第36話 王妃さまが戦場にレギンスパンツで現れる

 ナポレオンが反撃して来たという情報が、オーストリアにいらっしゃる王妃さまからもたらされた。

 おれと安兵衛を、ユミさんに頼んで直ぐ宮殿の一角に移転してもらう。そこは王妃さまのプライベートルームで、タイムトラベラーの秘密を知る者以外は一切立ち入る事が許されていないエリアだ。

 王妃さまが綺麗なブルーの瞳で、おれを真っ直ぐ見つめ声をかけてきた。


「ユイトさん、今回は私に任せて頂けますか?」

「それは構いませんが」


 王妃さまはきっぱりと言い切った。


「私に考えが有ります」

「バルク隊長を呼びましょうか?」

「いいえ、傭兵は必要有りません」


 そう言った王妃さまは、ユミさんと何やら話し始めた。






 低く垂れ込めた雲が空一面を覆っていた。

 オーストリア軍とナポレオン率いるフランス軍は、アスペルンからエスリンクの一帯で再び対峙。一触即発の緊迫した空気が流れ、両軍の兵士達は指揮官の命令を待っている。


「安兵衛、あれを見ろ」


 今回もおれと安兵衛は、戦場が見渡せる小高い丘の上から様子を伺っていた。


「殿、あの方は」

「王妃さまだ!」


 色鮮やかなレギンスパンツ姿の王妃さまが、馬にまたがり、ロングヘアーを風になびかせている。両軍兵士達の間に何処からともなく、たった一人で忽然と現れたのだった。


 これにはオーストリア軍よりも、フランスの兵士達の方がはるかに驚いた。

ジャンヌダルクを連想してしまったのとは違う。甲冑などという古めかしく野暮な物は身に着けていない。フランス軍に近づいて来る彼女は、まるで素肌にペイントを施しているかのように見える。その身体はしなやかで、鮮やかな朱色をしている。

 フランス軍将兵達は王妃さまの優雅な肢体に目を奪われた。見方によっては悩ましくもある。全ての女性が重そうなドレスを着ていた18世紀に、まるで水着のようなレギンスパンツ姿なのだ。しかも軽々と馬に乗り、長い髪をあるがままになびかせる魅力的な美人が現れた。これはインパクトが有るだろう。然も此処は戦場なのだ。

 おれは言葉に詰まった。フランス軍兵士達の驚きはそれ以上に違いない。


「女神だ」

「いや、ビーナスじゃないか!」

「これは!」

「俺たちは本物のビーナスを見ているのか?」


 誰ともなく囁く声が、フランス軍の間に広まっていく。

だが甘く優しい雰囲気を漂わせた栗毛色の馬を、兵士達の前までゆっくり進めて来ると、その女神の口からは凛とした声が響き渡った。


「何故私に銃を向けているのですか。下ろしなさい」


 その透きとおる声を聞いたフランス兵達は、思わず指示に従っていた。

 さらに女神は言葉を続ける。


「これ以上無駄な争いをして、血を流してはなりません。直ちに軍を引きなさい」


 兵士達は、皆互いの顔を見合った。女神と出会っ時の対処法など、誰も思いつかない。戦場で兵士は器械の如く行動しなくてはならない。私情を挟む事はありえない。しかし目の前に女神が現れて、さらに声をかけられた皆の動揺は頂点に達した。

 だが世の中には必ずへそ曲りがいる。疑ぐり深い奴だ。


「みんな騙されるな。此奴はまやかしにきまってる。女神なんぞ居るものか。俺が証明してやる」


 一人の兵士が銃を構えると発砲してしまったではないか。


「なんて事をするんだ!」


 驚愕して叫ぶ兵士達。

しかし、その直後に起こった信じられない展開に、彼等は言葉を失なった。女神が馬ごと瞬時に消えてしまったからだ。

 もちろんこれは王妃の危機を感じとったユミさんが、安全な場所に空間移動させたからに他ならない。だがその兵士達の目の前で起こった奇跡で、女神様が降臨したという話は真実になってしまう。

 可哀想なのは銃を撃った兵士だった。その場で仲間達から袋叩きにされボロボロになった。しかしその男も、消えてしまった女神と馬を目撃したのだ。すぐあの方はたしかに女神様だと皆に謝罪をした。

 この戦場にナポレオンは十数万の軍勢を率いて来ている。実際に王妃のレギパン姿を至近距離から拝められた幸運な者は、軍全体から見ればさほど多くはない。

 だからナポレオンが王妃さまを見ていたかどうかは分からないが、女神が現れて兵を引くようにと言ったという話は、あっという間に知れ渡る。実際に女神の姿を見て、その声を聞いた者達の発言は信憑性がある。二度と銃を構えようとしなくなってしまった兵士達には、さすがのナポレオンもなすすべが無かった。

 フランス軍が兵を引くとオーストリア軍も戦場を離れることになる。

 こうして王妃さまはたった一人で戦争を収めてしまい、ヨーロッパにつかの間の平和が訪れた。


 そしてこの女神降臨の話はあっという間に、フランスはおろかヨーロッパ中に広まってしまう。フランス軍兵士達の話を聞いた画家が、平和を諭す女神像として絵画を描き、歴史に残ることになったからだ。





「これはちょっと違うわね」


 スターバックスで女神降臨の図という絵画の写真を見ながら、王妃さまと結菜さんとおれは話しが弾んでいる。

 史実で「民衆を導く自由の女神」というフランスのロマン主義絵画は、国旗となる旗を高く掲げ民衆を導く女性が、フランス革命のシンボルとして描かれている。この女性は女神として画家の想像により描かれた。なぜ女神だと言えるのか。

 その絵では旗を掲げる女性の両乳房がリアルに描かれているからだ。女性の裸を描くことなどタブーとされる時代であったのにだ。確かに実在する人物の裸を描いてはいけないが、女神やビーナスなど架空の人物に関しては描いても良いという不思議な解釈がある。たからその史実のフランス革命絵画は、一人だけ中央に女神を描いたということになる。

 今回の女神は大勢の兵士が実際に見ている。問題は描かれた王妃さまの胸元なのだ。両乳房がリアルに描かれてしまっているではないか。つまり、レギンスパンツはセパレーツなのだが、描かれた絵画では下半身しか身に付けていないのだ。

 あの時兵士達が実際に見た王妃さまは、もちろん胸など出してはいなかった。それなのに絵画ではリアルに描かれてしまっている。

 おれも黙って見ているだけではいけないから、つい言ってしまう。


「やっぱり、これは女神さまとして描かれたんですよね」


 そう言うしかなかった。

 だが大勢の兵士達を前にしているのに、乳房を平然と出しているように描かれてしまった王妃さまは、おれの目の前で微妙な顔をなさっている。

 暫くしてやっと写真から目を逸らし、キャラメル フラペチーノのクリームをスプーンですくい、口を大きく開けてパクッと召し上がった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る