第40話 ロスチャイルド家を出し抜く

「ユイト」

「…………」


 何処からかおれを呼ぶ声がする。


「ユイト、大丈夫?」

「ん?」


 何が起こったんだ?

 銃声が止み、やけに静かだ。


「ユイト」


 またおれの耳元で声がした。

 この聞き覚えのある声は……

 まさか。


「トキ!」


 おれの耳元で語り掛けて来るのは、あの地球を永遠に去ると言っていたトキではないか。


「トキなのか?」

「そうよ」


 おれは何もない空間に向かって話し掛けた。


「だって――」

「私が地球に居られなかったのは、実体化していたからなの」

「…………」


 こうしてコミニュケーションを取っているだけなら問題ないと言うのだった。


「それにこの18世紀ならネットゲームの魔物もいないでしょ」


 確かに、それはそうだ。おれが鶴松に転生してその後、トキも人の身体に転生してアパートに来ていた。だけど同じアパートの住人がプレイしていたらしいネットゲームの魔物が、トキの超自然な能力に引き寄せられてリアル世界に出現してしまったのだった。そのせいでトキは地球を離れざるを得なかった。


「あっ、じゃあ連中はどうなった?」


 おれは周囲を見回した。テロリスト達はどうなったんだ。王妃さまは無事なのか?

 起き上がると、傍に王妃さまが居た。


「王妃さま」

「ユイト」

「大丈夫ですか?」

「ええ、私は大丈夫よ」


 結局テロリスト達は、トキが砂漠の彼方に飛ばしてしまったと知った。

 やはりトキは地球を離れた後もおれを注視していて、この危機から救いに来てくれたのだった。

 しかし、この後の王妃さまの質問におれは戸惑う事になる。


「ねえ、ユイト」

「えっ」

「今ユイトは誰と話していたの?」

「あっ、いや、それは……」


 これは困った、なんて説明したらいいんだろう。


「トキって呼んでたわよね。ユイナさんでもユミさんでもなく、一体誰の事?」

「えっ、あっ、あの……」


 王妃さまがじっとおれの目を見つめている。


「もしかして、ユイトが無意識で名前を呼んだ方って……」

「いや、あの、王妃さま、それはちょっと違います」


 おれも不必要に狼狽してしまった。まずいな、これは何て説明したらいいんだ。


「あの王妃さまトキって、その、時、つまり時間を意味する言葉なんです」

「…………」

「それで、無限の時間に向かって話しかけていたわけです」


 かなり苦しいいい訳だが、王妃さまは何とか納得してくれたか。


「だけど王妃さま、まだユミさんの所にはテロリスト達が居ると思われます。今からすぐに助けに行かなくてはなりません」

「分かりました」


 テロリスト達が居なくなったこの宮殿には、もう危険は無いだろう。


「トキ頼む、ユミさんの所だ」

「分かったわ」


 再び周囲の空間がゆがんだ。






 この作品に登場しているマリーアントワネットとナポレオンの類似点は、二人とも大変な読書家だったと言うことです。ナポレオンが外国に遠征する時は、かならずその国の文化や歴史を徹底的に調べつくしたようです。

 彼の強さの秘密は勘や経験には頼らず、戦場で起こりうるあらゆる状況を想定したシミュレーションを駆使した事に有る。彼は自分の図書館といってもいいくらいの蔵書に囲まれて、長い時間を過ごしていたようだ。棚の高い処にある本を手にするには梯子を利用しなくてはならないし、中二階に上がって行く螺旋階段まで備え付けられていた。

 一方マリーアントワネットの書斎はナポレオン程の規模では無かったが、彼女が蔵書に囲まれて過ごした穏やかな時の長さは、あまり知られていない。しかし彼女はフランス革命で不自由な囚われの身となった後も、あらゆる手段で長文の手紙を書いている教養人だった。





「ユミさん」

「ユイトさん!」


 突然研究所に現れたおれにユミさんはびっくりしている。


「一体どうして?」

「それよりユミさん、テロリスト達は何処に居るのですか?」


 ユミさん達は狭い部屋に閉じ込められていた。


「今もマシンの側にいるはずです」

「分かりました。トキ、頼む」


 おれがタイムマシンの部屋に移動すると五人ほどのテロリスト達が居た。

 勿論この期に及んで問答無用だ。すぐトキに連中を砂漠に追いやってもらう。

 結局タイムマシンは修復するのにかなりの時間を要するらしいと結論が出ていた。


「ユイトさん、一体どうやってここに……」

「それは、説明が難しいのですが――」

「やはり日本のタイムマシンだったのですね」

「あっ、いや、そうではなく……」


 結局今回も、トキの存在で時空移転出来ているとは分かってもらえなかった。ましてや転生などという事は、理解の範囲を越えているらしかった。

 おれは一旦現代に戻る事にした。


「トキ、頼む」

「分かったわ」


 アパートに戻ると結菜さんが夕食の支度をしているところだ。


「ただいま」

「あら、王妃さまは?」

「うん、先に帰ったよ」

「せっかく美味しい料理を作って待っていたのに」


 面倒だからテロリストとか秋葉のメイドカフェとか、いろいろあった話をするのは後にして、おれは先にシャワーを浴びた。





 結局王妃さまからはオーストリアもしばしの平和が戻っているとの連絡が有った。タイムマシンは壊れてしまったが、メールの時空送受信くらいは出来るようだ。


「王妃さま、ナポレオンは今が頂点で、やがて彼の権勢は衰退し、フランスは苦境に陥るはずです。オーストリアが無理に出ていく必要はありません」


 と連絡をした。






 実際この後、ナポレオンはスペイン・ブルボン朝の内紛に介入した結果、マドリード市民が蜂起し、スペイン軍にフランス軍が負けた。皇帝に即位して以来ナポレオン最初の敗北だった。さらにロシアにも侵攻するのだが……



