第41話 112個のダイヤモンド

「王妃さま、ネイサンの代理人はイギリス国債を一旦売って、下がり切ったところで買い戻し始めるはずです」

「…………」

「ですから王妃さま側の代理人は、その少し前あたりから、相手に悟られないように買い始めて下さい」


 おれはナポレオンがワーテルローの戦いで負ける事を王妃さまに知って頂き、ネイサンの裏をかくと伝えた。ネイサンは国債を一旦暴落させておいて、とんでもない安値で買い戻すつもりでいるだろうと。



 場の立ち合いが始めると、ネイサンの代理人が次々と売り注文を出した。

 勿論それを見た周囲の投資家達は誰もかれもがそれに続いた。国債の価格はすぐに落ち始め、やがてパニックになるほどの売り注文で場はごった返した。

 誰もが怒鳴り声を上げ、売り注文を約定させようとして、両手を振る人の波が場内を渦巻き出している。

 こうなると国債価格下落の流れは止まらない。もう暴落どころではない。誰も買おうとしないから、どんなに指値を下げようと値が付かないのだ。ついに成り行きで(いくらでもいいから買い手の言い値で)売ると言い始めた。


「今だ、王妃さま、少しづつ買い始めて下さい」

「分かりました」


 場を離れた席からそって見ていたおれは、傍に居た王妃さまに言って代理人に合図を送って頂いた。


 勿論王妃の代理人が一声「買う」と声を上げると。とんでもない売り注文が殺到して、まとまった単位の投げ売りで決済される。その買い注文がしばらく続くと、暴落が少し止まったかに見えた。

 この状況にネイサン側の代理人は首を傾げた。おかしい、どんどん暴落するはずなのになぜ止まるのだと。勿論ネイサンからは、買う前に徹底的な暴落を演出せよとの指示が出されている。そこでさらに売り注文を加速させた。これで再び暴落が始まる。

 おれはさらに買い注文を出すように指示した。ついにネイサン側の代理人はあらん限りの国債を売り始めたのだった。


「よし、どんどん買ってしまえ!」


 なんとか暴落させようと夢中で投げ売っていたネイサン側の代理人が気づいた時は、売ったあらかたの国債が何者かによって買い取られてしまっていた。しかもほとんど底値をさらわれていたのだ。ネイサン側は買い戻す暇が無かった。絶対に買い手は現れないと決めつけていたからだ。



 ここでついに戦場からの知らせが届いた。ナポレオンが負けたと言うのだ。


 国債の取引場内は再びパニックに襲われる。買い戻し注文が殺到し始めたのだ。

 ところが今度は誰も売る者が現れない。価格の気配だけがどんどん上がり、ついに元の値段を越してしまう。


「よし、いいだろう、少しだけ売ってやろうではないか」


 おれは何割かの国債を少しづつ売るようにと指示した。

 この日だけで王妃さまの得た莫大な利益は天文学的なものであり、イギリス・ロスチャイルドの資産がそっくりそのまま王妃さまの懐に移ったのに等しいものだった。




 その後王妃さまからは丁寧なお礼の手紙とプレゼントが送られて来た。


「結菜さんこれを見て!」

「なに?」


 王妃さまからのプレゼントだという宝石箱が二人の前に置いてある。その蓋を開けると、中から顔をのぞかせたのは、一つ一つが指の先ほどもある大粒のダイヤモンド計112個があしらわれた、長さ18センチ強、重さ97グラムものブレスレットだった。

 

「えっえっえっ!」


 結菜さんが正に目を輝かせて絶句した。


 王妃さまが今回の投資で得た利益の何パーセントかは謝礼として渡したいと言って来たのだが、固辞すると代わりにと送って来たものだった。宝石箱にはメッセージが添えられていた。


「ユイナさん、身に付けないのであれば、売ってしまっても構いませんよ」


「王妃さまはおれ達の生活の実態をよくご存じだな、結菜さん」

「……それって、皮肉なの?」

「いや、そうじゃないよ」


 それにしてもこのブレスレットは豪華すぎる。とても結菜さんが身に着けて出かけるようなものではないだろう。それにこのアパートに置いておくのは不用心すぎる。


「結菜さん、やっぱりこれは王妃さまの仰る通り、売りに出そう」

「そうね……」


 そう言いながら、結菜さんはいつまでもブレスレットをなでていた。



 ブレスレットは高額な美術品などの競売で有名なサザビーズに鑑定を依頼した。

 但しマリーアントワネットの所有していたものだとは言えない。その様な試みは秀吉の造らせた大判金貨を現代に持って来た時に失敗している。

 このブレスレットも本物なら200年もの時を経ている。ダイヤモンドはくすんでしまっているはずだ。しかし18世紀から時空移転されたブレスレットは、造られたばかりの輝きを見せているのだ。歴史的価値ではなく、宝飾品としての価値を見てもらうしかない。それでもマリーアントワネットの所有していたものとそっくりだと評判になり、とんでもない鑑定結果が出た。


 2014年に南アフリカで発見されたダイヤモンド「ジョセフィンのブルームーン」(12.03カラット)が2015年に競売に出品された時は4863万4千スイスフランで落札。競売額としては、ダイヤモンドとしても1カラット当たりとしても価格も過去最高の記録を更新した。


 マリー・アントワネット王妃さまが所有していたダイヤモンドのプレスレットは、スイス・ジュネーブで競売に掛けられる。745万9000スイス・フラン(約9億2000万円)で落札されたのは、お送られてきてから約6カ月後の事だった。出品者は匿名としてもらった。


「この驚くべきブレスレットは、まるでマリーアントワネットの所有していたもののようであり、本物ならフランス史で最も重要な時代を物語るもので、魅力と栄光、ドラマが染み込んでいる」と競売では評された。

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400年の螺旋階段 @erawan

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