第7話

 

 拠点となる街に戻り、冒険者の集まる場所で角兎討伐の報告を済ませていた男は妙齢の女性とカウンター越しに対峙し、ため息を堪えることに苦戦していた。角兎の討伐こそ容易に受理してもらえたが、途中他の依頼の討伐対象であろう飛竜を見つけその死体から角を剥ぎ取ってきたことを伝えた。ギルド職員を向かわせて確認してほしいと伝えたところ、虚偽の報告は受け取れない、討伐をしてもいない素材の受け取りはできないの一点張り。討伐したと言い張っているのは少女一人であり、男としてはどうでもいいと思っているため確認だけしてほしいと伝えているが、少女も受付をしている女性も認める気配は無い。


 じゃあもう報告も無かったことで良いと言っても二人の様子は変わらず、討伐したと言いはる少女。虚偽報告を見過ごせないという女性。大丈夫かと様子を覗き込んできた少年に返す言葉もない。大丈夫ではない。


 おそらく女性はこの場所の受付を長くやっているわけではなく、いつも相手をする男性は席を外しているのだろう。周りの冒険者たち、傭兵たちの視線が刺さる。


 妙なところで時間を使われるのは御免だが、だからといって状況を打開できるような人は居ない。さてどうしようか。


 不意に少年が建屋の出入り口を見て動きを止めた。男も同じ方向を見て、少年の手を引いた。


「大丈夫だ、大人しくしてろ」


 少年は引かれた手をぎゅっと握り、男を見上げる。


「おや、これはこれは。お久しぶりですね。お困りですか、お珍しい」


 親しげに男へ声をかけた彼はわざとらしく慌てたようにボサボサにはねた灰色の髪を手ぐしで直し、普段から曲げている背を僅かに伸ばしてみせた。


「オーナー」


 カウンター向こうの女性がすがるように灰色髪の男を呼ぶ。


 飛竜を討伐したという虚偽報告をしているのです、最低ランクの冒険者が。女性の言葉にオーナーと呼ばれた男は顎に手を置いた。わざとらしく思案する格好に男が目を細める。


「ふふ、そう睨まずとも。うちの職員がご迷惑をおかけしたようで」


「確認をしてもらえれば構わない。飛竜の分は報酬も不要だ」


「報告が正確であればそうはいきません。数と状況を」


「飛竜は三頭、徒党を組んでいたが他に姿は見当たらなかった。三頭とも翼を落とし倒した事は確認済みだ。死体は転がしたままだからしばらくは同じような魔物がよることはない。……想像だが、あの村で畜産をしているなら人の被害が少ない理由はそれだろう」


「はい、ありがとうございます。うちの職員をすぐに向かわせましょう。報酬は数日後になりますが」


「報酬が出るなら部屋代と多少の保存食代に回してくれ。連れが増えたから部屋を変えたい」


 オーナーの視線は少年に落とされ、少年は目が合うとすぐに床へ視線を落とした。


「構いませんよ。こちらに居てくださればすぐ用意をさせて呼びましょう」


「保存食に肉は入る?」


 先ほどまで頑固に討伐をしたと言い張っていた姿はどこへやら、少女が少年とオーナーの間に割って入りオーナーを見上げた。オーナーは少し膝を曲げて腰を曲げ、視線を合わせて笑いかける。


「ええ、もちろん多めにいたします。ああただ、貴方のお連れ様には内緒ですね」


 聞こえる場所で言っておいて何を。男の言葉に少女が笑う。


「では、適当にかけてお待ちください。些事は私が請け負います」


 些事では。カウンター向こうの女性が声を上げる。


 その場の誰も女性の言葉を意に介さず、男は少年少女を連れてカウンターから離れ適当な席に座る。すぐに運ばれてくる飲み物と料理。肉が多く乗せられた料理は少女の前にだけ置かれる。


「あの、ありがとう」


 少年が水の入ったコップを両手に抱え少女へ頭を下げる。


 少女はカウンターで女性と話すオーナーへ視線をやってから小さく首を振った。


「別に。何もしてないわ。それよりもアレを恐ろしいと思えたことに安心した」


 オーナーから見下ろされ、その恐怖に耐えきれず床を見た少年の視界。割って入った少女の存在に救われていた。


「ねえ後で手合わせーー」


「自己紹介を仕合って済ますな、戦闘狂」


「戦わなきゃこの子のこと分からないわよ! あ。ねえ、名前は?」


 名前? 少年は大きく首を傾げ、助けを求めるように男を見上げた。


「名前なんて呼ばれることがなければ使わない。だから持たないやつが多い」


「ええー、不便。貴方は持ってたじゃない!」


「冒険者の登録に名前が必要だったからな。過去に聞いた名を使った」


「むうー。あ、じゃあ私からね。私は遥(はるか)、こっちの無愛想は龍騎(りゅうき)」


「僕は、僕には、名前なんてないから。好きに呼んでくれて良いよ」


 好きにしろが一番困るのよね。そう言いながらも少女は料理にのばしていた手を止め唸り考え始める。


 少女がよそ見をしている間に男、龍騎は少女、遥の前の料理を横からつまんだ。美味しいの。少年の問いに龍騎は少しだけ笑ってフォークを差し出した。食ってみろ。フォークを逆手に握りしめ、少年は龍騎がつまみ食べた部分をつつきフォークに乗った僅かばかりの肉を口に運んだ。


