第5話

 

 こんな依頼受けるんじゃなかった。こんな依頼受けるんじゃなかった。


 珍しく同じ言葉を続ける男の腹を下から殴ると不満そうな視線が返ってくる。そうしていると人間みたいね。吐きつけてやりたい言葉を飲み込んで、前を歩く青年を見た。短い黒髪に軽装な旅人服。背負った袋には旅用の食料と水が入っている。


 角兎の討伐を終えて二日が経っていた。水龍を助けろと、意味のわからない依頼を口にした青年は言い値を報酬とする、という言葉を否定することなく自らが住んでいるという村に向かっている。道中の護衛も頼む、という依頼にも男は無言で応え独り言と少女と話す言葉以外何も言わずただ不機嫌に街道を行く。


「ねえちょっと、疲れた」


 少女の声に青年が振り返るがそこにあるのはこの二日間見てきた光景。


 男が少女を拾うように抱き上げ男が視線で青年を先へ促す。


「なあ……依頼受けてくれるならそろそろ喋ってくれても」


「コレは人見知りが激しいの。依頼に関する話なら私が聞くわよ。もうすぐ着くでしょ?」


「……。知ってると思うが、今向かってる俺たちの村は少し特殊な場所にある」


 広く大きな池の中、隆起したような土地に造られた村がある。少女は昔聞いた話を思い出し、男の腕の中で一つ頷く。


 村の有る池ではここ数年、水龍が棲み着き村の生活を守り清浄な水を提供してくれていた。眉を歩く青年の言葉に男の眉が寄る。


 だが、数週間前から様子がおかしい。普段凪いでいる池には荒波が立ち、旅人のためにと用意された頑強な橋は全て水龍に壊された。偶然最後の橋が壊されるとき、村の外に居た青年は助かったが多くの村人が村に残されている。船で出ることも出来るが、水龍が気まぐれに暴れ出せば死人が出る。


 だから、同じ竜であり人に与する黒竜とやらに助けを求めたかったんだ。男の眉間のシワは深くなる。


「頼んどいて何なんだが、アンタたち何とか出来るのか?」


 無口な男に力がありそうには見えない少女。


「さあ?」


 現物が無いと何も。少女の淡白な言葉に青年は厳しい目と共に振り返った。


 青年よりも厳しい目をした男の視線にあわてて前へと向き直る。


「その黒竜とやらもそうだが」


 初めて。男が青年へと話しかける。


「水龍も、人を助けていると何で思うんだろうな?」


 半身避けるように後ろを見ると男は少女を抱え直している。


「信じられねえと思うけど、水龍様は人の姿になれるんだ。俺は……一年くらい前に池に落ちた。その時助けてくれたのが水龍様だ。もし、暴れているのが水龍様が苦しいからなら、俺が、手助けをしたいだけなんだ」


 ふうん。男と少女の声が重なり、前へ向き直った青年が仲が良いんだな、と言うとどさりと重い音が背後に落ちる。見れば男は少女を取り落している。誰が。不満な顔をした男と少女が、二日旅をした姿よりも近しい姿に見え青年は笑った。


 さあ着いた。ようこそ俺たちの村へ。


 見渡す限りの池、否、湖。酷く澄んだ水は湖の淵で底を見せ、遠くでは水の色のみを映す。


 湖の中心では隆起した大地が山のようになり、その中腹にはいくつもの建物が見える。あんな不便なところによく村なんて作る。片手を目の上に掲げて少女は笑う。湖の近くに大きな生き物の姿はなく、船も見当たらない。


「実物見ないと。ねえ、どこに居るか分かる?」


 少女が振り返ったのは黒い外套に身を包んだままの男。湖を一望し、視線を湖の向こうの村に戻す。


「残念ながら俺は水の生き物じゃないんでな。居ないんなら呼べばいいだろ」


 呼んで来るならそうしているよ。青年の言葉を聞かず、男は湖の淵に立つと片手を水に浸ける。不自然なほどに大きな波紋が男の手を中心に湖全体へと広がっていく。


「下がってろ」


 少女のワンピースの首根を引いて無理やり下がらせる。


 不自然に広がった波紋は不自然に池の中から湧き上がる波紋に打ち消される。


 ざざ。打ち寄せる波の中心に何かが顔を出し、長い体をもたげる。


 長い体に、魚と同じヒレを背に伸ばしたそれを青年は水龍様、と呼ぶ。


「別に狂っているようには見えないがな」


 口元から生えたひげのような細長い物が警戒するように緩く高く持ち上げられる。


「アンタたちは一体」


「狂ってないなら仕事は無いだろ。戻るぞ」


「えー、ねえあれ、強そうよ?」


「お前は水の上で戦えるのか? 水龍なんだ、水の上で戦えなきゃ面白くないぞ」


「それは……そうね」


 残念。強そうなのに。少女が両手を伸ばせば男がその小さな体を抱き上げる。狂ってないなら依頼は無いだろ。男は端的にそれだけを告げると水龍と青年に背を向ける。待ってくれ、と青年が声をかけるよりも前に湖の前から顔を出した水龍が少しだけ男に近づいた。


 音のない挙動に男は振り返る。何か用か。尋ねる言葉は青年ではなく水龍に寄せられている。水龍は湖の縁まで体を寄せ、深く頭を地面に近づける。それでも青年と頭の高さは変わらないが頭を下げていることは全員に伝わる。


