第5話「水の衣③」
小樽公園でミズハたちが泥人形に遭遇していたころ、俺は、スハラとの見回りで北運河に来ていた。
竜宮橋へ差し掛かると、目の前には北海製罐の大きな工場が見えてくる。とある特撮シリーズで登場した建物は、いまだその威厳を保って堂々と佇んでいた。
「スハラ、そういえば、北海製罐の話ってどうなったんだ?」
「どうって?」
「新たな活用って何か決まったのか?」
北海製罐第3倉庫の取り壊しのニュースが報道されたのは、少し前のこと。
そのあと、取り壊しは1年延期になって、その間に使い道の検討がされることになったと聞いている。
だけど、その検討がどうなっているのか、特にニュースにもなっていないし、まちの話題にもなっていない。
「…まだ、何も決まってないよ」
少し暗い声のスハラは、立ち止まって北海製罐第3倉庫を見上げた。その眼には何が見えているのだろうか。
「あそこには、仲間がいるんだけどね」
ぼそりとつぶやくスハラの声は、風に消えそうだったが、何とか俺の耳に届く。
「スハラは北海製罐のヒトと仲良かったよな?」
「うん。私のほかに、オルガやミズハ、リクも仲が良いよ」
俺は以前、リクが北海製罐のヒトの話をしていたのを思い出す。差し入れを持って行ったとかなんとか。
そのときは単純に仲が良いというより、姉を慕う弟のように見えていた。
「俺は会ったことないんだよなぁ……北海製罐って、どんなヒトなの?」
「セイカ…彼女はあまり外に出られないからね。付喪神でも会ったことのある人は少ないんだよ」
建物自体はあまりにも有名なのに、存在は希薄な北海製罐の付喪神。
港のシンボルのように佇みながらも、取り壊しが近づくという市内でも稀有な建物。
「…会ってみたいな」
「興味本位なら、会わないであげて」
俺の望みはスハラにあっさりと砕かれる。
あまりにもきっぱりとしていて驚いた俺を無視して、スハラは歩き出した。
「この辺は変わったことはなさそうかな」
総合博物館の近くまで来て、スハラは辺りを見回すと、さてどっちに行こうかなと考え出す。
「そろそろ帰らないか?」
俺の提案に、スハラは頷く。
陽は傾いて、辺りは暗くなり始めていた。
「じゃあ、もうちょっと行ってから、小樽駅前を通って帰ろうか」
博物館を越えて、手宮洞窟まで行く。
つい先日、ここで翔と会ったんだっけ。
あの時は真っ暗闇での遭遇だったし、翔の醸し出す異常な雰囲気にかなり驚いた。
あの時の翔が削ろうとしていた壁は、今は修復されて何事もなかったかのように夕日に照らされている。
小樽駅前へ向かうように移動し、総合博物館の裏へ差し掛かったとき、俺は妙な気配を感じて振り返り、思わず声をあげる。
「うわぁ!!」
俺の驚いた声にスハラが振り返る。そして、短く悲鳴を上げた。
「何、それ」
そこには、どろどろとした人の形をしたものが蠢いていて、俺たちに襲い掛かろうと目前に迫っていた。
幸いなことにその泥人形は動きが緩慢で、逃げるのは簡単そうだ。だけど。
「何かわからないけど、ほかの人を襲ったら困るわ」
スハラは、迷わず泥人形に向き直ると、そばに捨てられていたビニール傘を拾い、泥人形へと立ち向かう。
袈裟懸けに振り下ろされた傘は、見事に泥人形を砕き裂く。
しかし、泥人形はすぐに形を戻すとスハラを追ってくる。
スハラが何度砕いても、泥人形はその形を戻し、倒れる様子がない。
「も~なにこれ!」
半ばヤケになったスハラが、傘を振り回すが、それに合わせて泥人形は崩れては戻ることを繰り返す。
「いい加減にして!」
スハラが、大きく薙ぎ払うと、泥人形はとうとう崩れ、ただの泥の塊へと戻ったようだった。
「本当、何なの。これ」
少し息の上がったスハラは、泥の塊に近寄り、傘の先でつついている。俺は、呆然としたまま立っているのがやっとだった。
「ちょっと尊。何呆けてるのよ」
付喪神はこれまでたくさん見てきたけど、こんな異形のものは初めて見た。
それをスハラに伝えると、私もこんなものは初めて見たとスハラにしては珍しく険しい顔をする。
「こんなイキモノ聞いたこともないし……あれ、これなんだろう」
何かを見つけたスハラは、泥を突いていた傘を止めてしゃがみ込むと、泥の中から紙片をつまみだした。それは人の形をした小さな紙片で、破れてちぎれそうになっている。
「……これ、何かの術かな?」
スハラは参考までにと紙片をしまう。
俺は、今目の前で起こっていたことの情報処理が追い付かず、あいまいに頷くことしかできなかった。
※ ※
北海製罐第3倉庫は、解体されるのか。否か。
何らかの活用方法を考える上では、耐震や法律などいろいろな問題が絡んできてしまう。
これは誰か一人の意思で決まるものではないし、もちろん存続を願う人たちがどうにかしようと活動しているのも知っている。
だけど。
解体まで1年の時間がもらえたところで、具体策が見えてこない限り、それはただの余命宣告でしかなく、自分が消える日を待つだけの、心が歪んでしまいそうな日々を1年間過ごさなければならないということだ。
「セイカ、大丈夫?」
いつも心配して様子を見に来てくれる目の前のヒトに弱音を吐くことは簡単だろう。
だけど、自分以上に顔色の悪いヒトに、これ以上の心配はかけられない。
「大丈夫よ、心配してくれてありがとう」
できる限りの笑顔を作ってみるけれど、どれだけ笑えているのかわからない。
いつかまた、心から笑える日が来ればいいのに。
そんな願いを、神様は叶えてくれるのだろうか。
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