 ロシア軍の老獪な司令官は、いまナポレオンと戦えば確実に負けると判断し、広大なロシアの国土を活用し、会戦を避けひたすら後退する。フランス軍の進路にある物資や食糧は全て焼き払う焦土戦術で、辛抱強くフランス軍の疲弊を待つ。


 荒涼とした原野を進むフランス軍は兵站に苦しみ、脱落者が続出、モスクワを制圧すればロシアが降伏し、食糧が手に入ると期待していたナポレオン。だがロシア兵が放火すると、モスクワは3日間燃え続け焼け野原と化した。ロシアの冬を目前にして遠征の失敗を悟る。フランス軍が撤退を開始するとコサック騎兵がフランス軍を追撃。ロシア国境まで生還したフランス兵は全軍の1%以下の、わずか5,000人であった。


 このフランス軍の大敗を見た各国は一斉に反ナポレオンの行動を取る。ロシア遠征で数十万の兵を失った後に、強制的に徴兵されたフランスの新兵は訓練不足。クルムの戦いでは包囲されて降伏。ライプツィヒの戦いでは対仏同盟軍に包囲されて大敗するなどしてフランスへ逃げ帰った。


 やがてフランスを取り巻く情勢はさらに悪化。ナポレオンはわずか7万人の手勢しかなく絶望的な戦いを強いられた。パリは陥落しナポレオンはエルバ島に追放された。彼は全てに絶望し毒をあおって自殺を図ったとされている。


 しかしそれでもナポレオンは執念でエルバ島を脱出、パリに戻って復位を成し遂げる。だが、緒戦では勝利したもののイギリス・プロイセンの連合軍にワーテルローの戦いで完敗し、ついにナポレオンの命脈は尽き「百日天下」は幕を閉じることとなる。

 ただし、これら一連の歴史はおれの知る史実とは違い、全て前倒しで起こっていた。






 この有名なワーテルローの戦いでイギリス国債の逆売りを仕掛け、莫大な富を得たのがネイサン・ロスチャイルドなのである。彼は情報の価値を誰よりもよく知っており、ヨーロッパ中に情報網を張り巡らしていた。


 フランスの王朝時代は絶対王政、まさに権力が王に集中していた時代であった。王室は浪費を繰り返しデフォルト(債務不履行)と何度も金貸し達を裏切ってきた。各国の王室とも、金貸しから国家予算に相当するほどの金を借りている事は珍しくなかった。

 この時代にヨーロッパを金で支配していたのは五人兄弟のロスチャイルド家であった。三男のネイサン・メイアー・ロスチャイルドはロンドン・ロスチャイルド家の祖にあたり、イギリス国家に金を貸し多量のイギリス国債を保有していた。

 そして起きたワーテルローの戦い。この戦いでネイサンは莫大な富を得ることになる。ロスチャイルドのネイサン達、イギリス国債を保有している人々は勿論ワーテルロー戦の行方を注目をしていた。イギリスは勝のか、負けるのか。


 そして戦の情報を誰よりもいち早く入手したのがネイサンであった。馬や伝書鳩を使ったと言われているが、どちらにしてもイギリスが勝った。ナポレオンは負けたと知ったネイサンは、イギリス国債を購入するのではなくその逆、売りまくったのだ。

 周囲でネイサンの行動を見ていたシティの人々は、情報通のネイサンが国債を売り始めた、これはイギリスが負けたに違いない。国債が紙切れになってしまう、とつられて国債を売りに出した。

 当然国債は暴落。

 その下落していく国債を、代理人を立てて密かに買い漁った者が居る。

 やがて皆の下にナポレオン敗北の報がもたらされた。

 勿論イギリスの国債はにわかに急騰して元に戻った。


 この一件で、ロスチャイルドは莫大な富を得ることとなる。実際には、この当時のロスチャイルドを含む資産家の資産は政府や国家に開示する必要が無かった為、どのくらいの規模であったのかは分からない。しかし一説には、この当時イギリス国債の6割がネイサン所有であり、この逆売りの後、安値で買った資産が信じられない倍率になったとも、そして18世紀のヨーロッパの半分の資産は彼らロスチャイルド一家のものであったとも言われている。




「王妃さま、オーストリアの戦後復興には大変なお金が入用でしょう。その算段に一つのアイディアが有ります」


 おれは王妃さまにある提案をしたのだ。


「いまオーストリアが出来る最大限の資金を用意して、後はイギリスで信頼のできる国債の仲介人を何人か探して下さい」


 王妃さまからは、おれを信用しているので指示通りに動いているとの連絡が有った。




「何を考えているの?」


 結菜さんがドーナツをもぐもぐと食べながらおれに聞いて来た。


「ネイサン・ロスチャイルドの一歩先を行くのさ」

「それって仕手戦をやるっていう事なの?」


 相場の話をおれから少し聞いている結菜さんは、そう思ったようだ。


「仕手戦なんて、そんな大げさな事じゃないよ」

「…………」

「ただ、ネイサンよりもちょっとだけ先回りをするだけさ」


 この介入でおれはネイサン・ロスチャイルドを出し抜いてやる。ロスチャイルド家に一泡吹かせてやるのだ。

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