第4話

 

「毛皮とか邪魔にならないの?」


「食うのにか?」


 人の姿で赤く汚れた口元を拭い男はかろうじて取得していた角兎の角を地面に転がした。そう、食べるのに。少女の答えに男は首を傾げる。


「あの体で皮を剥ぐ方が面倒だ。そんなこと人くらいしか出来ないだろうしやらねえよ」


「ふーん、竜みたいに硬いやつも?」


「好みじゃないな。硬いのを好んで食うやつも居るが、剥ぐくらいなら別のやつを食う」


 同族を食べることに抵抗はないのね。少女の不思議そうな言葉に男は一つ頷く。人でも同じ考えのやつは居ると聞いたが。男の言葉に少女は嫌悪を返した。それなら牛や豚の方が断然美味しそうだ、と。肉を好んで食べる少女の言葉に男は薄く笑った。人が育てている家畜の肉は確かに美味いな。


 地面に転がっている角をリュックにしまい、少女は空を見上げた。


「どうしたい」


 短い問いに彼女は片手を差し出す。


「翼を貸して」


 飛竜を狩ってこいと、決して言わない。提案すれば怒り出しすらするだろう姿に男は笑って一歩足を下げた。


 

 黒の竜の背は慣れれば立ち上がれるほどに安定し、風も吹かない。代わりに速度を出せないのだと、男は不満そうに語っていたが最大速度でなくとも山野を飛び荒らす飛竜達に接近するのは容易い。


 人には通じない言葉で少女を乗せた黒竜を罵倒する飛竜たちのうち一体が翼を高く上げた瞬間、小さな影がためらいもなく飛竜へと乗り移った。


 小さな姿が確実に飛竜の背に移ったことを確認し、黒竜は一度大きく羽ばたき辺りをぐるりと見回した。飛竜は三体。思ったよりも小規模な群れだ。何かに群れの頭数を減らされたか。少女を乗せた飛竜が不自然に降下するのを追って翼をはためかせた飛竜の尾へ牙を立てる。この飛竜たちがどんな境遇にあっても自分には関係がなかった。咥えた尾を振り上げる。空中に放り出され、慌てて体勢を整える飛竜を地面に近くなった高度から見上げ、黒竜は口を開いた。


 さようなら。


 ごう。一迅の風が飛竜に吹き付け、黒竜は空を叩いて体勢を立て直す。飛竜とともに地面に落ちていく小さな姿。翼をたたみ、小さな姿よりも下に身体を滑り込ませる。不自然に落下速度を落とした少女を背中に感じ、地面へ足をつけた。


「あと一体は落としてくれればなんとかするわよ」


 近くに凍った飛竜の身体が落ちいくつかの破片となって飛び散った。


 返事の代わりに翼を動かし、身体を空へ浮かべた。


 年若い飛竜とはいえ、同族を相手とする狩りは容易くない。ほとんどが群れを作り、一頭を相手にすれば逃げられるか集団でかかられるか。


 ただ、ひとつの囮を作るだけでこんなに。


 逃げる飛竜の背を追いかけ、黒竜は口を開き笑った。


 囮なんかじゃあない。


 飛竜の首を捕らえ、前脚の爪で飛竜の片翼の皮膜を裂いた。飛ぶ力のない身体を後方へ飛ばす。先に地面へ落ちた飛竜の断末魔響く、地獄へ。


 囮扱いは失礼だろう。あの小さな体で、小さな武器を持っている少女はそれでも飛竜程度であれば自力で殺す。竜の姿のまま近付けば目に入るのは翼をちぎられ、頭にいくつもの深い刺傷を負った飛竜二頭の姿。人に姿を変え近づくと小さな歩幅で軽く飛ぶように近づいてくる少女。怪我は。赤い血塗れの少女は笑顔で首を振った。


