第3話

 

 男が行動をともにする少女よりも小さな女の子が扉を家の内側で支え男を見上げている。男はゆっくりと地面に膝をつけ、可能な限り腰を落とした。


「こんにちは。隣町でこういう依頼を見つけてきたんだけど、ここに書かれている人は君のおうちの人で間違いないですか?」


 背後で少女が胡散臭い、と呟いている。扉を支えていた女の子は男の持っていた古びた紙を確認し、警戒にこわばらせていた顔をほころばせた。この子が依頼者か。男は紙をポーチの中へ戻す。目の間に居るのは幼い子供。冒険者に出す依頼に年齢制限はない。難易度の高い依頼であれば話は別だが、角兎の討伐程度子供も出すことができる。


 だが、これでは正しい最新情報が得られるかはわからない。角兎たおしてくれるんですね。期待に満ちた笑顔に、男は柔らかな笑みを返した。


 不意に、どちらさまですか、と大人の強い声が聞こえ男は座り込んだまま曲げた腰だけを伸ばした。女の子を後ろからかばうように抱き込んだ女の手が見えた。細く白く、所々に赤く傷の入った手。苦味のある青臭さを感じた。


「はじめまして。隣町から依頼を受けて来ました。角兎による被害はまだ有るのでしょうか。もし、まだ依頼が有効なら場所を教えていただけますか」


「そんな、払える報酬が」


「――角兎は討伐対象とされる中では最弱です。正直、複数体倒したとしてもこの子の小遣い程度の報酬ですよ。それに、依頼書に書かれているのはお金ではなさそうです」


 古びた依頼書を再度取り出し、女の子の母親らしい女へと手渡す。恐る恐る紙を受け取り内容を確認する。依頼内容、畑を荒らす角兎の群れの討伐。達成報酬、薬液と薬草(乾燥)。


 女の子が母親の片腕に守られた中で胸を張る。私も薬液と薬草を乾燥させることくらいなら出来るんだよ。母親の反応を見るに、依頼を出していることを相談されていなかったのだろう。母親の強い視線が女の子に刺さり女の子は身体を縮めた。


「これって中断とかは」


「俺たちがここに来る前であれば。俺たちが動いてしまった時点で依頼は受諾とみなされますので、この依頼であれば違約金の方が高くなります。角兎が居るなら頼んでいただければ、俺たちとしても助かります」


 どん、強く壁が鳴って女の子と母親の肩が跳ねるように揺れた。聞こえたのは家の奥。物音に反応して男の後ろに居た少女が顔を覗かせる。似たような年の少女に女の子が強張った表情を少しだけ緩めたが少女が興味なさげに男の背後へ戻っていくと目を伏せた。


 男は物音の正体に興味がない。依頼がどうなるのか。その答えを求めて母親である女に視線を向ける。女は眉を寄せるとわかりました、と依頼の受諾を了承した。


 角兎たちは街道をたどって西の畑に顔を出すことが多い。数は不明だがおそらく二つの群れ、一つの群れは最近増えたため一つの群れだけでも討伐して貰えればいい。達成の証は角兎の群長の角。他のツノウサギより持つのが大きく、色がついている。


 改めての依頼の詳細に男は一つ頷く。では夕刻までには。


 夕方? 母親の怪訝な顔に男は日を改めようかと言葉を返したが、彼女は首を振った。今日の夕方に。


 

 家の前に居た少女は男の話が終わったとわかると両手を男へ向けて伸ばした。誘われるまま少女を抱き上げる。


「お酒の匂いが酷かった」


 町の西出口に向かいながら歩いていた。少女が言っているのは先程訪れた依頼主の家だ。薬草を摘んで傷薬を作る仕事をしているのだろう。水を使った仕事のため女の手はあかぎれる。だが家の奥から香っていた酒の匂いは別物だろう。


 家の奥から聞こえてきた壁を殴ったような音。母親と娘は怯えているようだった。


 知ったことか。男は町の出口で少女を地面へ下ろす。小さな人間の子供がどんな環境に居ても気をやるほどのことだと思えなかった。実際、表向きの笑顔を向ける以上の行動を起こす気になれなかった。ならなかった。


 きっと同族でも同じだ。永く生きたからか、同族の中でも強くなってしまったからか、つながりに興味を持てたのは記憶に残っている限りただ一度だけだ。楽しそうに前を走る少女を見た。無作法にも棲家に押し入ってきた彼女は言葉もなく武器を向けてきた。今も鮮明に思い出せる光景に、知らず笑みがこぼれた。


「おにいさーん!」


 町を出てすぐに聞こえてきた大きな声に後ろを振り向き、地面に足を付けて腰を落とした。視線を合わせれば女の子は満足そうに笑う。


「これ、あげる! まだ上手じゃないけど」


 女の子が差し出したのは緑色の液体が入った手のひら大の瓶。緑色は淀み、軽く瓶を振れば瓶の底に滞留した固形物が浮き上がる。お世辞にも店で売れるとも、綺麗だとも言えない傷薬。


「良いのかい?」


「うん! 私がつんでこっそり作ったの。気をつけてね」


 上手じゃないから。最後に念を押して女の子は気恥ずかしそうに走り去っていった。その姿が見えなくなってから男は立ち上がり、瓶を軽く振った。わずかに粘度を持った液体がたぽりと揺れる。


「汚い傷薬ね」


「見た目はな。俺にとっては人の使う傷薬より、余程良いものだ」


 少女は首をかしげる。見た目を考えたのかただの瓶に入れられた液体は多少の衝撃で割れ、余計な傷を増やす原因になるだろう。


「薬草が薬液に混ざりきらず、溶け切らないのは薬草が薬液より強いからだ」


「ふーん」


「……お前は興味なさそうだな。人はこういうのを高値で取引するだろ」


 男の手元から軽く宙に投げられた瓶がなにもない中空で静止する。男が手を差し出す。瓶が淡く光り、淀んでいた液体は均一な色合いに変わり凝縮されていく。からん。乾いた音を立て、男の手に取られた傷薬「だった」石。


 均一な翡翠色。投げて寄越された石を、少女は太陽に透かした。綺麗。興味がなくとも思わず声が漏れるほど。


「子供は余計な知識を持たない。だから魔力を多く持ってる草を見つけやすい」


「ふーん。これ、どう使うの?」


「その程度の魔石なら軽いキズを治す程度か。……どうせ魔法使えないんだろ。それ、使いたいなら砕け」


「軽傷治すくらいでしょ。じゃあ使わないわ。軽傷なら貴方が治すでしょうし」


 じゃあ捨てろ。男がそう言って視線を向けると、少女は笑顔で小さな翡翠の石をポケットにしまい込んだ。もらうわ。少女は満足そうに、再度足を前に向けて歩き出す。


 少女と歩みを共にして暫く経つ。男も歩みを進めた。


 ただ時が経てば良い。時が彼女の目的を薄れさせ、やがて忘れるだろう。自分はただ、それを待つだけだ。


 ふと、視界の端に違和感が過る。何かが居る。


 既に街道の横には木の柵に覆われた畑。木の柵がところどころ壊れているのは角兎が突進して壊したようだ。


 男と少女は同じ方向へ視線を向ける。柔らかく小さな気配に男は片手を握った。


「なあ」


 男が声をかけ少女が振り返る。


「お前がやりたいのはどうせ飛竜の方だろ。討伐証明さえあれば角兎は俺がもらっても構わないな?」


 腹が減ったんだ。


 男の端的な言葉に、少女は目を細めて笑う。


 いってらっしゃい。

 

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