第10話 木村の内面 ①

 客が来たな。俺は膝元に置いてあるパソコンを閉じて、受付の前ですっと立つ。やれやれ。『仕事』はいったん休止だ。

 そうだ、処方箋をみせてみろ。

 なになに。痰切り二種類、咳止め、抗アレルギー薬、それぞれ五日分か。

 ははは。あんた、完全にぼってくられてますぜ。こんなの飲まなくたっていいんだ。放っときゃなおる、ただの風邪ってこった。

 しょぼい病気でも何か薬は出さなきゃいけないもんな。病院は俺たち薬局に慈悲深い。本当に必要な薬に絞って処方していたら、たちまち俺たち薬局はピンチだ。俺たち薬局は、クリニックさまと結託している。俺たちを食わせてくれているのは、近所のクリニックさまだ。

 だからどうこうは思わない。それが資本主義ってもんなんだろ。経営のことだってなんとなくはわかっている。身近で医療機器メーカー社長の親父を見てきたからな。この薬局の自営だってそうだ。規模の大きさに関係なく、経営に関しちゃひとつの真理がある。

 経営者は冷酷でないとつとまらない。

 自社という箱がなくなりゃ、利用してる患者も被雇用者も困るんだよ。だから、自社を守るためには黒であること以外はやらなくてはならない。仮に法的にグレーだと思っても、黒でなければ白と思っているんだ、連中は。そして常に、人間を冷たい評価と客観の視点で見ている。だめだと思ったら切らないといけない。切るのは法的に大変だが、そういうときにグレーを遂行するんだ。クレバーなこった。それもしかたがない。自社という船はキャパがあるし、エネルギーも無限じゃない。市場はどこに波が流れていくのかわからない大海原だ。だから、常に乗組員の数とエネルギー残量には気を配らないといけない。大変だね。

 ただ。

 俺は経営者という人種が嫌いだ。大義のために冷酷になれる人間が経営者だ。でも『大義のために冷酷になる』と自覚している経営者は見たことがない。自分が冷酷であるという内省を持っていたら、その時点で経営者なんてつとまらないんだろうが、好みの問題として、俺は振り返らない人間は、好きじゃない。嫌いだ。

 ああ、すいません。患者さん。上の空でした。薬の説明をいたしますよ。

 そんな面倒くさそうな顔をしないでくださいよ。急いでいるのはわかります。でも自分の飲む薬がどんなものくらいは知っておかないと。知ることは大事ですよ。己が被る搾取を軽減してくれます

 搾取、搾取だね。この世は搾取に塗れてる。搾取の海の中で漂っている。搾取されていることにも気づかないことが多い。俺とて搾取されまくっている。持ちつもたれつか。でも疑うことは大事だぜ。安息を捨てて、冷静に疑うんだよ。

 では、患者さま、お大事に。

 さて、ぼちぼち『仕事』にとりかからないと。俺はこの薬局の経理も任されている。薬剤の卸も任されてる。店長は俺を優秀だと思っているようだ。俺が全部やれば人件費も浮く。ありがたいことだ。仕事がやりやすい。

 ベンゾジアゼピンの卸は予定の三分増しで発注だ。余剰分はその段階で俺が回収する。経理では予定通りの額面を書いていく。おやおや単価がおかしいねえ。でも入荷する全薬剤の単価を変えたら、その変化は微々たるものになり、気づくことは困難になる。

 回収したベンゾジアゼピンは自宅で保存する。湿気には敏感にならないといけない。保存状態はよくしないと。流す先のリストを見ていく。中には、周縁の者たち、も混じっている。彼らとの関わりは危険だろうな。でもしかたがない。周縁のものたちと関わらない限り、社会の、陽があたりにくい暗部を見ることはできないんだよ。これからすることには、暗部とのつながりが必要だ。陽あたるところだけ渡っていたら、とてもやるべきことができない。身の危険?たしかに。

 でもささいな犠牲はつきものだ。

 そうそう、忘れちゃいけない、鈴木の分のベンゾジアゼピンは残しておかないと。そろそろ求められるだろう。最近やけにペースが早い。どうしようもない女に引っかかっているんだ。あいつが付き合う女は昔からあまりまともじゃなかった。まあでも、仕方がない。貢いでやるさ。いつか気が付くと信じてな。ただ一人の友人だ。ありがたいことだ。この腐った三十四年の人生で、唯一手に入れた価値あるものだ。大事にしないといけない。

 この間、送った金はどうなってる。A養護施設、B養護施設、C養護施設。金の動きは把握している。管理者の懐にいくならその時は許さない。たかだか二百万円ずつか。はした金だ。送られた側も用途に困るレベルかもしれない。でも今の俺ではこれが限界だ。額面より数をとった。全国のなるべく多くの施設に送るようにする。さりとて何も変わりゃしないがな。負い目があるんだよ、俺には。理由のわからない負い目がね。生きることの負い目がね。それと養護施設への送金に何の関係が?

 知ったことか。

 全部俺のエゴイズムだ。脈絡なんてありゃしない。

 はっ、気づいたら全然金が足りない。金、金、金。回収しないと。あの女に頼むしかない。気のりはしないがな。為すべきことを為すには金が要る。

 そういえば明日は第二土曜だ。妹の見舞いに行く日だ。悪いニュースは既に耳にしている。主治医からこの間電話があったのだ。見たくはないものを見ることになるだろう。

 ああ、気が重い、気が重い。第二土曜は気が重い。

 でも唯一安息を持てる日もまた、第二土曜なのだ。

 明日は美弥子に会いに行く。土産を持っていくこともかなわないが。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る