第23話 国境へ
「ユート殿、戦さの消えた世界に、俺たち傭兵の居場所は無いのです」
革の甲冑を身に着けたバルクは、おれの前でそう言って豪快に笑った。
確かにルーマニアとモルダビアとの国境では、何も起こらなくなってしまっていた。双方共に本格的な戦闘は望んでいなかったようだ。ルーマニア軍も、モルダビア内でのルーマニア系貴族の要請から仕方なく出て来たのだった。
「まず王妃さまを紹介します」
おれはクルムさんとバルクの二人に、結菜さんを介して王妃さまを紹介してもらった後、現在の状況を説明する。
「クルムさん、バルクさん、この先に革命軍が待ち伏せしているという情報があります」
「そんな奴らは蹴とばして見せましょう」
すぐに行動しようと、バルクが声を上げる。おれは出来るだけ損害を出さない方法で敵前を突破すべく、ある作戦を提案し、
「王妃さま逃亡の情報は既に革命軍に伝わっていると思われます。いずれ奴らは雲霞のごとく集まって来るでしょうから、今が最小限のリスクで突破できるラストチャンスです」
ここはこのようにしてくださいと、作戦を話した。
「ではそのように」
傭兵軍団はゆっくり行進させる事にした。
おれと安兵衛、クルムさんが先頭を行き、その後ろをバルク隊長が率いる軍団で、最後尾から結菜さんと王妃が目立たないように続く。
「あれは」
村人の話は本当だった。革命派と思われる一群が武器を手に待ち構えている。
傭兵軍団は打ち合わせ通り、堂々と進んで行く。
革命軍は明らかに戸惑っているようだ。それはそうだろう。これまで全く見た事のない集団がゆっくりと近づいて来たからだ。
「何だあの連中は!」
「あんな王党派が居たか?」
「いや、フランスの軍ではないぞ」
「スイスの傭兵でもないな」
通常の戦闘ならば、銃の射程距離に入った時点で始まる。だが、革命軍は訳の分からない内に、傭兵軍団の接近を許してしまった。武器も構えない軍団が、特別戦闘態勢を取っている様には見えなかったからだ。
声の届く距離まで近づくと、革命派のリーダーらしい男が甲高い声を張り上げた。
「待て、お前達は何者だ?」
この状況だ、そう言っているのだろう。
「時空を超えて、遥か彼方の国からやって来た者だ」
「…………」
「通らせてもらうぞ」
さらに進み近づいて行くと、明らかに動揺している様に見える男が、
「い、いや、何人もここを通す訳にはいかん」
「そうか」
もちろんニュアンスがそう感じさせるだけで、言葉が通じている分けではない。このやり取りは全て気合いで進めている。おれはバルクの方を振り返り、合図を送った。
バルクの片手が上がる――
後ろに伸びていた軍団の列がゆっくり前に進むと、横一列になった。革命軍は何が起こっているのか分からずに、ただ呆然と見ているだけだ。
そして再びバルクの手が上がり、軍団の全員が剣を抜く――
ここまでくると、やっと事態を把握したのか、リーダーの男は顔を真っ赤にして叫んだ。
「撃て!」
だがその命令は明らかに手遅れだった。
バルクの図太い声が響く。
「野郎ども、突撃だ!」
革命軍は銃をまともに構える暇もなく、惨劇が始まってしまう。革命派の軍は統率の取れた正式な軍隊ではない。退役軍人から商人、農民などと様々な者達の寄せ集めなのだ。数では優っていても、戦さのプロである傭兵軍団に敵うわけがない。
前列の者達が次々と斬られ、あっという間に散り散りになってしまった。
フランス革命は王制に対する、日々のパンも無い貧困にあえぐ庶民の革命だという見方で、多分合っているでしょう。その点を見れば革命軍に正義があるようにも見えます。ところが王制を倒した後は、革命を共に戦った者同士が派閥争いから血で血を洗う抗争を始め、ギロチンはマリー・アントワネットの後、恐怖政治の為にとんでもない数の革命家や市民の首を落とした。
逮捕拘束された者は約50万人、処刑されたものは約1万6千人、裁判なしで殺された者の数を含めれば約4万人にのぼると言われている。
「民衆の革命政府の原動力は徳と恐怖である。徳なき恐怖は有害であり、恐怖なき徳は無力である」という言葉が革命政府を擁護した。
果たしてどちらが正義なのか、などという議論が成り立つのか。どの時代でも、歴史には生き残るための戦いがあるだけなのだ。
「王妃さま、今のうちに急いで行きましょう」
王妃と結菜さん、おれと安兵衛は馬に鞭を当て駆けだす。
「国境までは後半日くらいのようです」
皆先を急ぐ事にしたが、傭兵の半数で王妃の周囲を囲み、しんがりをバルクと残りの兵に任せる。
革命軍の姿が見えなくなると、並足にスピードを落とした。まだ国境までは遠いから、馬を疲れさせるわけにはいかない。
しばらくすると王妃が結菜さんの側に馬を寄せて来る。
「ユイナさん」
「はい」
「あの方も貴女の国からいらしたのですか?」
「あの方?」
ややうつ向き加減の王妃が、
「腰に変わった剣を差していらっしゃる――」
「あっ、安兵衛さんのことですね」
「ヤスベ……」
王妃が結菜さんを見る。
「安兵衛さんは日本の剣豪です。強いんですよ」
「…………」
馬の背で揺られる王妃は、黙って安兵衛の後ろ姿を見つめていた。
この時、安兵衛は既に壮年であったが、マリー・アントワネットはまだ二十歳だった。
史実ではマリー・アントワネットとルイ16世との夫婦仲はあまり良くなかったと語られている。互いに好意は有ったようなのだが、気持ちが上手く疎通できていなかった。フランス革命間際までは距離をとりがちで、二人の部屋を繋ぐ隠し通路があったものの、使われることはほとんどなかったという。
オーストリアはプロイセンの脅威から、フランスとの同盟関係を深めようとしていた。その一環として、ハプスブルク帝国の実質的な女帝として知られるマリア・テレジアは、自分の娘とルイ・オーギュスト(のちのルイ16世)との政略結婚を画策した。
そして始まったフランス革命前倒し。結婚二年目のこの時点で、マリー・アントワネットは未だ子供をもうけていなかった。
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