第9話

 

 翌日、前日夜遅くまで琉斗となにかを話していたせいで眠気を訴える少女を腕の中に抱えた龍騎は三人用に用意された部屋から冒険者への依頼が記載された掲示板の張られた広間へ移動し、すぐに踵を返そうとした足に歯止めをかけ、何とか前へ一歩を踏み出した。


 供となる者が待っているというその場所に居たのは一人の男。


 いつも見かける組合の制服ではなく、旅をするような装いをした男には不必要なほどに見覚えがあった。


 くすんで色が淀んだ金色の髪に同じ色の瞳。疲れているように少し曲がった背中。


 腰には普段見ない得物が挿されている。男は龍騎たちに気づくと笑顔を浮かべ手を振ってきたので龍騎は今度こそ振り向いて部屋に戻ろうとした。多少遅れたところで問題はないはずだ、と自分に言い聞かせて。


 振り向くと同時に小さな人影が彼の行く手を遮る。少女によく似た青い髪と瞳。水龍様がどうした、そう呼びかけて口を閉じた。


「琉斗、」


「あのおじさんの話、聞かないといけないんじゃないの?」


「……、代わりに聞いてくれるか。嫌いなんだ」


「ふふ、良いよ。こんな子供に聞かせてくれれば良いけど」


 琉斗が龍騎の代わりに前へ進み出て、琉斗がどこかしょげた男へと話しかけた。


 昇格試験ともなる依頼の内容、目的、そして同行者が自分であることをひとしきり話した男は視線を龍騎へ向ける。お前が来いという言葉を感じられる視線だった。わかりやすくため息を付いて広間へと赴く。


 昨日食事をしている際に説教を食らったと言いに来た男は肩から灰色のマントをかけ、マントの中には革鎧を着込んでいる。元々は冒険者として生きていたことは龍騎も知っていたが、実際にらしい姿をしているのは初めて目にする。


「これ、依頼書。その子にも伝えたが、目的は拐われたらしい少女の奪還。生きてることは確認済み、場所もわかっているが遠めだから野宿の準備は必要。聞いてる?」


「聞いてる。だが、何故冒険者が? それは国の騎士か兵に頼むべきことだと思うが」


「そこは……あんまり聞いてくれるなよ。事情があるんだよ」


 不審な部分の大きな依頼に龍騎の手は差し出された依頼書に伸びない。代わりに小さな手が依頼書を掴んだ。


「断れないことに変わりないんでしょ?」


 依頼書を折り、龍騎の腰につけたポーチへと入れて琉斗は彼らに笑いかける。


「じゃあ終わらせようよ、雨が降るから僕で移動してもいいから」


 君で? 依頼に同行する男が首を傾げ、少年が笑い返す。


「あまりおおっぴらにそういう話をするな。その話は道すがら考える」


「うん、わかった。難しいな……。ああ、そうだ。貴方のお名前は?」


 きれいな笑顔のまま問いかけられた男が答える前に龍騎は寝ぼけた少女を抱えたまま男の前を通り、組合の扉へと向かう。出会ったときから変わらない明らかな拒絶に男は深くため息をつき、少年にだけ笑いかけた。


「俺は洋平。君たちを知り、秘匿するのが仕事だ。まあ……、今回に限っては君たちが人の生きる場所で問題を起こさないことを見守らせてもらうのが仕事なんだけど」


 よろしくおねがいしますと、頭を下げる少年、琉斗の背後で少女遥の憤慨する声が響いた。酷く怪訝な顔をした龍騎が憤慨する遥に何かをかぶせ、少女の姿は頭から布に包まれる。


 琉斗が遥の眼前まで近づくと遥は被せられた布を剥がして龍騎に叩きつけ、組合を走り出ていった。


 さー、と風のなるような音に龍騎は隠さず舌打ちを漏らす。外は小雨が降っていた。遥に被せたのは雨除けの布地。雨の中に飛び出した遥は両手を広げ空へ笑いかけた。


 白い服が水を吸い、肌にぴたりと張り付く。薄い布地は肌の色を浮かび上がらせる。


 一見するととても寒そうな彼女の姿に慌てて洋平が駆け寄るが、洋平が寄るよりも前に龍騎が先程剥がされた布を遥の頭からかぶせる。ばたばたと暴れる遥を押さえつけるように胴を片腕で抱えた。抱え上げられても遥は暴れ続けるが、そんな彼女を肩に担ぎ琉斗たちを振り返った。


「なんだ、置いてくぞ」


「そんな、人を荷物みたいにしていいの?」


「こいつの場合はな。こうでもしないと着いてこないだろ」


「着いてくるんじゃなくて担がれてるだけだろ」


「なにか問題が? 琉斗、しばらく歩いたら背を借りられるか。地図で場所を確認してさっさと向かう」


 うん、いいよ。琉斗の言葉を聞こえるのが早いか、龍騎は布の塊を担いだまま歩き出した。向かうのは街の出口。ため息をつきながら洋平が後を追い、その背中を琉斗が歩いて追いかける。


 不意に琉斗は足を止め背後を振り返る。


 降り始めた雨に締め切られた組合の窓。その二階の窓に灰色の影。ひらりと片手を振った窓際の姿を振り払うように踵を返した。


 

 組合の二階から彼らを見送ったオーナーは片手に持った紙を見た。誰でもない名前の書かれた昇格試験の紙。せめて彼らに着いて行った男に自分ほどの力があれば迷わないというのに。


 決して叶わない願いに、長く息が漏れる。

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