「あのくらいなんともないわ」


 少女の身体を濡らすのは飛竜の返り血だった。


 男は少女に片手を差し出した。


「せめて身体の血を落として、着替えろ。その姿は――人と程遠い」


 男の言葉に少女はひどく嬉しそうに笑い、差し出された手を取った。


 空を飛んでいるときに見つけた小さな泉に少女を落とし、泉の近くで人の姿に変わる。泉に落とされた少女はひどく不満そうだが、体に付いた血はほとんど落ちた。返り血を気にしない姿は人よりも獣に近い。あんな姿で依頼の達成報告なんてしたら恐れられて達成の証なんてもらえない。金を得られなければ宿に泊まれない。竜である自分だけならまだしも、人の子供の姿をしている少女は病にかかり死ぬだろう。


 少女が死ねば目的を果たせない。


 服ちょうだい。下に一枚しか着ていない姿で濡れた体も拭くこともなく少女は男に服を求める。確かに服を持っているが。男は革袋からタオルを取り出し、少女の頭に乗せた。


「風邪なんかに殺されては困る」


 座った姿勢のまま少女の手を引けばあぐらをかいた中心に小さな姿が落ちる。少女はされるがまま髪を、体をタオルに包まれる。


「人の中に居るの、慣れてるのね」


「何だいまさら。……暇を持て余して人に紛れていた事があるだけだ。それもまた飽きたが」


「だから冒険者も詳しいのね」


「力があれば良いからだ。他の奴らには悪いが金は楽に稼げる」


「ふふ、それは分かるわ」


 人にわかってもらえてもな、ほら、服を着ろ。革袋には確実に収まらない質量の服を取り出し、少女へ渡せば少女はその場で服に体を通した。香る血の匂い。青い髪に触れても少女は何も反応を返さない。


「疲れたか」


 男の言葉に、体に負担をかけない戦い方はしてるのに、と不満な声。小さな体で飛竜を落としただけで十分。寝ていていい。


 今日は随分優しいのね。


 少女の言葉に応えずにいると腕の中にある姿は力を抜いて倒れ込んでくる。日は傾き始めたが夕刻には遠く。真昼よりも強く感じる陽の光に男は目を細めた。


 

 眠った少女を抱え、町に戻った男の耳に届く二つの大きな人の声。一つは聴いたことのある小さな女の子の声。そしてもう一つは低い男の声。二つの声は違う方向から聞こえてくる。少女の方へ足を向けた男は不意に足を止めた。


 聞こえてきた低い声の放つ言葉が男の足を止める。


――黒の竜に頼みたいことがあるんだ


 必死なのであろう大きな声。一瞬考えるも改めて女の子の声が聞こえた方へと歩みを進めた。


「だから言ったじゃない、人に、国に懐いていると思われてるって」


 抱えた少女の言葉に両手を離した。どすりと落ちた重い音は痛みを訴えるが無視して歩みを進める。


「他の人間には冷たいのね」


「……竜に何を頼む。ろくなことじゃない」


「私みたいに?」


 見下ろした少女は満面の笑みを浮かべ男を見上げていた。


「自覚してたのか」


「いいえ? 竜にしか頼めないもの」


「俺以外にしとけば今頃叶ったろうにな」


「強くない竜なんて意味ないわ」


 基準がおかしい。男の思いは口にする前に女の子の悲鳴に消された。おにいさん、と男を呼ぶ女の子はひどく全力で駆け、白いワンピースの袖口は赤い。鉄の匂いが人より優れた男の鼻をつく。


 おにいさん、お母さんをたすけて。


 血塗れの手で必死に龍騎の外套を掴む女の子。


「――、角兎は倒しましたよ」


 しゃがみ込み、優しく女の子の手を外した男は依頼を受諾したときと同じ笑顔を女の子へと向ける。一瞬、何を言われているか分からなかった女の子は唖然とする。片手を差し出した男の手に乗せられるのは角兎の角。


