第39話 緊急事態
「緊急事態よ!」
おれの携帯に着信だ。
メイドカフェでオムライスを食べている最中に、結菜さんから届いた興奮しきった文面のメールがおれと王妃さまを驚かせた。
「ユミさんの研究所がテロ集団に襲われたようなの」
事の重大さにしばらく呆然としていたが、やっと気を取り直す。メールではじれったい。おれは直ぐ電話を掛けた。
「結菜さん、それは本当なの?」
「嘘なんか言うもんですか。ユミさんはテロリストのスキをみて、やっとメールを送れたんですって」
「じゃあ、今日本に来てしまっている王妃さまの時空移転は――」
「どうしよう」
どうしようったってどうしようもないだろう。なにしろ王妃さまは200年も過去の時代の方なのだ。連絡通りユミさんの研究所がテロリスト達に占拠されてるんじゃ、時空移転装置が使えないんだろうか。もしも装置が壊されたらアウトではないか。
「だけど、まてよ、メールが来たって事はまだタイムマシンは無事だって事だよね」
「そうね、じゃあ返信のメールを送ってみましょうか」
「いや、それは慎重にした方がいいよ。なにしろ向こうにはテロリストが居るんだろ。ユミさん達に危険が及んでもいけない」
ここでそれまでじっと話を聞いていた王妃さまが声を出した。
「日本語で送ってみましょうか」
「えっ」
「モルドバで起こったテロに、日本人が関わっている可能性は低いでしょう」
「そうか、日本語のメールならテロリスト達には何が書かれているか分からないよね」
「ユミさんはきっと誤魔化してくれるわ」
おれは直ぐ簡潔な文章で送信する。
暫くしてユミさんからも日本語の返信が来た。
テロリストはイスラム過激派だった。全員が銃器を手にしている。
厄介な事にタイムマシンの知識も少しは有るようだ。だがこれと言って明確な考えが有っての襲撃にも見えないという。
研究所はテロリストの襲撃などという事は、全く想定していない。数人いた警備員は銃を所持していたが、既に殺されている。
「動かせ!」
「誰をどの時代に行かせようと言うのですか?」
「キリスト教徒共に一泡吹かせてやる」
「だから、どの時代に行けばいいのですか?」
「決まってるだろ、十字軍の連中が居る時代だ!」
実はイスラム教徒ほど世界中から誤解されている人々はいないのではないか。例えば中東の歴史によく登場し、映画やドラマなどで描かれるハーレムが良い例だ。
殆どは欧米人の願望によりイメージされ、創作されたものだと思われる。
現実的に考えてみれば直ぐ分かる事だ。一年中真っ昼間から大勢のワイフ共が、全裸でその辺にゴロゴロ寝そべっている光景を想像してみよう。スルタンだろうが旦那だろうが、うんざりしてきっと思うに違いない。服ぐらい着ろよってね。
酒は飲まないタバコは吸わない、イスラム教徒の生活はかなり禁欲的なようです。実際観光客が中東の国々で楽しめる夜の歓楽街などは無いという。ドバイなどでは酒を飲まない代わりに、金を持つ男達の楽しみはゴテゴテに盛り上げたスイーツだったりする。
アフガニスタンでも問題になっているイスラム過激派は、そのほとんどが田舎に住んでいた素朴な男達だ。慣れない都会人の特に女性の前に出ると、教え込まれた教義以外に頼るものが無いんだろう。だから銃口を向けて威嚇するのは、自分達の弱みを見せない為でもある。
だがもともと純朴であるが故に、狂信的な信仰心が加わると、その破壊力は凄まじいものに変化する。
「世界はイスラムの教えに導かれなくてはならない」
テロリスト達が勝手にマシンを操作しだしてしまう。
「やめて下さい」
「うるさい」
「まだ設定が」
タイムマシンが稼動し始めた。
メイドカフェにいたおれの元にユミさんからまたメールが来た。
「王妃さま、研究所が大変な事に――」
「キャー」
「なに!」
狭いメイドカフェに銃を持った男達が忽然と現れ、周囲を見廻しかたまっている。
だが、それを見た勇敢な一人のメイドが声を上げた。
「ちょっと、なんなんですか貴方達は。そんなオモチャの鉄砲を持ったりして、直ぐここから出て行って下さい」
「…………」
「ルールに従わないで、乱暴な事をする方は入店をご遠慮して頂きます」
