第6話「囚われの君へ②」

 スハラが見回りに行った今日、俺は、事務所で留守番をすることになった。

 最近は、俺たちがまちの見回りをしていることを、まちの人たちもみんな知ってるから、便利屋への依頼はほとんどない。

 よって、留守番と言っても電話も来客もないに等しい。だけど、全く誰も来ないかと言えば、そうとも言い切れない。

 だからなるべく、見回りの際にはスハラと交代で事務所にいるようにしていた。

 テレビからは、南小樽駅のホームから見える桜が見ごろだというニュースが流れる。今年ももう5月。北海道では桜の季節だ。


 俺は外を眺める。

 窓ガラス越しの空の澄んだ青が、これから来る夏の暑さを思わせる。


———この事件は解決するのだろうか。


 俺は、ふと考え込んでしまう。

 異形の泥人形がまちをうろつくようになってから、何週間も経っていない。

 まだ始まったばかりとも言える今回の事件は、どういう形で終わるのか。

 犯人からの犯行声明でもあれば事態はもっと違うのだろうけれど、そんなものはない。だから、犯人も目的も何もわからない。

ただ、まちを見回る中で、泥人形に遭遇すれば祓うし、人々からSOSがあれば祓いに出向く。


 泥人形には、俺も何度か遭遇した。そのたびに感じたのは、空っぽの悪意。

泥人形そのものからは、明確な意思や意図は読み取れない。

ただ、中身のない悪意だけが漂っているようで、対面すると言いようのない寒気がしてくる。

それは俺だけでなくスハラ達も同じようで、泥人形の明確な意図や目的が読み取れないから、今できることはただ単に現れたそれらを祓うだけで、事態は一向に変わらない。


「何が起きてるんだろうな…」


 つぶやいてみると、形のなかった不安が、急に現実感を伴って肩にのしかかってくるような気になる。

 俺の独り言に、足元で伸びていた猫―レンが、にゃあと返事をする。

 その頭をなでてやると、レンは気持ちよさそうに目を細めた。


「レンは何か知らないか?猫の集会で話聞いたりさ」


俺はレンに話しかけるが、当然のごとく、にゃあという返事しか返ってこない。


「何か知ってたら教えてよ」


レンは、興味ないと言わんばかりにあくびを一つすると、陽の当たる窓際へ行ってしまった。


 カトリック富岡教会を後にしたスハラは、その足で旧岩永時計店へ向かう。

 今日はもともとミズハと見回りに行くつもりだった。

 だけど、リクのことがどうしても気になってしまって、見回りの前に様子を見てこようと思ったのだ。

 本当はミズハと一緒に教会へ行くこともできた。

 だけど、リクが何か言いにくいことで悩んでいた場合、自分1人で行ったほうが、より話しやすいかもという考えで、ミズハには時計店で待っていてもらうことにしたのだ。


 でも結果は、1人で行っても2人で行っても変わらなかっただろう。

 リクの放つ拒絶感は、これまで感じたことがないものだった。

 もともと社交的なリクがあれほどまで頑なに拒むなんて、一体どれほどのことがあったのだろう。

 時計店の扉を開けると、途端に甘い香りが広がってくる。

 その香りのもとは、テーブルに置かれたオルガお手製のチョコチップクッキー。今日のテンの午後のおやつとして作られたのだろうクッキーは、これでもかというくらい山盛りになっていた。


「遅くなってごめんなさい」


 スハラはおいしそうな香りねと言って、お茶を飲んで落ち着いているオルガとミズハの座る、奥のテーブルへ近づく。


「サワたちは?」

「午後の散歩に出かけたわ」


 オルガは大量のクッキーを指差す。サワは、テンとともに、大量のおやつを持って午後の散歩という名の見回りに出かけた後だった。


「それは都合がいいかも」


 ぼそりとつぶやいたスハラの声をミズハは聞き逃さなかった。


「スハラ、どうかしたの?リクに何かあったの?」

「うん、ちょっと。オルガ、私もお茶もらっていい?」


 オルガが、スハラの前に紅茶を置いてくれる。スハラは一口飲んで、深呼吸してから話し出した。


「リクには会えたよ。だけど、結果としては全然ダメ。あんなにはっきり拒絶されるとは思わなかった」


 スハラは、教会でのリクとのやりとりを説明していく。ほんの数分間のできごとはあっという間に説明し終えるが、その数分で感じた、自分の知っているリクだとは思えないほどの冷たさをうまく伝えることができない。


「なんて言っていいかわからないんだけど、リクじゃない気がしたんだ」


 スハラの説明に、オルガは首をひねる。


「リクって、あの社交的なリクでしょう。そんなことってあるのかしら」

「なんでなのかは、全くわからない。だけど、本当にすごく冷たい目をしてたんだ」


 あの時、リクが見せたはっきりとした拒絶。リクの纏うオーラはもちろん、その眼の奥も凍り付いているようだった。


「じゃあ、この間会ったときにリクの様子が変だったのは、やっぱり気のせいじゃなかったのね」


 ミズハが、先週の見回りで会ったリクを思い出しながら、スハラに問う。


「うん、あのときの、あのままだと思う」


 オルガはまだ信じられないというように、不思議な顔をしているが、スハラだけでなくミズハまで、様子のおかしいリクを見ているなら、にわかには信じがたいけれどそうなのかもしれないと考え込む。

 リクに一体何があったのか。3人で考えても答えは出ない。重い沈黙が流れる。

 そんな中、ところで、とオルガが切り出した。


「スハラ、この間言ってた“声”なんだけど、」


 スハラが顔を上げて、オルガを見る。


「あれ、セイカかもしれない」


 スハラはもちろん、はっとして顔をあげたミズハまで、え?という顔をする。


「絶対とは言えないんだけど、風に混ざったあの悲しい感じは、セイカの声に似ている気がしたの」


 オルガとしても、あの声がセイカのものであるかどうか自信はない。だけど、風に溶けたあの悲しさは聴いたことがあった。

 いつか聴いたセイカの悲しい歌声。

 自由を求めるその切なさは、今回、風に乗って聴こえる声と似ていたように思う。


「最近、誰かセイカに会いに行った?」


 オルガに言われて、スハラもミズハも首を横に振る。


「キタの事件の前から、しばらく行ってないわ」


 この間しばらくはいろいろなことがあった。正直なところ、スハラだけでなくみんな、自分のことで手いっぱいだったと思う。


「セイカに会いに行かない?」


 ミズハの提案に、オルガがいいわねと賛同する。


「スハラ、見回りを兼ねて行きましょう?」


 そう言われても、スハラは、ミズハやオルガと違って、少し迷ってしまう。

セイカには、北海製罐第3倉庫取り壊しが延期になったすぐ後に一回会ったきりで、そのあとは会っていない。

そのときのセイカの、今にも泣きだしそうなのに無理して笑っていた顔が切なく思い出される。

それ以来、スハラはセイカに会うのがつらくて、行くのをためらってしまっていた。


「さて、じゃあ早速行きましょう」


 オルガは、スハラが返事をする前に、セイカへのお土産にと山となったクッキーをプレゼント用の紙袋に詰め始めた。

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