第6話
少女が一歩を踏み出し、橋となった氷がぱきぱきと音を立てる。大丈夫なの。少女の言葉に男は応えない。男が音もなく歩く速度に合わせてぱきぱきと少女の走る音が続く。氷の道が辿り着く先、池に浮かぶ島の縁に何人もの人が集まっていた。
到着ー。少女が島に降り立ち、男は島に足を踏み入れてから氷の橋を振り返り片手を差し向ける。ぱんっ、と軽い音がし氷の橋は砕け散り池に沈む。
「貴方がたは一体……」
集まる島の住人の中でも年老いた男性が曲がった腰に片手を当て、木の杖をつき男たちに向かい一歩足を踏み出した。少女は男を見上げた。変わらない無表情。
「島の外に居た男の人から依頼を受けたわ。水龍を鎮めろとかなんとか」
少女の言葉に周りの人は一瞬声を出し、少女に集まる視線はすぐに男へと向けられる。じゃあ高位の冒険者が。期待に満ちた視線。
龍を鎮めるのに学者でもなく冒険者達を何故求めるの?
少女の言葉に一瞬で周りの声が消える。
「しずめる意味が違う、お前は黙ってろ。……既に対策を打っていると聞いた。町に被害を出さないためにもその対策を強化するのが良いだろう。案内を」
首を大きく傾げた少女。男の姿に喜んでいた老人は嬉々として背を向け野次馬たちの波を割った。ねえどういうこと。小さな歩幅で精一杯歩く少女と同じくらいの速度で老人は歩く。
足を踏み入れた島の端は浜辺のようだった。繋がる石畳は街を割き、石は段々と砕け砂利になる。家や店が数えられる程度になり、人の手が入っていないような木々が左右に乱立するところで少女は男の背中に飛びかかった。
首に回る小さな両手。支えをやらずとも少女はしっかりと男の首を抱き込み歩く程度の揺れでは揺らがない。
目的地に着いたのか振り返った老人は細い目を見開いた。
幸せそうな少女を背中にくっつけた男は会った時と同じ無表情。対するように少女は至極満足そうに男の首をとらえて笑っていた。
「この先に?」
男の声に老人は慌てて道を譲る。
道の先には更に分かれ道。暗く森に続く獣道と、池の端に作られた町とは違う街へ繋がる道。
「こちらの道を真っ直ぐ行くと地下への道があります。地下を更に進めばーー」
「道案内、どうも」
「アレはこの島の生命線、分かっておられますな」
「もちろん。この町にそんな財源が考えられない程には理解してる」
首を傾げた少女を背中にくっつけたまま、男は森の中へと足を進める。
「ねえねえ、あの爺さんはもう居ないわよ。どういうこと?」
顔を近づけるも男の表情は変わらない。
「あの町、この島は水龍を殺す。そのための道具を大金で買っている。……アイツが何をした」
低くなった言葉に少女はくすくすと笑って男の首元に顔を埋める。
「何もしてなくたって、一緒よ」
山の麓、山頂へ向かう上り坂と、山の中へと入り込む下り坂。そして洞窟。洞窟の入り口で少女はようやく背中から降り、洞窟を見て鼻を手で覆った。
なにこれ。
少女の不機嫌極まりない声に男は視線を落とした。
「待つか?」
「何、珍しい。行くわよ」
「そうか。倒れるなよ」
外套の前を寄せ男が洞窟へ向かい、遠慮のない歩幅に少女が小さく走った。
洞窟の中には足元を照らす程度の灯。
男は時折背後を振り返りながら少女が鼻を押さえる原因へ向かう。
人が竜を殺そうとする理由は何度も調べてきた。自身の身を守るために、好奇心で。理由は分かりやすく単純だった。恐ろしい。人を殺す。じゃあ人を殺さなければいいのかと言えばそうでもない。少年の姿を取った年若い水龍は人を助けるほどには共生を望んでいたが、殺される。
人からしても同じことなのだろう。何もしていなくても殺される、恐ろしい。だから、殺す。
男は不意に振り返り、歩みの遅くなった少女の手を強く引いた。
「着いてくるならちゃんとしろ」
気持ち悪い。そう繰り返す少女の手にはいつもの力を感じない。より強く手を引き、男は片腕で少女を抱え上げる。
「お前が殺そうとしている竜は、こうして町や国を挙げて対策立てるものだ。単身挑むのは、無謀でしかない」
本来なら。
最後に付け足された一言に少女は笑う。
「それでも、私はあなたに勝ったのよ」
少女の言葉を遮るように歩む先から誰だ、と鋭い言葉が飛んだ。
目を向ければ水面。
緩やかに下る洞窟は深い水面を映し、傍らには槍を構えた二人の青年と更に青年たちの背中側に樽が積み上げられている。
ああ、あれだ。少女は眉を寄せた。鼻をつく腐ったような匂いはあの樽から漂っている。
槍を構えた青年たちに依頼を受けたことを説明している男の腕から降り、少女は水面を覗いた。遠く、深い。水溜りなどではなく池だった。この道は池につながっている。
池に繋がる縁からは腐った匂いがより強く漂い少女は足を引く。
「助かったよ。コイツは温度変化に敏感でな、水龍様をしずめるにもそれまで保つかーってところだったからな」
青年たちが声を合わせて笑う。
「ああ、俺たちも限界だったから助かったよ」
男はそう言って『笑い』、青年たちの向こう側へと手を向けた。樽近くに備え付けられた灯がチリチリと音を立てる。
「出来れば、息は止めてろ」