この連中は研究所から来たテロリストじゃないのか。怒らせたら大変な事になる。
「王妃さま、この男達は武装して世界を荒し回っている厄介な連中です」
おれは周囲の女の子にも声をを掛けようとして、
「貴方たちも下手に動かない方が――」
だがそれは遅かった。
「なんだ!」
おれが声を出す間も無く周囲の空間が歪み、王妃さまもろとも、移転されたテロリスト達と一緒に再び時空を超えた。
今度は王妃さまの宮殿に来ていた。幸い女の子達は来ていないようだ。
なにが起こっているのか。未だ男達は事態をしっかり把握出来ていないらしく行動が鈍い。連中の隙をみて、直ぐユミさんにメールを送った。
「わたしと王妃さまはテロリスト達と共に宮殿に来てしまいました。一体どうなっているのですか?」
「結翔さん、実はこちらにも数人のテロリストが残っています。彼らは大変興奮していて、とても危険な状態です」
「テロリスト達だけを他の土地に飛ばしてしまうと言うような事は出来ないんですか?」
「それが、連中の一人が威嚇の発泡をした際、どうやらマシンのどこかに当たってしまったのです」
事態は最悪だと分かってきた。メールを送る程度なら出来るが、人の移転は出来なくなってしまったようなのだ。
研究所の混乱から、始めはメイドカフェで次の瞬時は宮殿の一室と、元の設定のまま目まぐるしく転送されてしまった五人のテロリスト達。タイムマシンの噂は聞いていても、実際に時空を超えるのは初めてなんだろう。直ぐには状況が飲み込めないようで、腰が引け、固まってなにやら相談をしている。下手に刺激するのはまずい。
だが王妃さまがおれに耳打ちをして来た。
「ユイト、直ぐ衛兵を呼び――」
「王妃さま、今銃を持っている連中を刺激するのはまずいです。少し様子を見ましょう」
「 ……分かりました」
幸いこの部屋は王妃さまの厳命で、時空移転の事情を知っている者しか入ってはいけない事になっている。
しかし事態はそうのんびりしていられる状況ではないようだ。
「おい、お前達、ここに来い」
言葉は分からないが、ドアの側に行った男が銃で手招きをしたから、多分そう言っているのだろう。
「ここを開けるんだ。他の部屋を見る。先に行け」
おれが思わず振り返ると、さすがこの宮殿は王妃さまの領分だ。毅然とした態度を示し、
「行きましょう」
それでも心配になったおれは、ドアを開けながら王妃さまに聞いてみた。
「王妃さま、衛兵は呼べば直ぐ来れるのでしょうか?」
「この建物はとても広くって、駆けつけるまでには少し時間が掛かります」
「…………」
「衛兵は外から進入しょうとする敵に対処する為配置されているんです。内部に敵が出現する事は想定されておりません」
その時、苛立った声が王妃さまとの会話を遮った。
「なにをブツブツ言ってる」
テロリストの男が銃を振り上げた。
「やめろ!」
王妃さまが銃で殴られそうになったのだ。男から王妃さまを庇ったおれの頭に激痛が走る。
「ウッ!」
そのままおれは気を失った。
「ユイト、大丈夫?」
気が付いたおれは床に寝かされ、王妃さまが看護をしてくれていた。
「王妃さま、イテ!」
起きようとしたおれは頭に違和感がある。王妃さまが手にするハンカチに血が滲んでいるではないか。
どうやら自動小銃の硬い台尻で、したたか殴られたらしい。骨が割れなかったのが幸いだった。
部屋の隅には数人の小姓、貴族らしい男女のグループがひとかたまりにされている。
「衛兵に連絡は行っているんですか?」
「この状況を知らせる者は行っているはず――、ほら、見てユイト、衛兵が来たわ」
一つのドアが開くと数人の衛兵が銃を構えて入って来た。
「まずい、王妃さま床に伏せて」
「え?」
おれが王妃さまの身体を掴み強引に引くのと、テロリスト達の自動小銃が火を噴くのは同時だった。
「キャー!」
広間は凄まじい小銃の発射音と甲高い悲鳴があがった。
「皆んな床に伏せろ」
今更言っても遅いだろうが、それ以外に言いようが無い。
銃を持ち入って来た衛兵に刺激されたのか、テロリストの男達が無差別に発砲を始めてしまったのだ。
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