第12話 安兵衛

 黒海で大きな船の軌跡を追う作業は進んで、いくつかの候補が見つかった。

 港に入ったばかりの船がある。


「結翔さん、行ってみましょう」

「分かりました」

「ねえ、ちょっと!」


 振り返ると結菜さんの様子がおかしい。


「あの今、手が離せないんだ」

「手が離せないってなによ」


 ほって置かれていると感じるのか、明らかにおかんむり状態だ。ユミさんが声を掛けた。


「結菜さん少しだけ待ってもらえますか。向こうが落ち着いたら一緒に行きましょう」


 おれも向こうは今戦争状態で危険だから、ちょっとだけ待ってくれないかと頼む。何とか納得してくれた。

 そして出発前、タイムマシンの横でユミさんが、


「結翔さん、これを持ってもらえますか」

「何ですかこれは?」


 手荷物と言った感じの箱で結構重たい。


「石鹸です」

「石鹸?」

「ラウラさんへのお土産です」


 新しい石鹸は十二世紀ごろに、地中海沿岸のオリーブ油と海藻灰を原料として作られている。従来の類似品にありがちな不快な臭いも無い。なので人気が有り、ベネチアでも盛んに作られ輸出されていた。

 

「ラウラさんも石鹸をよく取引していたようです。でも今の石鹸とは品質も香りも比べ物にならないでしょう」

「これは喜んでもらえるでしょうね」


 と返事をしたが、どんどん歴史が変わって行くような気がして、複雑な気持ちだった。






 その日、おれとユミさんは問題なく黒海の港に降り立った。


「あの船の事を教えて?」

「パルパテチオさ」


 港に居た男に聞くとラウラ家の船だと答えた。

 ラウラ家の交易船パルパテチオ号は地中海での交易を終え、モルダビアの港に帰って来たばかりだった。


「ラウラさんはいらっしゃるかしら?」


 ユミさんが乗員らしい者に聞くと、


「今はいねえよ」

「何処にいらっしゃるの?」

「さあな、館にでも行ってみな」


 そう言いながら、おれとユミさんの服を熱心に見ている。

 ユミさんは動きやすいようにと考えたのだろうか、カジュアルなパンツスタイルだ。

 男は丘の上を指さしていた。






 教えられた道を上がって行くと、大きな館はすぐに見つかる。


「ラウラ・アレクシアさんのお宅ですか?」


 応対に出たメイドに、


「私はユミ・アレクシアと申します。お取次ぎ願えますか?」


 とユミさんが告げると、びっくりしたような顔をして奥に入って行った。


「ユミさん、本当の事を話すのですか?」

「それが、まだ迷っているのです」

「…………」


 本当の事を話しても、当然信じてはもらえないだろう。

 この時代の人にタイムマシンの話など、理解の範疇を超えている。

 やがて奥から物静かそうな女性が現れた。

 おれは一目見て息を飲んだ。ユミさんも綺麗な方だが、今こうして現れた夫人も信じられないくらい優雅で、西洋の美人画から出て来たような方だったのだ。


「わたくしがラウラですが、どなたでしょう」

「突然お邪魔して申し訳ございません。私はユミ・アレクシアと申します」

「…………」


 ラウラさんは自分と同じアレクシアを名乗るユミさんに、明かに戸惑ったような顔で、


「それで、どのような御用件でしょうか?」

「あの……」


 ユミさんが言い淀んでいる。おれは思わず口に出してしまった。


「安兵衛に会いに来ました」


 おれの発した安兵衛と言う言葉に、ラウラさんは目を見開いた。


「あなた方は一体――」

「はい、そうです、私達はヤスベにも会いに来ました」


 そう言ったユミさんはさらに言葉を続けた。


「ヤスベは私達にとって、共通の知り合いなんです。会わせていただけませんでしょうか」


 びっくりした様子のラウラさんは、


「とにかく中にお入り下さい」


 安兵衛の話が出て、当初の怪訝な態度を幾分和らげてくれる。ゆっくり話を聞きたいと思い始めたようだ。






 ユミさんの説明を聞いたラウラさんは、すぐヤスベさんに連絡をするようにと言って使用人を出した。ただ未来から来たと言う話は、やはり理解出来ない様子だ。

 だから未来と言う国から来たという、訳の分からない話になってしまった。

 ただ傭兵軍団を出してほしいと言う要請は受け入れてくれた。ラウラさん自身は争いを好まず、直接兵を養ってはいなかったが、反ルーマニア王国の貴族であるダニエル家の危機だと聞いて、傭兵の派遣を決断したのだった。面識は無かったが、同じモルダビアの貴族同士として、ルーマニア王国系貴族との戦いに苦戦しているとあらば、手を貸さない訳にはいかないというのだった。


「そうですか、それでは私が懇意にしている傭兵隊長のバルクに連絡を取り、至急兵を集めてくれるように頼みましょう」

「あの、それで、どのくらいの兵力になるんでしょか」


 ユミさんに通訳してもらうと、四百人ほどだろうと言う。

 思わずそれでは全く足りないと言いそうになるのを、ぐっとこらえた。

 折角兵を出してくれると言うのに、文句は言えない。ユミさんも心なしかがっかりした様子だ。

 しかしラウラさんも打ち解けて来ると話が弾んだ。

 その時、


「殿!」


 振り向くとまぎれもない、安兵衛がそこに立っているではないか。おれは椅子からすぐ立ち上がったが、懐かしさのあまり、すぐには声が出なかった。


「……安兵衛、久しぶりだったなあ」

「殿、これは一体、どういう事ですか?」


 それを聞いたユミさんも隣から声を掛けて来た。


「えっ、殿って、一体どういう事ですか?」


 ラウラさんも呆然と成り行きを見守っていた。

 おれはとにかく二人に知ってもらおうと、それぞれを紹介した。


「安兵衛、この方はユミさんといって、そなたの子孫になる」

「…………」

「ユミさん、この男が、貴女の会いたがっていたヤスベです」

「…………」


 ゆみさんも安兵衛も声が出ない。おれもなんて言ったら良いのか分からなかったが、とりあえず二人には腰を下ろしてもらった。サロンとも呼べる広い部屋は、重厚な調度品が周囲を埋めている。メイドが飲み物を運んで来た。


「あの、ユミさんさん、おれは戦国時代で秀矩になっていたんですが、その時に出会ったのがこの安兵衛だったんです」


 おれはその辺のいきさつを一通り話して聞かせた。


「それで結翔さんが殿と呼ばれるんですね」

「はい」


 安兵衛も何度か時空移転は経験しているので、ユミさんの事情はすぐに察したようで、


「では貴女が私の子孫という訳なのですか」


 ユミさんを見る安兵衛が感慨深い様子だ。ただ、ラウラさんだけは一人取り残されたように、戸惑っていた。

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