「美味しい……!」


「人の姿をとる奴らを好事家とは言えなくなるだろ?」


「うん、美味しい、すごい」


 フォークを逆手に握ったまま少年は料理を見つめている。遥の前に集まった料理をずらしてやると少年は目を輝かせた。


「そんな顔でアンタが笑ってんの初めて見たかもな」


 声をかけてきたのは以前廃村を焼き払った後の報告を受けた中年男。龍騎が何かを知る数少ない人。


「ああ、その子は俺と同じなんでね」


「は。え、じゃあ、こんな男の子が」


「お前より年上だぞ。何の用だ」


「ああ、そうだった。さっきのこと、オーナーから説教食らったんだ」


 ご苦労さま。労る気が伝わらない淡白な言葉。中年の男はため息をつく。


「悪かったな。あの人は都の方から異動してきたばかりでお前らのことを言うのを忘れていた」


「別に俺たちは気にしてない。一人戦闘狂が討伐にこだわってるがな。ああそうだ、これ、売りたいんだが売ってそのまま金を預けられるか?」


 わずかに濡れたままの麻袋を受け取った男が眉を寄せる。


「こんな、またこんな怪しまれることするからだろ……。あ」


 良いことを思いついた。目に見えて表情の変わった男に龍騎は眉を寄せる。この男の思いつくことにはろくなことがない。


「今回みたいなことがないように俺からも頼みがある」


「断る」


 遥は未だ少年の呼び名に悩み続け、少年は目の前の料理に夢中だ。


「じゃあ、これの換金は断らせてもらうけど?」


「構わないぞ。返せ」


「おい、うそうそ! 頼むって、お前らにも益があるようにするから!」


 預かった麻袋を龍騎から手が届かないように遠ざける。龍騎は手も伸ばさず麻袋を、正確には男の後ろから麻袋へ手をのばす姿を見ていた。


 あ。


 男の情けない声とともに麻袋は背後から抜き取られる。オーナーが男から麻袋を取り上げて中身を確認している。料理を楽しんでいた少年が動きを止める。


「随分質の良い物ですね」


「出所が怪しいか?」


「気にはなりますが、問い詰める気はありませんよ。こちらの換金は請け負いましょう。互いに利のある話です、お願い、聞くだけ聞きませんか?」


「……聞こう」


「うっわ、人で態度変えやがった」


「ふふ、ありがとうございます。料理を食べ終えたら私の部屋に」


「待て」


 薄く笑みを浮かべて立ち去ろうとするオーナーを追うように龍騎が立ち上がり、男がわずかに身構える。


「うちの『子』を威圧するのはいい加減、やめてもらおうか?」


 視線を伏せたままだった少年が龍騎を見上げた。龍騎はオーナーを見据え、動かない。


 オーナーが目を細め男は目に見えて龍騎を警戒する。あからさまな敵意のぶつかり合いに騒いでいた周りの人の声が消えていく。


 静まり返った建屋の静寂を、笑い声が破る。


「っふふ、あはははは! いやあ、これは失礼。新しい顔への挨拶のつもりでした」


 声を上げたのはオーナーだった。龍騎の隣に並ぶと床に膝をつけ、下から少年の青い瞳を覗く。


「見た目通りなようで安心しました。失礼をお許しいただけませんか?」


 蒼き竜の方。最後の一言はひどく小さな声で言い終え、オーナーは膝をついたまま頭を下げる。あのオーナーが頭を下げている、周りの声が再び高まる。


「いえ、僕も警戒しました。すみません」


「いいえ、その警戒は正しいものです。さて。これで貴方もその敵意、収めてくれますね?」


 楽しげな声色で振り返る。オーナーが思う通り不満げな龍騎の顔があり、笑いが漏れる。ああ、本当に面白い。


「では、後で」


 何事もなかったかのように去っていくオーナーの背を男が追う。こっわ。軽口を忘れずに。


 オーナーの姿が扉で閉ざされ見えなくなってようやく、龍騎は席に戻った。


「ありがとう……、見た目通りって」


 少年は龍騎へ軽く頭を下げながら首を傾げた。竜と呼ばれたからにはあのオーナーと呼ばれる人は少年のことを見抜いている。だから、正しくない人間の見た目で見た目通りと言われた意味を捉え損ねていた。


 龍騎はグラスの水を飲み干す。


「幼く弱いと言われたんだ。あれは個で竜を殺せる人間だ」


「……人が」


「現に俺も個人に縄をつけられているだろ」


「僕は弱い?」


「普通の人には負けない。けど、ここには戦うことを生業としている奴らが多い。慣れるまでは俺達のどちらかから離れるな」


 未だ悩み続ける遥の肩を叩く龍騎。少年は呆然と見つめていた。


 驕っていた? けれど人間が竜より弱いことは事実だと思っていた。戦える人間だと言ってもあの島に居る人達のような。


 けれど、たしかに。たしかに「オーナー」と呼ばれたその人は確実に自分を倒せる強さを感じた。


 幼く弱い。自分が。


「琉斗! るーとー!」


「ぇ?」


 耳元で聞き慣れない言葉を連呼され、少年は顔を上げた。同じ青が間近にある。


「琉斗! 貴方の名前よ、オーナーが呼んでるらしいから一緒に行こ」


 ほら。強く引っ張り椅子から引き上げられた少年。


 琉斗は手に持ったフォークを机の上に取り落とし、前を歩く少女の背を追った。

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