男の視線が僅かに少女に寄せられたと思った瞬間。少女の視界は炎に包まれ、直後全身水に包まれた。慌てて息を吸い込もうとした口は暖かな何かに塞がれていた。反射的に鼻で息をしようと勢いよく水を吸い込み、塞いでいる手の隙間から息が漏れた。
『うわあ……、人に無茶させてる』
くすくす。くぐもった笑い声が聞こえ、少女は柔らかな場所に投げ出された。
鼻から入った水を吐き出し、痛む目を擦る。
「これで水の中の龍に喧嘩を売ってたんだから無謀だって言ったんだ」
『僕が来る前提でこの池に飛ぶのも中々無謀だと思うけど。ね、竜を倒した人、目を開けて。綺麗だよ、一周りしよう』
目をこすり頭を振り、少女は視線を上げた。
青く、わずかに白く霞んだ視界。透き通る視界の中を魚たちが追い抜き、追い越し。水が入り痛む耳にも常にこぽこぽと音が響く。
『住みたくなる?』
少女は泡のような膜に包まれ、膜越しに池の中の景色を見ていた。
「ええ。綺麗ね……」
『ふふ、ありがとう。これが最後だよ、上がるね』
少女が乗っていた水龍は頭を水面へ向け、長く伸びる身体を捻りゆっくりと浮上する。
池から浮上すると少女たちを覆っていた泡が弾け、ゆっくりと近づく地面に少女は飛んで着地する。
「ありがとう。背中で吐いてごめん」
『いいよ、気にしなくて。ありがとう、壊してくれたんだね』
ばさばさと、外套に付いた水を払っていた男は水龍を振り返り首を傾げた。
「ああ、アレか。多分あの島にあるのは全部焼いたと思うが――引火するとは思わなかった」
『だから飛び込んだんだ……。貴方はともかく人は危ないよ』
「今後気をつけよう。しばらく同じ物は入ってこないだろうが、離れることを勧める」
『そうだね、うん』
「なに、一緒に行けば良いじゃない」
頭を振って水滴を飛ばした少女が池の端に置かれた水龍の頭を叩いた。
「私は貴方とも行きたいわ」
水龍は視線をわずかに上げた。人よりも人のように見える竜の男は何も感じさせない無表情で水を叩き落とした外套を羽織り直した。
「この道の決定権は私にあるの」
ぺち。軽く叩かれ、水龍の視線は小さな少女に戻る。
「あとは貴方が選ぶだけ。行く先が見付かるまででも良いわ、一緒に行こう」
水龍は頭を上げ、少女たちを見下ろし、池を見回した。
美しく居心地の良い棲家。また住めるのであれば住むのも良い。けれど、数年もしたらきっとまた同じことが起きる。自分だけを殺す何かが起きる。そして――。
水龍は沈み込むように音もなく池へと戻った。
波紋が広がり少女の前に龍の姿は無くなった。
振られたんだけど。男を振り返り、少女は頬を膨らませた。男はポーチからタオルを出し、少女の頭に乗せてかき乱す。
「宿に戻ったら風呂だな。風邪を引く」
「ううー。あの子欲しい」
「……、待ってやれ。無言で消えるようなやつではないだろ」
「え、え? どういうこと。来てくれるの!?」
頭の上のタオルを振り払い、少女は池の縁に駆け寄った。
水の中には大きな青い瞳が移り、水面の向こう側で瞳は見開かれ方向を変えた。
『ぶつかっちゃうよ』
池から空高く伸び上がった透き通るような空を混ぜた白銀の鱗が水面のようにキラキラと光を少女の瞳に返し、その体は地面へと落ちた。
落ちた衝撃で水龍の身体は砕け散るように水と代わり、水龍だった少年が水の中で立ち上がる。
「僕は雨の日以外空飛べないんだ。ちょっと格好悪いところ見られたかな。一緒に行きたいから……必要かわからないけど、お土産」
水に濡れた小さな麻袋。少女が中身を広げ、目を輝かせて男に駆け寄る。
「ねえねえ、綺麗よ! いっぱい!」
少女が麻袋の口を開き、男の顔に向かって突き出す。
じゃり。金属のような音に男は片手で小さな麻袋を受け取り中を見た。色とりどりの形も様々な大粒な石。透明感のある石、真黒に虹を散りばめたような石、そして数枚の金貨。
そういえば依頼の報酬もらってなかったな。男の言葉に少年の姿をとった水龍は首を傾げた。足りる?
「十分だよ、しばらく金の心配は要らなさそうだ。ありがとな」
ちいさく、笑った男が麻袋ごと石と金貨をポーチへとしまった。
一緒に旅ができる。少女が酷く上機嫌に両手を空へ突き上げている中、男は少年へと歩み寄った。
「依頼人をどうしたかは、アイツを含め誰にも話すな」
「……うーん、やっぱり人としては良くない?」
「良くはない。共に来るなら基本的に人の姿で在れ」
「はい。知っているかもしれないけど、僕はまだそんなに長く水から離れられない」
「なんとかなるだろ。ダメそうだったら言え」
優しい『同族』だね。
少年の言葉に男は何も返さず、走り始めた少女の後を追った。
少年は振り返り、池を見回した。綺麗な池。水底には草が芽吹き、魚が住み、人が住み、自分が住んでいた。人と話すこともあった。だからこそあの場所が好きで、落ちてくる宝物をいつか人に返そうと集めていた。流れのない水が淀まないように務めていた。
けれど終わり。
きっと池は数十年のうちに淀む。水底の草は腐り、魚は死に。
人はあの青年と同じ最期を辿る。
水面に映る自分の人としての顔に、少年はぎこちなく笑いかけた。
「さようなら」
水に還した青年は人の姿で初めて出来た『友人』だった。
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