第15話 鈴木さくらとの書簡②

<鈴木さくら様


 お手紙、拝読させていただきました。

 この世界に未来があるか、ですか。

 未来予測については、頭のいい人たちがいろいろな本でいろいろなことを書いているので、そちらをご参照いただければと思います。個人的に思うことを言うなら、自分の価値観で測れる幸福の尺度からすれば、なかなか大変な未来が待っているな、と思ってはいます。というか、率直に言って、絶望感すら持っています。

 なぜそう思うかという具体的事実を書き連ねると、とても長くなるので、割愛します。ほとんどすっ飛ばして結論だけ言うと、資本の極端な二極化は最終的には共同体の瓦解、滅びを生むと考えています。共同体の単位はグローバリゼーションで広がっているので、その時の共同体の滅びは即ち世界の滅びと解釈しています。

 これから、淘汰圧というものが、時が経つにつれてどんどん強くなっていくと思っています。自分が生きている間にどの程度の速さで淘汰圧が強くなるのか予測がつきませんが、わたくし自身は淘汰圧の中で生き延びる自信はないです。どこかで屈すると考えています。

 でも、わたくしはあなたのように、この世界に対する焦燥から、なんとかせねばと行動を起こすメンタリティはありません。沈む船となんとなく察しながら、外は大海なので降りることはかなわずなんとなくその場に居続け、いざ沈んでいくときには人並みに狼狽し、不安に塗れしがみつきながら消えていく。

 しかたがないと諦めています。わたくしは諦めることに慣らされすぎているとは思います。

 ですから、あなたのその世界への諦めなさは尊敬します。『子供たちに残せる未来がない』との思いからの行動との文言を読みましたが、それは裏を返せば『本来的には、叡智を結すれば未来を残せる可能性がある』との希望があるのかなと解釈しました。諦観を持たずに、この世界に対峙するのはとても大変なことです。

 あなたの行った行動の是非は別として、わたくしはあなたのその、生きることと世界に対して、目をそらさずに対峙する姿勢に敬意を持ちます。

                         鈴木 直人 拝>


<拝啓 ○○市嘱託医師 鈴木先生


 お返事、まことにありがとうございます。

 諦観を持っていないというご指摘は、自分の中では意外でした。自分は、ほとんど空気みたいに諦観が充満した世界に生きていると思っていたので。先生のご指摘が外れているのか、あるいはご指摘いただいたことを自分では意識化できていないのか、正直なところわかりません。

 わかりませんが、ただなんとなく、わたしは先生のお手紙の読後、悪くはないという感覚を得ました。悪くはないということは、良いということではありません。良い感覚というものは、恐らくもう少し高揚とか、加算される感情を含むものだと思います。それには該当しません。やはり、『悪くない感覚』というのが適切な表現だと思います。つまりそれは、普段飲んでいる朝の麦茶を(ここの刑務所では毎朝麦茶が出ます)、ある時不意にこれは麦茶であると強く意識して、ほんのりとした香ばしさを舌先に感じ、少しだけ爽やかな気分になる、そういう類のものです。

 感情のささやかな微風です。

 ひょっとしたら先生は、世界認識というものについて、中核の部分ではわたしと少し似たところがあるのではないかと、手前勝手な想像をしました(見当違いかもしれませんが)。

 だとしたらそれは、気の毒というほかありません。そこには多分に、救われなさというものが内在しているからです。

 でも、率直に申しまして、先生の救われなさというものを知ることで、わたし自身は少し救われてしまうのです。卑しく醜悪だと我ながら思うのですが、実際にそうなのだから仕方がありません。なぜか心強く思ってしまうのです。そしてなんとなく妙な感覚に襲われます。その感覚は、わたしにはノイズです。コンディションが揺さぶられるのです。これもまた、今まで感じたことがないものです。

 この手紙を出そうかどうか、正直なところ、迷いました。そして一週間考え、やはり出すことにしました。わたしから最初に手紙を送った以上、いただいた手紙でやりとりを終えるというのは、礼を欠くと思ったからです。

 もしこの手紙を読んでご気分を害されたら、申し訳ございません。

                              鈴木さくら 拝>


               *


 ある日、鈴木さくらからの手紙を読んでいると、アシナガが背後から急に現れ、手紙をのぞきこんだ。俺は反射的に隠そうとしたが、アシナガは引っ込めようとする俺の腕を掴み、手紙を奪い取った。

「読ませて。読むわよ」

 そこには有無を言わさない語気があった。

 アシナガはその手紙を読み終えると、

「こいつとのやりとりの手紙、全部出して」

 もはや観念していた俺は、鈴木さくらとのこれまでの書簡をすべてアシナガに渡した。

 アシナガは、すべての手紙を読んだあと、俺の机の中から便箋とペンを取り出して、リビングのテーブルで猛然とペンを走らせ始めた。


<鈴木さくら氏


 こんにちは。

 わたくしは、鈴木直人の同居人であるアシナガという者です。

 アシナガというのは無論、本名ではありません。

 ちょっとしたアクシデントで、今回、偶然にもあなたの手紙が私の目に触れることとなりました。

 横やりを入れるようですが、思ったことを率直に書き連ねます。読みたくないならば捨てても結構です。

 自分が犯した犯罪行為について内省もない、内省がないということの内省もない。しかもそれを、自分の中にとどめておけばよいものを、あえて親族縁者でもない無関係な人間に手紙で告白する。これは極めて悪趣味だと思います。

 いや、悪趣味にとどまらず、それは悪であると指摘させていただきます。

 手紙から察するに、あなたの世界には他人がいません。だから、あなたが鈴木直人にあてた手紙も、鈴木直人宛という体裁をとりつつも、対象不在の、一方通行な、独語に等しい。

 わたくしは、モラルや規範をふりかざすつもりは毛頭ありません。そんなものはどうでもいいことです。

 ただ、あなたのその独善的、露悪的独語(その醜悪さに目を覆います)に、わたくしの同居人を巻き込むことはやめていただきたい。この世のどこかに悪が存在するのは認めますが、それが親愛なる者の周辺にあることは拒みます。

 自己の中に悪を内在させていることにも気付けないことには憐憫を覚えませすが、これ以上わたくしの同居人を巻き込まないでいただきたい。

 今後、そちらから手紙があった場合、それは開封することなく返却することを同居人と約束しました。独語は独語として、自己の中で完結させてください。

 以上。

                              アシナガ>


「これ、投函して」

 とアシナガは言って便箋を渡してきた。

 俺は便箋を持ったまま、黙って立っていた。

「わたしが、投函して、って言ってるんだけど。投函する?しない?」

「する」

 と俺は言って、封筒と切手を取りに行った。そしてすぐに便箋を封筒に入れ、その足でポストに投函しに行った。急ぐ理由もないが、小走りになってしまった。

 それからまる一週間、アシナガは俺と一切の言葉を交わさなかった。何を話しかけても、そこには反応というものがなかった。アシナガは黙々と、室内のそこかしこにある自身の作品の撤収作業に勤しんでいた。

 そして、そこからさらに二週間ほど経った後に、鈴木さくらの脱獄のニュースが世間を駆け巡った。鈴木さくらは、忘却の果てに追いやられようとするそのさなかで、またも紙面を賑わせたのだ。

 特定の政治家を脅迫の対象としていたこともあり、警察は威信をかけて大々的な包囲網を敷いた。当然、俺のところにも話はきた。文書でやりとりしていたことは把握されているのだ。

 俺は、何も知らない、どこに行ったのか見当もつかない、という事実を繰り返し述べる羽目になった。おそらく百回近くは述べたと思う。

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