第38話 メイドカフェで王妃さまが呟く

 微妙な沈黙を破って、女の子がメニューの説明を始めている。


「お飲み物はクリームソーダですね、直ぐお持ちします」


 何度もひざまずく女の子は、大きな瞳でなかなか理知的な顔立ちだ。

 飲み物の後はメイドカフェ定番のオムライスを頼んだ。


 もちろんケチャップで絵を描いてもらう。

 王妃さまは笑顔全開。

 クリームソーダが運ばれて来た時、女の子が言ってきた。


「御注文頂きましたお飲み物なのですが、これからおまじないをかけたいと思います」

「…………」

「より一層美味しくなるようにする為のおまじないです。指でこの様にハートマークを作って頂けますか」


 おれと王妃さまは言われた通りに、両手でハートマークを作った。


「萌え萌えきゅんきゅん。美味しくな~れ!」とおっしゃって下さい。はい」

「萌え萌えきゅんきゅん。美味しくな~れ!」

「萌え萌えきゅんきゅん。美味しくな~れ!」


 随所に散りばめられた文字通り萌えなシチュエーションとセリフ。

 ここでその女の子が聞いてきた。


「あの、王妃さま」

「はい」

「お名前をお聞きしても宜しいでしょうか?」

「マリーアントワネットです」

「――――!」


 聞いた可愛い女の子の顔が、僅かにひきつっている。

 だが、次の瞬間、


「キャー!」


 両手を頬に当て、もう魔法の呪文を唱える仕事も忘れて叫んだ。


「マリーアントワネット王妃さま!」


 女の子の悲鳴にも似た声に、店中は騒然となり、おれたち二人の周囲に女の子達が集まってくる。


「あの、本当にマリーアントワネット王妃さまなのですね」

「そうです」


 遂に店中の女の子が皆集まって来ると、次は居合わせたお客さんまで来てしまった。


「あの、王妃さま、当店を選んで頂き誠に誠に有難うございます」


 なんだか大変な事になってきたな。

 王妃さまを見つめる女の子達の視線が尋常ではない。

 エバンゲリオンとかコスプレで来店し、本物だと言い張るオタクもいる世界なのだ。マリーアントワネットを名乗る女性がやって来てもおかしくは無い。

 だが、王妃さまを見つめる女の子達の熱気は、オタクに付き合つている演技とは思えない。

 おれはこの時、ふとある疑惑が脳裏に浮かんだ。

 もう周囲から倒れ込まんばかりにして覗き込んでくる女の子達に聞いてみる。


「ねえ、あなた達はマリーアントワネットって知ってるでしょ」

「もちろんですよ。こうして目の前にいらっしゃるじゃないですか」

「いや、そうじゃなくって、あの、マリーアントワネットはフランス革命で――」

「かろうじて逃げ延びたんんでしょ」

「――――!」


 やっぱりそうか。この時代の歴史でマリーアントワネットはフランス革命を逃げ延びた事になっている。おれの知る歴史とは違う彼女の生涯があるのだ。


「あの、その革命後のマリーアントワネットなんだけど――」

「現代にタイムスリップしたなんて都市伝説が広まっていたけど、本当だったんですね」

「私何処かの研究所でタイムマシンが完成しているって聞いた事が有るわ」

「まさか、それこそ都市伝説でしょ!」


 遂に居合わせた客まで話に乗ってくる。


「マリーアントワネットはフランス革命を逃げ延びた後、未来の日本にタイムスリップしたって話だろ」

「それはおれも聞いてる、だいたいナポレオンと互角に渡り合ったのは、未来社会の支援者が居たからなんだろう」

「へえ、そうなの」


 もう大変な騒動になってしまった。

 おれは思わず聞いてしまう。


「あの、だったらその後のマリーアントワネットは――」

「ユイト!」


 ここでそれまでじっと話を聞いていた王妃さまが声を掛けてきた。


「王妃さま」

「ユイト、それ以上は聞かないで」

「――――!」


 王妃さまがおれの目を見つめてくる。


「お願いよ」

「王妃さま――」

「自分の未来を知ってしまうなんて怖いの」


 確かにそうかもしれない。自分の未来を知ってしまう事は、どんな死を迎えるかも分かってしまうという事でもある。おれだって怖い。これは少し迂闊だったな。


「あの、サインをお願いしてもいいでしょうか」


 おれはその声で現実に引き戻された。

 王妃さまは再び笑顔になり、気軽に応じている。


「貴方のお名前は?」

「エミカです」


 初めからずっとメニューの案内までしてくれて、おまじないまで指導してくれていた女の子は、興奮を抑えきれない様子で答えた。

 王妃さまがペンを手にする。


 ――親愛なるエミカさんへ、お目にかかれて大変嬉しく思います。先ほどは日本の非常に興味深い文化を紹介して頂き、オーストリアの国民を代表して感謝を申し上げます。マリー・アントワネット・ジョゼファ・ジャンヌ・ド・ロレーヌ・ドートリッシュ――


 その後も次々と差し出される何枚もの紙や店のメニュー帳に、王妃さまは様々な言葉を書き続けた。


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