 前足にも似たヒレを湖の縁にかけ体を乗り上げる。体から頭をぺたりと地面に付けた水龍は深い海の色の瞳を男へと向ける。白に近い透き通るような空色の鱗は水に濡れ、きらりきらりと陽の光を返す。綺麗ねえ、呑気な少女の声に水龍は少しだけ目を細めた。


「――あなた、は」


 不意に聞こえた舌足らずな言葉。その出処に青年は足を引く。水龍。


「無理に人の言葉を話すな。俺たちは解る」


『……うん。貴方も、竜ですか?』


「俺はそうだ。この小さいのは戦闘バカで、ただのバカだ。俺と契りを交わしてる」


『小さいのにすごいね。貴方みたいな竜を倒したんだ』


 ふふん。と少女が鼻を鳴らして胸を張る。倒してないだろうが、という男の言葉には応えずすごいでしょーと男の手から飛び降りて水龍の鼻先を小さな手で叩く。青年がそんな無礼なこと、と慌てて少女へ声をかけるが水龍はすごいすごいと少女をひと飲みに出来るほどの口をわずかに開いて笑う。


「そこの依頼人が言うには水龍様が狂って暴れてるって話だったが」


 水龍が視線をさまよわせ、少女に伸ばしたまま手を上げた青年を視界に収める。


『ああ、前に湖に落ちた子ですね。……お恥ずかしながら、たしかに僕はこの間妙に苦しくなって暴れて、橋を壊しました。僕にも理由はわからなくて。僕を討伐に?』


「え、なに、戦ってくれるの?」


 喜び水龍の鼻先に体を乗り上げた少女が背後から強く引かれて地面に尻もちをつく。


「黙ってろ戦闘狂。なんとかしろと言われているだけだ。お前は湖に憑いたんだろ」


『うん、僕は人が好きだから。人も居て、水があるこの場所に憑いた』


 憑くってなに。少女の問に男はため息を返す。少しだけ視線を寄せたのは驚いたまま固まっている青年。今は話す気が無いのか。少女は諦め水龍の目の前で座ったまま大きな瞳を見上げる。自分よりも澄んだ綺麗な空色。


「人を好きになるのは珍しいな。まだ幼いのか」


「お、おい。水龍様と話してるのか」


「……。原因に心当たりが無いと言ったな。苦しくなるというのは――息が出来なくなったからか」


『! そうです。心当たりあるんですか?』


 興奮気味に水龍が僅かに頭を持ち上げると青年が足を引き、水龍は再び頭を地面につける。


 人がどう思うか、竜を恐れるかどうかなんて気にする。男にとってはわからない感覚だった。


「人を好く竜なんて居ない理由だ。しばらく水から離れろ。陸を歩く姿は取れるか?」


『……うん。取れますよ。久しぶりだから、うまくいくかな』


 のそり。ゆっくりと頭を起こした水龍が一度青年に視線を寄せ、直後湖の水がせり上がり水龍を覆い隠した。ばしゃり。水龍を覆い隠した水が全て地面に落ち、大きな水の体は消えた。


「うわ、やっぱりびしょびしょですね」


 そして水の中に居たのは少女と同じくらいの年の少年だった。


 少女と同じ色の髪を、同じ色の瞳を持つ少年は体を覆う紺色のマントを手繰り寄せる。ぐっしょりと水に濡れた頭を振るえばわずかに水滴が飛ぶ。


「うん。コッチのほうが話しやすい。改めてご挨拶を。『同族』なんて初めてお目にかかりました」


「うわあ、ちっさい」


「小さいのはお前もだろ。ご丁寧な挨拶もご丁寧な話し方も不要だ。呼ぶまで離れてろ。ああ、そこのうるさい依頼人もな。水龍サマを信奉してるなら害はないだろ」


「わかりま、じゃないですね。分かった、ありがとう」


 水龍様。呆けた声は依頼人の青年から。視線を向けた少年は微笑んで見せる。


「じゃあ村に行くか。これなら言い値も嘘にはならないだろう」


「空から渡るの?」


「歩いて行くさ。お前らは大人しくしてろ。……出来るならな」


 何をする何をすると近くによる少女を鬱陶しそうに片手で払い、湖の淵に触れる。先程水龍を呼び寄せた時と同じように水面は不自然に波立ち、直後彼らの前には白の道が作られる。


 パキパキ。氷が割れる音が響く。


 危ない音するけど大丈夫なの。訝しげな少女は持ち上げられ、氷の上に放られる。青年の叱るような声の先で少女は体を捻り猫のように氷の上に着地し、つま先で何度か氷を小突いた。意外と丈夫ね。


 少女の様子を見てから男は氷に足を踏み入れる。


 楽しげに何かを話す少女と必要最低限以外話さない男。大きさの違う二つの背が遠く離れるまで見送り、少年は水龍を大人しくさせる依頼を出したという青年に向き直った。


「あの方たちが戻ってくるまで待ってようか。ひとつ、聞いても良い?」


 人を丸呑みにできる水龍。今は人の子供の姿をしているが、元の姿を知っている青年はひとつ頷く。




「そうまでして僕を殺したい?」

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