 群れが多かったから三本になったが多い分には問題ないだろう。女の子の手を取り、男は笑顔のまま角兎の角を乗せる。女の子は困惑したままに男の後ろに控える少女を見た。少女はひどくつまらなさそうに大きな口で欠伸をしていた。


「ねえ、おねがい、お母さんが」


「完了札、貰えそうにねえか。少し寄り道になるが」


「良いわよ。ぴーぴー泣かれてもうるさいだけだもの」


 じゃあ案内してくれ。笑顔を消した男に見下され女の子は足が下がったが、奥歯を噛み締め、こっち、と母親のいる家へと走り出した。


「疲れてるから走るのは嫌ー」


 わがままを言うように両手を伸ばした少女を抱き上げ男は走る女の子を追った。向かうのは朝から酒の匂いと草の青臭さが記憶に残る女の子の家。酒の匂い、草の匂い、そして鉄の匂いが混ざる。


 女の子が案内する先の部屋で、一人の女が頭から血を流して倒れていた。辺りに散った茶色い瓶の破片。足を滑らせて倒れたにしては。


「血がとまらないの!」


 何もしなければそれは止まらないだろうに。男は仰向けに倒れる女の頭近くでしゃがんだ。息はある。死ぬほどの失血量でもない。不安があるとすれば打ちどころが悪くて頭の中に傷が入っていることだが、それは確かめようもない。


 振り向き供の少女を見ると首をかしげている。目の前の光景は少女の感情を揺らすには足りないようだ。


「小さい魔石、やったろ。使うから返せ」


 えー。不満そうな声の後、差し出した男の手の中に小さな重み。


 手の中に収まった石を親指と人差指でつまむ。透き通った翡翠が色を淀ませ、つままれた場所から放射状にヒビが入る。


「血は止め、傷も癒やす。だが、頭に衝撃を受けたなら必ず医者に診せろ」


 いいな。強い言葉で声をかけられた女の子は両手を胸の前で祈るように組み、何度も頷く。


 ぱきん。小気味良い音を立てて割れた小さな翡翠。割れた男の手から溢れた緑色の光が倒れた女の頭に集まる。傷の具合も見ず、立ち上がった男に女の子のすがるような視線が寄せられる。


「俺を信用するかは知らん。だが、完了分の札はもらおうか?」


 依頼受諾時とは全く違う冷たく優しさの感じられない男。床を見ると母親の頭からとめどなく溢れていた血は止まっている。


 差し出された男の手に乗せるべきものは知っていた。慌てて家の奥にある自分の部屋から木札を持ってくると差し出されたままの男の手に乗せた。男はそれを腰元のポーチにしまい込むと、依頼をどうもありがとうございました、と冷たいままの言葉を放ち女の子の家に背を向けた。


「何があったと思う?」


「空き瓶で殴られたんだろうな。当人は逃げたみたいだが」


「逃げるくらいならやらなきゃ良いのに」


「そうだな」


「そこは興味ないのね」


 何に興味を持てと。


 依頼を受けた町に戻る。町の入口には何人かの人が集まっており、そのうち一人が叫び続けていた。黒い竜はどこだ。頼みたいことがあるんだ、と。


 青年の叫び声に男の眉間にシワが寄る。


 青年は男と少女に気付くと、アンタ冒険者か、と大きな声を出しながら近づいてくる。うるさいのは苦手なのに、少女は男の顔を見上げ酷く嫌悪した表情を確認し小さく笑った。


 すがるように男の外套を掴んだ青年の手を、男はいともたやすく払い落とした。


「黙れ。竜なんて知るわけ無いだろ」


「っ。じゃあ、今ここで緊急依頼を出させてくれ! 報酬金は言い値でも良い!!」


 言い値。男が復唱した言葉に青年は一度息を止めかけたが、それでもいい、と強い視線を男へ向ける。


「依頼内容を聞こうか?」


 突き放すような棘のある言葉をそのままに問えば、青年は再び男の外套を掴んだ。


「俺の村の水龍様を助けてくれ!!」

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