第5話「水の衣⑧」
サワとテン。
時間がある1人と1匹は、毎日午前午後と見回りに行くことにしていた。
それも今日で5日目。
見回りの回数が多いせいか泥人形と遭遇することも多く、遭遇するたびに、テンは震えながら立ち向かっていった。
初めて遭遇した時からずっと泥人形を怖がるテンだが、正直なところ、泥人形に立ち向かう恐怖より、散歩そのものの楽しさが勝つようで、なんだかんだ言いながら見回りの回数を減らすようなことはなかった。
「サワー!行こー!」
今朝も元気よく旧岩永時計店の扉を開けるテン。
サワは、テンへの返事をせず、オルガに向けてぼそっと、行ってくる、とだけ告げる。
その手には大量のお菓子が入ったエコバッグ。
サワの見た目に反して、かわいらしい中身のエコバッグは、全てテンのおやつとなるものだ。
ちょっと前まで市販のお菓子を持って行ったけれど、最近はオルガの手作りに替わっている。
「今日はどこ行く?我、海に行きたい!山でもいいよ!」
オルガは、いつでも元気なテンと、きちんとそのあとをついていくサワの後ろ姿をほほえましく思いながら、いってらっしゃいと手を振った。
「テン、山に行くか」
サワの提案に、テンはすぐに、いいよ!と尻尾を振る。
天狗山まで上がるのは少し距離がある。
だけど、テンはもちろん、歩くことが苦にはならないサワは、当たり前のように歩みを進める。
「きょうのお~やつ~はな~にっかな~」
軽い足取りのテンは、どんどん進んでいき、サワもその後をつかず離れずついていく。
まるで、本当に散歩しているだけのようだ。
「サワ、おやつ、いつ食べる?」
「天狗山に着いてからだ」
そう言われても、テンは我慢できないのか、よだれがじゅるりと音を立てている。
「一個だけ、だめ?」
まだ市役所までしか進んでいないのに、サワのほうへ振り向くテン。
表情は切ないのに、眼だけは期待に満ちてキラキラとしている。
サワは、しょうがないなと、エコバッグからクッキーを取り出すと、テンの口に放り投げた。テンはジャンプして見事にキャッチする。
「あとは着いてからだからな」
テンは口をもごもごさせながら、うん!と頷いた。
今日は天気もいい。きっと山頂からの眺めもきれいだろう。
足取りの軽いテンについていくと、あっという間にふもとのロープウエイ乗り場に到着する。
ここまでは特に異変はなく、泥人形に遭遇することもなかった。
サワは、迷わずロープウエイ乗り場に向かう。テンも跳ねるような足取りでついていった。
ロープウエイからの景色は、晴れていたこともあり、とてもきれいだった。
まちと海がはっきり見える。
「おっやっつ~、おっやっつ~」
テンは景色よりも食べることしか頭にないようで、頂上につくと、一目散に展望デッキへ駆けていく。
「ここで食べよー!」
テンはいい場所を見つけたと言わんばかりに、サワのほうへ振り向くとぴょんぴょん跳ねてアピールする。
そのとき、テンのうしろで、ゆらりと怪しい影が立ち上がった。
「テン、うしろ!」
サワは思わず叫ぶ。影は泥人形だった。
驚いたテンは、一瞬にして飛びのくと、逃げようと右往左往する。だが、逃げていいわけではない。
「テン、やれ!」
サワの一言でテンの動きがぴたりと止まる。
弱々しく唸ると、泥人形から少し距離をとって身構える。
そして、気合を入れるように一声鳴くと、泥人形へ突進した。
「うりゃっ!」
ばちんとはじける音がして閃光が走る。
光が散ってしまうと、そこはいつもとかわらない展望デッキ。
眼下には美しい景色が広がっていた。
「ふぅ、我、がんばった」
自画自賛するテンの頭を、サワはなでてやる。そして、よくやったなと言う代わりにお菓子の袋を取り出す。
「わ~い!今日はパウンドケーキだー!いっただっきまーす!」
オルガお手製の今日のおやつは、先に食べたクッキーのほかに、パウンドケーキが用意されていた。中にたくさんのドライフルーツが入っている。
テンは、1匹で全て平らげると、ごちそうさまと手を合わせた。
「さて、帰るか」
サワがロープウエイ乗り場へ向かう。
テンの帰りの足取りは、おやつを食べた後のためか、行き以上に軽くて、あっという間に旧岩永時計店に着いてしまう。
テンが、ただいまー!と勢いよく扉を開けると、オルガが笑顔で迎えてくれた。
「おかえりなさい。楽しかった?」
「うん、楽しかったよ!天狗山でね、我、泥人形倒したよ!オルガ、おやつ今日もおいしかったよ!」
「ありがとう、テン。じゃあこれ、スイにも持って行ってあげてね」
オルガは、スイ用に用意していた紙袋をテンに渡す。中身はもちろんクッキーとパウンドケーキだ。
「わーい、いつもありがとうー!スイも喜ぶよ!サワ、またあとで来るね!」
そう言うと、テンは嵐のように去っていった。
残されたサワとオルガ。急に静かになった室内に時計の針の音が大きく聞こえる。
「…オルガ、俺も」
「はい、どうぞ」
サワから差し出された手に、オルガは当たり前のようにクッキーを置く。
無言でサクサクと食べていくサワの前に、オルガはまだあるわよと追加のクッキーを置くが、あっという間に消えていく。
きっと、午後の見回りもこんな感じなのだろう。
———追加のおやつ、用意しなきゃ。
オルガは、お菓子のレシピ本へ手を伸ばした。
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