合う部屋へ入った。四人が泊まっても余裕がありそうな部屋に着くなり、龍騎は遥をおろした。


「風呂に行け。情報は集めておく」


「ええー」


「琉斗は部屋に居ろ。敵意を持って襲われたらまあ、それなりに対応しろ。外に逃げても良い。殺すと厄介だから適度にな」


「うん、分かった。加減がよくわからないから外に行くね」


「そうしろ。お前は、どうする。どちらに着いていても構わないが」


「いや、龍騎さんに着いてくよ。元々そのために来てるし」


 そうか。


 一切の感情が見えない返事に洋平がため息をつく。


 不意に近付く物音に龍騎と遥が視線を部屋の扉へ送る。鍵はかけている。時間は昼過ぎ。物盗りにしては派手な足音。


 扉の前で足音は止まり、大丈夫かい、と女性の声が扉の向こうから聞こえた。


 龍騎が鍵を開けば両手にタオルを抱えた先程カウンターに居た女性。


「これ、使っとくれ。あと、食事も部屋の方がいいだろ?」


 おそらく通常の宿代より多く支払った分だろう。龍騎はタオルを受け取り人の良い笑みでお礼を返した。


「すみません、気を使わせてしまって。この後しばらく俺は外に買い出しに出るので、俺の分の食事はなくて大丈夫です」


「そうかい。子を預けられるくらいに信用されてるんだねえ。分かったよ。子供たちは何が好きだい?」


 女性の言葉に洋平の背筋に寒気が走った。女性の言葉を聞いているのはおよそ人に興味がない黒竜、子供と言われる片方は自分より永く生きるつい最近人の料理を口にしたばかりの水龍、もう一人こそ子供らしさはあるが。


 フォローを入れようと開いた口は即座に閉じられた。


「ふふ、あまり女の子らしくないのですが娘は肉料理が好きでして。息子は好き嫌いはありませんのでもし良ければこの町でよく知られた料理などがあれば食べさせてやってください。ワガママを言いますが」


 黒竜であるあの男が、声を出して笑うのを芝居であっても見たことがない。


「いやいや、全然ワガママじゃないよ。それより邪魔したね、子供たちはすぐお風呂に入ると良い」


 風邪引かないようにね。


 女性が立ち去り、部屋に再度鍵をかけて振り返る龍騎はいつもと変わらない無愛想。叶うならば笑っているあの瞬間女性側に立ち顔を眺めてやりたかった。


「面倒を避けたい、部屋に居てもらえるか」


 そんな問いに一つ頷きを返すことしかできない。


「上手なんだね」


 琉斗からその言葉が出たことに洋平は心から感謝した。


「……嬉しくないが、まあ、そうだな。この方が楽に人として過ごせる。人から情報を集めたりな」


 細めた視線は洋平に寄せられ、彼は息を詰めた。


 人の知識がないから情報収集と揉め事を起こさないために、そして何より見極めのために着いていけ。そんな命令を受けていた洋平はもう一つ。オーナーから言われていた。


 そんなもの必要ないでしょうけどね。


 知っていたなら試す必要があるのか。洋平の言葉にオーナーは答えず、ただ『上司命令』と言い放った。


「じゃあ、行ってくる」


 濡れた髪をそこそこに乾かした龍騎は大人しくしていろと念入れの一言を残して宿を後にした。


 残された洋平にとって非常に気まずい空間。


 困ったように目を向けると遥は足早に風呂へと向かい、琉斗が振り返って笑う。


「何か、聞きたいことがあれば後ほどで。僕はまだ、何を話すべきかわからないので」


 全く濡れていない琉斗に笑いかけられた洋平は、わずかに足を引いた。

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