第6話「囚われの君へ⑧」

 あれから2週間。

 俺は気の抜けたような日々を送っていた。

 表向きは、泥人形事件も解決し、まちの見回りも終了した。たまに入ってくる便利屋への依頼も買い物の手伝いとか、ペットの散歩とか平和なものばかりだ。

 俺は、テーブルにあごを乗せて、ため息をつく。


「なんかなぁ…」


 あれから、セイカは目を覚ましていない。

 ミズハとスイ・テンのお祓いは成功したけど、そもそもあの黒くなった状態が身体に相当の負荷をかけていたようで、また、もともと調子がよくなかったこともあって、眠りについた状態になってしまったのだ。

 俺がセイカに会ったのは、あの時が初めてだし、全然知らないヒトだけど、それでも辛そうなのはすごく伝わってきていた。スハラたちの様子からも、よほどの状態だったんだろうなと思う。


 リクも、あれ以来姿を見ていない。

 あのあと、憑き物が落ちたかのように反省したリクは、被害があったところには謝罪に行ったらしい。

 その際にはスハラが付き添ったって、オルガが言っていた。

 そして、自分のしてしまった事への償いとして、いくつかのボランティア活動を始め、教会の仕事にも復帰したけれど、まだすごく落ち込んでいて、元気は全くないとのことだ。

 そもそも、あのあとしばらくはリクだけでなく、スハラたちもみんな憔悴したような様子だった。


『人間なんていなくなればいい。僕らを壊そうとする人間なんて、僕が先に消してやる!』


『セイカを消そうとする人間も、そんな人間と仲良くするお前たちも、みんな大嫌いだ!』


あのときのリクが放った憎悪の棘は、簡単には抜けない。

 リク自身が常にそう考えているわけじゃないのは、わかっている。だけど、あのときあの瞬間の本心ではあるだろう。


 俺は、ここ最近の事件を思い起こさずにはいられない。

 人間は付喪神へ、付喪神は人間へ、敵意を向けていた。

 スハラはそのことについては、昔からそうだったって言っていたし、俺もそれはわかってるつもりだ。


 だけど、ここまであからさまではなかったと思う。

 だから、今回のリクもそうだけど、急にタガが外れたかのような感情の暴発は、なにか不自然なような気がするが…


「なんなんだろうなぁ…」


 再びため息をついたところで、玄関の開く音がする。


「ただいま~」


 現れたのは、スハラだった。


「何か依頼はきた?」

「いや、何も」


 スハラは、持っていた紙袋を無造作にテーブルへ置く。がさっと崩れた紙袋からは、いい匂いが漂ってきて、その匂いにつられて、窓際で寝ていたレンがのっそりと伸びをしながら寄ってくる。


「パン?どうしたの?」


 俺は無遠慮に紙袋を覗き込む。中身はサンドイッチだった。


「友和のパン。さっき、そこで安西さんにもらったの。今回のお礼だって」


 そういえば、最初に見回りの話を依頼してきたのは安西さんだったっけ。はじめは些細な事件だったのに、まさかこんなことになるなんて想像もつかなかった。


「安西さん、ありがとうって言ってたよ」


 足元でレンが、何かちょうだいと催促するように、にゃあと鳴く。

 スハラがテーブルの上に置いてある小さな引き出し棚を開けて、猫用のおやつを出している間に、俺は、どれを食べようかと紙袋の中をあさる。

 紙袋いっぱいに詰め込まれたパンは、どれもおいしそうだ。


「スハラ、これもらうよ」


 どれにするかやっと決めて、タマゴサラダを手に取ったところで、インターホンが鳴った。

 スハラはレンにおやつをあげていたから、俺は手に取ったパンをちょっと見つめてからテーブルに置いて、玄関に向かう。


「どちらさまですか?」


 玄関を開けると、サワさんが立っていた。


「あれ、どうしたんですか?」


 いつもと同じような仏頂面をしたサワさんは、中を少し窺うようにして、あがっていいかとだけ言う。


「どうぞ、今はスハラと俺しかいませんよ」


 サワさんは、小さく頷くと、靴を脱いだ。


「あれ、どうしたの?ひとり?」


 スハラは、サワさんという珍客に驚きながらも、いすを勧める。確かに、サワさんがひとりでここに来ることなんてほとんどない。というか、前のオルゴールの一件以外、見たことがない。


