魔王VS魔王
穏やかに――。
胸の内の感情を全ては排出し、思考をクリアにする。
見栄も自負も慢心も焦燥も威勢も――余計なものはいらぬ。全てを覚悟の炎にくべ、感覚を研ぎ澄ませる。
静寂極まりない玉座の間。
時間が凍り付いたかの如く何もないこの場で、練り上げ膨れ上がってゆく自身の魔力だけが胎動する。これほど念入りな下準備をして戦いに臨むのはいつ以来であろうか。幾たびもの戦いの記憶が去来を繰り返す。
勇者との死闘は全て本気であった。
血が沸騰するかのような高揚感を胸に、1合先には骨が砕けてるいのではと錯覚する痛みに耐えて軋む腕を振るった。互いの魔法を相殺し合いながら3日3晩肉弾戦に明け暮れたこともあったの。
だが、それらの全ての戦いで我は決死の覚悟を持ってはいなかった。
たしかに勇者との戦いの最中この命が尽いても構わぬと思ったことはあったが、それでも戦う前からそのような考えをもってはいなかった。敢えて言うならその場の雰囲気に絆され高揚した結果の成り行きというもの。
ライゼンや他の魔王どもとの睨み合いもそうだ。奴らの侵攻を迎撃しその報復にいくことはあっても、我から行動を起こしたことは1度もない。ただ鬱陶しい虫を払うように、全面的に戦う意思を見せることはなく漠然と他の魔王共の力がどれほどのものか量るだけ。命を賭して戦うことなどなかった。
それは何故か?
今ならわかる。
自身の全てを賭すに値する……人間風に言えば、掛け替えのないモノというのを持っていなかったからである。今の我にはそれがある。戦いの最中、命の輝きが最も輝くその瞬間に死ねれば本望と考えていた我に、
ソレを守りたいと思った。
ソレが我以外の意思で消えることに憤りを感じた。
ならばやることは決まっておろう。
受け身な姿勢はもう終わりだ。これから我は己の全てを賭して戦おう。敵は自身と同等それ以上の力を有する強大な小童。1度始めてしまえばもう後には退けぬ。敗北すれば何もかも失い、勝利してもただでは済まないだろう。
端的に言えばやるだけ損な戦い。だが決して譲れない戦い。
ああ、嗚呼……コレが――。
「我の真の初陣であるな」
古来より言霊には力が宿るという。魔法を行使する際の呪文の詠唱が分かりやすい。極論魔法の発動に詠唱は必要ないが、自身の頭のイメージを言葉にし発声という形で鮮明にすることで、魔力の流れがより一貫性を持ち結果的に魔法の発動が効率的になる。
であるなら、この宣言もまた同質の意味を持つだろう。
カツン……カツン……と断続的な音が外の廊下から聴こえてくる。
我は玉座から腰を上げ同じようにゆるりとした調子で5段ほどの緩い階段を下りてゆく。
我が歩を止めたのと同時。目の前の扉が軋みながら開いた。そこから小さな影が悠々と入ってくる。そいつは我を一瞥し、一瞬だけ意外そうな顔になるが直ぐに嗜虐的な笑みへと変え、さらに部屋の奥へと向かってくる。期待は裏切られたが、これはこれで好都合と言ったような面だの。
「やぁリヴィ5日ぶり。それで勇者の首はどこかな?」
既に答えが出ているのは事実。だというのにライゼンはわざわざ問うてくる。
「この状況を見て察せぬほど貴様は戯け者か」
「いやぁ俺もまさか……あの魔王リヴィエラが勇者と言えどたかが人間1人殺させなかったとは思いたくないが、確認として……な?」
あくまで言質がとれるまでは動かないか。このまま睨み合いを長引かせるのもまどろっこしい。
その間も互いの距離を縮めてついに一足飛びで間合いを詰めれるようになったところで、我は足を止め口を開いた。
「勇者の……クロムの首はない」
「殺せなかった?」
「いや――」
1度言葉を区切り呼吸を整える。
ここからは先は我も命を懸けよう。
形だけでなく心も全て挑まれる者から挑む者として。
歴代の勇者の如く強大な力を持つ魔王に立ち向かおう。
次の発声と同時に練り上げ続けた魔力を一気に開放する。
