第6話「囚われの君へ③」

 北海製罐第3倉庫は、陽の光の中、堂々と建っていた。

 先陣を切って室内へ入っていくオルガ。その後ろにミズハ。スハラは、一番後ろをついていった。


「セイカ、いる?」


 オルガが一つの部屋をノックすると、中から小さく、どうぞ、という声が聞こえる。

 何のためらいもなくドアを開けて部屋へ入っていくオルガとミズハ。スハラはちょっとだけ覚悟を決めて部屋へ入った。

 見知ったその部屋は、依然と変わらない。変わっていたのは、部屋の主。


「みんな、久しぶりね」


 弱々しい声。表情のなくなった顔は、疲れと諦めの色が浮かんでいる。眼の光はかげり、白い肌は血の気を失っているかのようだ。

 美しく、はかなくも輝いていたセイカの姿は、もうそこにはない。

 スハラは、セイカの変わりように驚いてしまう。その驚きを、何とか表情には出さなかったものの、うまく言葉が出てこない。

 オルガとミズハも、一瞬驚いたような素振りを見せるが、スハラより早く立ち直って、平静を取り戻したようだ。


「セイカ、久しぶりね。あまり来られなくてごめんなさい」


 これお土産ねと、オルガがクッキーの入った紙袋を差し出すが、受け取るセイカの動きはぎこちない。


「ありがとう、オルガ。みんな元気にしてた?」

「そうね、私たちは大丈夫。それよりセイカ、あなたは大丈夫なの?」


 オルガは、セイカを自然に気遣う。


「ふふ、そうね。驚かせてしまったわね」


 セイカは、オルガに言いながらも、硬い表情をしたままのスハラを見る。


「大丈夫ではないけれど…まだ何とかなってるわ」


 セイカは無表情のまま、小さな弱々しい声で話す。

 北海製罐第3倉庫の取壊しは、1年「延期」されただけで、取り壊される可能性は消えていない。

 どんなにたくさんの人たちが建物の存続を望んでいたとしても、まだ「何も」決まっていない。

 その事実は、どれほどセイカを蝕んでいるのか。


「みんな、そんな悲しい顔をしないで。これはしょうがないことよ」


 どこか諦めたようなセイカの言い方に、オルガが静かに反論する。


「なんでそんなふうに言えるの?あなたはこのままでいいの?」

「いいとは思ってないわ。だけど、今の私にはどうにもできない。私だって、あなたたちやみんなを悲しませたいわけじゃない」


 消えてしまいたいわけじゃない。

狭い部屋の空間に溶けていく、セイカの小さな悲しい叫び。


「…やっぱり、あなただったのね」


 オルガの唐突な言葉を聞いて、セイカのかげった目に疑問の色が浮かぶ。


「気づいたのはつい最近だけど…」


オルガだけが気づいた、風が運ぶ悲しい、助けを求めるような声。

その声の主は、こんなに近くにいたのだ。

だけど当の本人は、オルガの言う意味がわからないと首をかしげる。


「あなたの声は聴こえてた。なのに、気づけなくてごめんなさい」


 オルガが、セイカを真っ直ぐに見る。


「私、今までも、あなたの力になりたいと思ってた。それはこれからも変わらない。だから、何かあったら言って。何ができるかわからないけれど、一緒に考えていくことはできるから」


 少しでいいから、頼ってほしい。自分一人では頼りないかもしれないけれど、セイカが独りで悩むようなことはしないでほしい。

 オルガは、セイカに真摯に向き合う。

それに比べてスハラは、どうしていいかわからないままだ。以前のセイカを知っていて、ずっと仲も良かったために、今、目の前の現実を受け入れられない。受け入れたくない。


―――そうか、受け入れたくないのか。


 スハラは、悲しい顔をしたセイカを見たくなかった。

 北海製罐第3倉庫の取壊しによって仲間を失うかもしれないことを考えたくなかった。

 だけど、それらから目を背けたところで、現実は変わらない。

 だったら、前を向いて、現実を受け止めよう。その上で何ができるか考えていけばいい。

自分は、独りじゃない。


「スハラ、どうしたの?」


 スハラの何かを考え込んだような雰囲気を感じて、ミズハが心配そうな顔を向ける。

 オルガとセイカも、大丈夫?と心配してくれるが、スハラは今心配されるべきは自分じゃないなと、ふっと笑ってしまう。


「ね、セイカ。私はさ、今までセイカにたくさん助けてもらったと思ってるよ。だから今度は、こっちが助ける番だと思う」


 スハラが言葉を切ってちらっと隣を見ると、ミズハと目が合う。ミズハは、微笑んでくれた。


「セイカ、これからどうしていけばいいか、一緒に考えたい。だから、私たちの前で無理はしないで」


 スハラの言葉に同調するように、オルガとミズハもセイカを見るが、セイカは俯いてしまう。

 そして、俯いたまま、思案気に口を開く。それは何か迷っているような、声にならない言葉。

 程なくして、意を決したように上げたセイカの横顔が、夕日で赤く染まる。セイカは、みんなに言うべきかわからないけどと前置きをして言葉を続けた。


「リクを助けてあげて」

「どういうこと?」


 ミズハが聞き返すと、セイカは少し考えてから、言葉を選ぶようにして説明してくれる。


「ここの取壊しの話が出たとき、リクは私よりも悲しんで、心配してくれたの。最初は、大丈夫?ってずっと言ってくれて、気にしてここに来てくれて。だけど、いつからか様子がおかしくなっていって…目が…怖くて…」


 もともと消えそうなセイカの声が、さらに消えていく。


「だけど最近になって、怖い目のまま、大丈夫だよって笑うの。その意味がわからなくて。聞いても、全部大丈夫だからって…」


 セイカの声が泣きそうに震える。


「ねえ、リクは何をしようとしているの?私のせいでリクが…」


 リクが何かよくないことをしてしまったら。

 セイカの言いたいことを、3人は理解する。

 特にスハラとミズハは、“おかしくなった”リクを見ているから、セイカの言いたいことが痛いほどわかる。


「わかった、私たちが様子を見て来る。話も聞いてくる」


 本当は今日、すでに教会に行ってリクに拒絶されたけど、それは今は黙っておく。


「なるべく早いうちに行ってくる。だから、セイカは心配しないで待っていて」


 スハラは、気休めにしかならないかもしれないと思いつつもセイカを励まして、3人は北海製罐第3倉庫を後にした。

すっかり夜の帳が降りた帰り道、さっそくだけど明日行ってみる?というオルガの提案に、スハラは少し迷いながらも同意した。ミズハは神社の用事があるから行けないという。

今日は一人で教会に行って、リクに拒絶された。

でも、今度は一人で行くわけじゃない。だったら、明日は何か変わるかもしれない。

 スハラは、なるべく悪いことは考えないようにして、じゃあ明日と手を振った。


※ ※


「ねえセイカ、もう大丈夫だよ」


 今まで心配するばかりだった彼の目が、暗い光を放つ。


「僕が何とかするから、もう大丈夫」


 だからそんな顔をしないでと彼は言うけれど、私から見たら、あなたこそそんな顔をしないでと思ってしまう。


「何をするの?」


 私はこわごわと聞いてみる。だけど、彼は笑うだけで、教えてくれない。


「セイカは何も心配いらないよ。僕に任せて」


 彼は、そう言うと足早に帰っていった。

ねえ、何をしようとしているの?

もし何か良くないことをしようとしているのなら、誰か、彼を止めて。


助けてあげて。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る