第6話「囚われの君へ⑥」

「ミズハ!」

「みんな無事だったかしら~」


 今の雨を呼んだミズハが、緊張感のかけらもなく現れる。

 そして、全てを知ってか知らずか、ミズハは座り込んで呆けているリクに声をかけた。


「リク、大丈夫?怪我してない?」


 声をかけられて、はっとしたリクは、いろいろ考え込んで視線を泳がせる。その目には、さっきまでの怒りは見えない。


「…大丈夫…だけど…」


 消え入りそうなリクの声は、冷たさが消え、戸惑いとともに以前の温かさが戻っていた。

 その様子を見て、スハラが口を開く。


「リク、あのさ、」


「おい、あれなんだ?」


 スハラの言葉を急に遮ったサワが、海のほうへ目を向ける。

 だが誰も、サワが何を指しているのかわからない。しかし、同じところを見つめたまま、眉間にしわを寄せるサワの様子から、スハラ達はしばらく辺りの様子を探る。


 少しすると、禍々しいオーラを放つ何かが、教会に向かって近づいてくるのがわかった。

 その何かは、黒い雲を連れていて、辺りは急に暗くなり、周辺の空気は重く、黒く染まっていく。


「なんだ…あれ」


 息を飲む尊と、足元で尻尾を丸めるスイ。

その黒いものが、あと20メートルくらいと迫った時、それが何か理解したらしいリクが脱兎のごとく駆け寄っていった。


「セイカ!」


 リクが呼んだ名前に、スハラたちは一瞬理解が追い付かない。しかし、歩みを止めないその黒いものがさらに近づいてくると、確かに中心にセイカのようなヒトがいるのが見える。


「ねぇ、セイカ!セイカでしょ。どうしたの?ねぇ!」


 セイカと呼ばれたそれは、リクの必死の呼びかけには全く反応せず、周辺の重力を増しながら、真っすぐに教会を目指していく。


「ねえってば!」


 リクはセイカの気を引こうと腕を引っ張る。しかし、セイカはその手を振り払うと、リクには目もくれず、歩みを進めていく。


「セイカ…どうして…僕が分からないの…?」


 その場に座り込んで泣きそうなリクの声が、スハラの耳に届く。


「…本当に、セイカなの?」


 スハラもセイカの名を呼ぶが、呼ばれたセイカは何の反応もしない。昨日、痛いほどの切なさを抱えてスハラたちの目の前にいたセイカが、今は何か黒いものになってしまっている。


「…どうすればいいの?」


 黒く染まったオーラをまとって近づいてくるセイカに、誰もが圧倒されてしまって、動くことができない。

 そして、近づくにつれ伝わってくる負の感情。


 悲しい。怖い。寂しい…。


 痛いほどの感情を纏うセイカは、すごく苦しそうに呻いているようだ。


「…ミズハ、…あれを、セイカを祓うことはできる?」


 意を決したかのようなオルガの声に、ミズハは少し迷ってから言葉を選んだ。


「…できると思うけど、セイカがどうなるかわからないわ」


 それは、祓うことでセイカまで消えてしまうかもしれないということだ。だけど。


「セイカをあのままにしておくなんて、したくないわ」


 だからミズハ、お願いと言うオルガの意思は、すでに固まっているようだ。

 昨日、セイカは自身のことよりリクのことを心配していた。みんなを悲しませたくないと言っていた。

 そんなセイカが、禍々しいものになって、誰かを傷つけるなんて、望まないはずだ。

 スハラが、ミズハを見る。


「私からもお願いするわ。セイカを、助けてあげて」


 ミズハは、わかったと言うと、スイとテンの名を呼ぶ。

 なに~と震えながらもミズハの足元に寄る2匹に、ミズハはしゃがんで話しかける。


「スイ、テン、私ひとりじゃセイカは祓えない。手伝ってくれる?」


 いつもと違って、少し悲しい笑みを湛えたミズハに、2匹は頷く。


「「うん、我ら、やれるよ。大丈夫」」


 2匹は地面を蹴って飛び上がると、くるんと回って、大きくなる。

 ミズハは、そんな2匹へ、ありがとうと口を動かすと、水を纏わせていく。そして、祝詞を唱えると、スイとテンへ合図をした。


 地面を蹴って跳ねるスイとテンは、黒いもやの塊のようなセイカへ向かっていく。 


 セイカは、光輝く水を纏ったスイとテンに底の見えない暗い目を向けると、おもむろに腕を振り上げ、手のひらを2匹へ向けた。


 2匹は、セイカに何かされるのかと思い、思わず足を止める。


 人形のように色を失くし、何かに耐えるように小刻みに震えるセイカの手から、重苦しい負の感情が広がっていく。


―――イタイ、クルシイ、サビシイ。


「セイカ!」


 黒いものとなってしまったセイカを呼ぶリクの声に、重く暗い空気が僅かに揺れる。

その瞬間、黒いもやが薄まったように見えたが、すぐにスイやテン、スハラ達まで黒い霞に覆われてしまった。もう隣にいても、お互いの姿を確認できない。


「・・・うぅ・・・」


 真っ暗な世界の中、どこからともなく聞こえる呻き声は、この世の者とは思えない苦しさを含んでいる。


「・・・セイカ?苦しいの?」


 オルガが宙に向けて問うが、返事はなく、今にも消えそうな呻き声だけが、みんなの耳に届く。


 『歴史的な建造物』として存在していても、ほんの些細な何かをきっかけに、自分たちの存在は簡単に壊れてしまう。


 今、目の前にあるセイカの姿は、『明日の自分』かもしれない。


「辛いんだね…。スイ、テン、」

 セイカを助けてあげて。

目に涙を浮かべながらも強い意志を変えないオルガに促されて、スイとテンは恐怖と戸惑いを振り払う。


 2匹は呼吸を合わせると、黒い霞の中心にいるセイカを見定め、走り出す。


そして、束の間のあと、弾けるような音が響いて、辺りは白い光で満たされた。

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