「…オルガに行けと言われた」


 余計な説明どころか、必要なことすら一切省いた説明は、簡潔すぎてよくわからない。そんなサワさんに、スハラは慣れた様子で適度に質問をはさんでいく。


「ここに来て何を?」

「話せと言われた」

「何について?」


 サワさんは、束の間考える。そして、少しの沈黙のあと、口を開いた。


「音が、したんだ」

「何の音?」


 スハラが間髪入れずに聞いていく。


「この間のリクも、セイカも、その前のキタも、みんな同じ不協和音が響いていた」


 サワさんには、人が抱く感情が音となって聞こえる。


 人にはたくさんの感情があるし、同じものを見た“楽しい”とか“悲しい”という感情でも、人によって音は変わって、同じ音は一つとしてない。


「全く同じ音だった」


 サワさんは、その音を思い出したのか、苦い顔をする。


「そんなことってあるの?」


 スハラの疑問に、サワさんは少し考え込む。


「…全く同じなんてものは今までに聴いたことがない」


 今度はスハラが考え込んでしまう。


「どういうことかしら?」

「知らん。俺はただ、オルガにこのことを言ったら、お前にも言えと言われただけだ」


 サワさんは、何かを考えて難しい顔をしているスハラを無視して、じゃあ、と用は済んだとばかり立ち上がるが、ふとテーブルの隅に寄せられた大量のパンに目を止める。


「スハラ、これは?」


 難しい表情のまま顔をあげたスハラは、もらったのよと簡潔に答える。


「持ってく?何なら、オルガにも持っていってあげて」


 サワさんは、少しだけ迷うそぶりを見せて、紙袋から出されていたタマゴサラダとメロンパンを持って帰っていった。


 あぁ、俺のタマゴサラダ・・・。


 窓際では、レンが残念だったねと言うかのように、にゃあと鳴いた。


※ ※


 レンが、定時の散歩をしていると、声をかけて来る猫がいた。


「レンさん、どこ行くんです?」


 振り向くと、サビが、何かを前足で押さえていた。


「なんだい、それは」


 サビはえへへと笑って、自慢げにひげを伸ばす。


「そこで見つけたんです。黒いヘビ。こいつ、空飛んでたんですよ」


 サビは嬉しそうに前足でぺしぺし叩くが、ヘビは逃げようと必死に蠢いている。

 それにしても、うるさいヘビだ。


「そんなやつ、さっさと放しちまいな。うるさくってたまらないよ」


 レンに言われても、サビは首を傾げるだけだ。


「うるさいって何のことです?レンさん、なんか聞こえるんですか?」


 あぁなんだ、聞こえてないのかい。


「なんでもいいさ、なんでもいいからそんな気味の悪いもん早く放しな」


 サビは、しょうがないなと、ヘビからやっと手を離した。すると、蛇は感情のわからない黄色い目でレンを一瞥し、あっという間にどこかへ行ってしまった。


 全く、変なモノがいるもんだ。


 レンは、散歩を再開する。

しばらくはサビもついてきていたが、気まぐれな猫はいつの間にかいなくなっていた。

 いつもの散歩コースを周って、旧寿原邸に帰る。

 レンは、レンのために開けてある窓の隙間から家の中に入ると、定位置に座り、さっきのヘビを思い出す。


 なんだったのかね、あれは。


 しかし、思考はあっという間に溶け、気付くとレンは陽だまりで丸くなって眠っていた。

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