「――貴様にやる首などない」
構えをとる間すら与えるつもりはない。先手必勝。掌に生み出した火球をライゼンに放つ。
至近距離で撃った魔法は数秒とかからずライゼンの下へと届き着弾。轟音と爆風、煙幕を発生させた。手応えは――。
「だーかーらー! そのいきなり攻撃してくる癖、直した方が良いとおも――うおっ!?」
背後からした声の発生源にすかさず2発目を叩きこむ。だが今度も手応えはなく、煽るように再び背後に気配が生まれる。
「貴様こそ一々背後に回らなければ安心できんのか」
「先に俺の質問に答えろよ魔王リヴィエラ。この攻撃の意味。ただの戯れか。俺を殺す気になったか。まさか――」
さすがに直撃を喰らうのは不味いと感じたのかライゼンは腕を交差して防御姿勢をとっている。
何か言い募ろうとしていたようだが、火球の爆音がその声を阻む。
我は手を緩めずさらに両手、そして自身の周囲にも魔法陣を描き晴れ切っていない煙幕の中へと魔法を打ち込んだ。決して良いとは言えぬ視界の向こうで爆発音が連鎖する。
並大抵の者なら跡形もなく吹き飛んでいたであろう爆発の波。しかしこんなもので魔王に有効なダメージを与えられるはずがない。言わば挨拶のようなもの。
爆発が止み、少しずつ霧散していく煙幕に向けて我は答えた。
「嗚呼、そうとも貴様の言う……そのまさかだの」
「おいおい。そりゃ俺ら他の全ての魔王を敵に回すのと同義だぜ」
「ハッ! 何を言っている」
やはり火球の攻撃などなかったかのようにピンピンとしているライゼン。
既に8割……いや9割は確信しているようでその瞳は殺気が満ち始めている。こう改めて魔王という存在に敵意を向けられるのは威圧感が凄まじい。
気を抜けば殺到してしまうんじゃないかと錯覚させる眼光。同じ場にいるだけで胃がキリキリとする重く濃い魔力。下手に動けば次の瞬間には殺されそうなプレッシャー。同じ魔王である我ですら遊んでいられぬ。
それでも奴の勢いに飲まれてはいかぬのだ。片方をつり上げ嗤う。
「他の全ての魔王を敵に回すだと? それではまるで我らの仲が良かったと言っているようではないか」
自分こそが最強、最高、唯一などと素面で宣い本気で考えているようなエゴの塊どもの間に仲間意識などというものが芽生えるはずがなかろう。
現にライゼンも幾度と我の支配地を狙い侵攻を繰り返している。人間の世界には喧嘩するほど仲がいいという言葉があるが、少なくとも我の間では例外だ。
だからこそ我は自身の欲を――意志をここに示そう。
「我が弟子、勇者クロムを誰にもやらぬ」
勇者を弟子に、まして守ると啖呵をきった魔王。
我ながら
だがそれが我の欲であることは疑いようのない真実。
ならば魔王らしく自らの欲に忠実になることに何らおかしくなどない。
我の宣言にライゼンは先までの表情と言葉を失い硬直した。
やがて時が動き出したかのようにライゼンは口を開く。
「なるほどなー、なーんか隠してると思ったら……弟子かぁ……リヴィエラ。お前ついにイカれちまったのか?」
「我は至って正気、いや。貴様も我も、散々他者の命を奪い壊し冒してきたのだ。当の昔にイカれておろう」
「だからって勇者を弟子にするなんて奇行に走って何になる? 勇者が強くなればそれだけ俺らが死ぬ可能性が高くなるだけだぞ」
「我が求めるのはこの身を焦がすほど熱く、魂を震わせてくれる戦い。そのためならば勇者を育てることくらい厭わん」
「うわぁ……お前マジでやばいわ」
本気でドン引くライゼン。
元よりこ奴に好かれようとなどまったく思っておらん。結構である。
フンッと、大きく息を吐いて感情の起伏を整える。
これで我が誰につくのかはっきりした。
魔王が1人死ねば、他の魔王らもここぞとばかりにハイエナの如く群がってくる。
土地、財宝、奴隷……欲するものは違えど、それらをめぐって誘発する争いは地図を書き換えなくてはならないほどだろう。
