第5話「水の衣⑦」

 船見坂へ回って、小樽駅の前を通る。

 駅は、観光客の楽しそうな声や、電車の到着を知らせるアナウンス、地元の学生たちのにぎやかな声であふれていた。


「今日もにぎやかね」


 ミズハが、行き交う人々を見つめて、楽しそうに目を細める。スハラは、そのたくさんの人の中に見知った顔を見つけて声をかけた。


「ユウケイさん!」


 最近小樽に来たという雄鶏は、正式には「雪柳雄鶏図」と言う掛け軸で、北海道では小樽でしか見られない伊藤若冲の作品が付喪神となったヒトだ。

 その姿は人型ではなく鶏で、立派な尾羽を揺らしながら優雅に歩いていく。


「おぉ、スハラじゃないか。どうしたんだい」

「ちょっと見回りを。雄鶏さんこそ、どこかからの帰り?」

「いやいや、これから札幌に行くところだよ。そちらのお嬢さんは?」

「こっちはミズハ。水天宮の付喪神よ」


 スハラに紹介されて、ミズハがはじめましてとあいさつをすると、雄鶏もよろしくと尾羽を振るわせる。


「ところでスハラよ、何か物騒なことが起きとるらしいの」

「うん…ちょっといろいろね」


 周りを気にして、スハラは小声で話す。

 雄鶏は、スハラの様子から事情を察して、それなら聞かんでおくわと頷く。

 するとちょうど、札幌方面へ向かう電車の改札が始まる。


「おぉもう行かなければ。二人とも気を付けることじゃな。そのうち美術館にも遊びに来ておくれ」


 雄鶏は人ごみに紛れ、あっという間にその姿が見えなくなった。

 2人は小樽駅を後にすると、真っすぐに海のほうへ降りていく。

 途中、ぱんじゅうのおいしそうな匂いにつられて、スハラは尊に、ミズハはスイ・テンにと買ってしまった。

 店から出ると、ミズハは買った袋からパンを一つ取り出し、半分に割ってスハラに渡す。


「味見しましょ。ね?」

 もらったぱんじゅうからは、こしあんの甘い香り。

「私、これ好きなの」


 ミズハがいたずらっぽく笑う。

 二人は、食べながら運河へ向かった。

 運河には、観光客などたくさんの人がいて、それぞれに楽しんでいるようだ。


「昔からは考えられないわね」


 ミズハがつぶやく。

 過去の運河を知っている人から見れば、今の運河の姿は、驚くほどの変貌を遂げているだろう。

 汚れて、腐ったかのような臭いが充満していた運河。

 誰も見向きもせず、むしろ迷惑だくらいに思われて埋め立ての危機に瀕していたけれど、市民運動のかいあって、今の整備された姿を手に入れた。

 今では、観光地小樽に欠かせない存在となっている。

 今、目の前に広がる景色は、一人一人の小さな力が集まって、たくさんの人が関わって生まれた景色。


「いろいろあったけど、残されてよかったよね」


 スハラの言葉に、ミズハが頷く。

 もし運河が全て埋め立てられていたら、今の小樽はあったのだろうか。


「なくなってからじゃ、遅いのにね」


 スハラは何がとは言わないが、北海製罐第3倉庫を思い浮かべていた。

 黙ってしまったミズハも、きっと同じことを考えているのだろう。


「大丈夫、なんとかなるよ」


 スハラは、なるべく明るい声になるように努めてミズハをはげますが、暗くなってしまった雰囲気は拭えない。

 空も、二人の気持ちを知ってか知らずか、今にも雨が降りそうに陰っている。

 重い雰囲気を背負ったまま、運河沿いからメルヘン交差点へ入り、外人坂を目指す。

 2人は、水天宮の境内に着くと、言葉少なに解散した。

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