だが〈勇者と共謀し全魔王の脅威となりかけた魔王を討った〉という大義名分があれば状況は変わる。勝者の魔王へと最も疲弊している終戦直後に攻め入れば〈勇者と共謀した魔王の同盟〉などとあらぬ疑いを掛けられかねんからの。
そうなれば漁夫の利を取りに来た魔王は複数の勢力から早々に潰されるであろう。
故にライゼンはこの後……我を始末したのちに他の魔王に攻め入られない大義名分を待っていた。
そしてそれが手に入った今――。
「危険分子は早めに摘んどかないとな!」
手加減を止め、本気で我を殺しに来る。
「ッラア!」
「――――っ」
一瞬で間合いを詰め懐に入ってきたライゼンは、振りかぶった右の手刀で我の首を凪ぐように狙ってきた。一瞥しただけでアレを喰らうべきでないと分かる。
全力で上体を反らした刹那、目の前を雷が過ぎ去った。
比喩ではない。おそらく雷系統の魔法で作った膜を手刀に纏い強化しておるな。あんな物騒なもの、まともに喰らうどころかこちらも魔力を纏って防御しなければ一瞬で感電死だ。
「そら、反撃してみろよ!」
右の手刀を切り返し再び首が狙われる。初撃を回避するために仰け反ったこの体勢では2撃目を防ぐのは不可能。
なら、と攻撃が届く前にライゼンの顎目掛けて蹴りを入れる。
どれほどの強者であろうと身体の作りがヒトと同じであれば顎は急所。無防備に晒された顎に衝撃を受ければ容易く脳震盪を起こす。
先の手刀でライゼンの攻撃速度は我より僅かに上回っていた。だが奴が前傾姿勢になっている今、奴の手刀より先に我の蹴りの方が先に届く。
己が命を刈り取るべく向けられる手刀を意識外に追いやる。集中力を注ぐべきは己の足のみ。足に込めた力に耐えきれず足元の床が陥没する。裂帛の殺意を乗せ、ライゼンの頭が間合いに入ったのを見計らい渾身の蹴りを見舞った。
「死ね!」
「うおっ!? ぶねー……」
「逃がすか」
攻撃を中断したライゼンが宙高く跳躍し距離を取ったことで、虚しく蹴りが空を切る。初撃で決着をつけられんかったことで1度大勢を立て直す気か。そんな悠長なことさせん。
振り上げた足を引っ込めぬまま宙返りの要領で素早く回転し、今度はこちらから仕掛ける。
「串刺しにしてくれる」
瞬時に詠唱を済ませた我の眼の前に魔法陣が描かれる。
飛んでで肉薄することも視野に入れたが、広い空ならまだしもここは室内。浮遊ではなく翼を使って飛翔している我にとって乱立している石柱は非情に邪魔になる。
藤色の光を帯びた魔法陣がその光を一層強め、氷の大槍を射出した。
「ルイニエレン・アイスランツェ!」
「アメェよ!」
未だ滑空中のライゼンにはこの大槍から逃れる術はない。浮遊魔法を使ったところで間に合わん。
何が甘いだ……。そう反論が一瞬脳裏を過ぎった次の瞬間に、ライゼンが両の掌を我の放った氷の槍へとかざした姿が見えた。
バチッ! と肌がビリ付く。
「セキライ!!」
いつの間にかライゼンが突き出した手の周辺に小さな赤い雷が収束、凝縮し……一筋の閃光となって氷の槍へと放たれた。
バチバチと耳を劈くような音とがガガガガッという破砕音が耳朶を打った。
ものの数秒とかからず我が生み出した氷の槍はライゼンの雷によって打ち砕かれてしまった。
弾けた氷の破片がそこかしこに振り注ぐ。その光景を気に留めることなく攻撃を阻止したライゼンを睨む。
「俺の雷の前じゃあんな攻撃、目くらましにも使えねぇぜ」
「それはどうかの」
「ああ?」
訝しむようなライゼンには答えず我は広げた両腕を一気に胸元に引きつけ交差させた。その動きに連動してライゼンの訝しむような表情が張り付いた頭に左右から石杭が飛んで直撃した。
「この辺で最も硬い岩石をくり抜いて精製した杭じゃ。貴様でもただでは済まんぞ」
初めから氷槍はブラフ。2撃目のこれこそが本命だ。我の魔力によって硬度を増した2本の石杭はぴったりと合わさり、ライゼンの頭蓋を圧し潰し――。
「何回も言わせんな。効かねぇよ」
鼓膜を震わせる雷の如き轟音の再来と共にライゼンの声が聴こえた。
声がしたのは当然目の前にある頭を左右から石杭で潰されたライゼンの身体。その表面からは赤い光が幾つも漏れている。
光はライゼンの足元からたちまち頭部を潰した石杭へと纏わりつき、弾けた。パラパラと氷槍の二の舞になった土塊の中、不敵な笑みを浮かべたライゼンの眼光が我を射抜く。
しまった……と、思った時には既に遅かった。
「次は俺から行くぜ!」
「くっ……」
一筋の雷となってライゼンが疾駆する。いや、そう認識した時には間合いは喰らいつくされていた。
不覚だ。
我としたことが一瞬と言えど奴に怖気づいてしまったとは。
そのあまりに短いようで素早い身のこなしを得意とする雷人族にとっては十分すぎる隙を、ライゼンは見逃さない。見逃すはずがない。
次に感じたのは激しい腹部の痛みだった。気付いた時には自分の身体がくの字に折れている。
「カハッ!?」
腹部から胸部にかけてライゼンの膝がめり込み、メキメキメキと不吉な音が身体の内側から鳴り響く。肺の空気が強制的に吐き出され意識までも手放しそうになる。
「おっそ。こんな奴に100何年って手間取ってのかよ」
「黙れ!」
「っと、危ね」
我は腹部の鈍痛を無視して身体の奥底から一気に魔力を放出し発散させた。
足場にヒビが走り、柱は軋み天井が振動する
即席の防御壁を察知したライゼンが離脱したことで、なんとか追撃は避けられたが……。
「だいぶ辛そうだな」
「…………」
「けどお前、中々タフな奴だぜリヴィエラ。あばら砕いてやるつもりだったのに、まだそんな防御壁張れんだから」
「ごほっ………け」
「ん? なんだって?」
「――――ほざけ」
口内に溜まった血を吐き出し虚勢を張ってみる。
噎せ返りそうな血の匂いと味だ。砕かれてはいないが、折れた肋骨がどこかに刺さっているのだろうか。いやそんなことは良い。時間さえあれば治せることだ。
それよりも不味いのは今の防御壁で想像より多くの魔力を消費したこと。
魔法の基礎はまず冷静……無情であること。
魔力の操作には精神力が強く干渉する以上、感情と思考の切り離しが基礎にして真髄。
こちらの攻撃が効かなかったこととライゼンの速度が想像の倍は早かったこと。それらから生じた微かな動揺を突かれた。何とも情けない。
本来なら機動力が武器のライゼンを遠距離を得意とする我が接近と離脱を繰り返して終始主導権を握る算段であったが、あの速度で詰められれば多少の距離など無に等しい。
なら取るべき行動は1つ。
「まだそんなこと言えるって、瘦せ我慢し過ぎだろ。ダッセーの」
「フッ、生きた年数の浅い後輩魔王へ我なりのハンデのつもりであったが……馬鹿にしてくれる」
「その口から血吐き出しまくった顔でよく言うぜ」
「御託は良い。さぁかかってこい小僧」
「この……老いぼれが!」
クロムでもひっかからんような挑発に乗ったライゼンが床を踏み砕きながら再び突貫を開始した。
まだ胸から込み上げてくる血は止まっていない。しかし構えぬわけにはいかぬ。
我が身に巡る魔力の流れを加速させ、ライゼンの攻撃を出方を見る。
「死ね!」
鞭の如くしなった蹴りが我の肩を打った。痛み、というより熱感が腕に走った。
しかし……。
「あ?」
攻撃したはずのライゼンがそんな間の抜けた声を零す。奴のイメージでは我を蹴り飛ばすつもりでもあったのだろう。
だがそのイメージは我が腕で防いだことで砕かれる。
それだけではない。奴が腑に落ちない面持ちなのは存外に我へダメージが通ってないこと。腕を打った脚を逃さまいと防御に使った腕で絡めとりながら、もう片方の……魔力を集中させておいた掌底をがら空きの腹へと叩きこむ。
「爆ぜろ」
「…………っ!?」
爆裂。
零距離で直接喰らわせた火属性魔法が音を置き去りにしてライゼンの身を焦がし、爆発によって吹っ飛ばした。
視界の周りを火の粉と黒煙が踊り、肉の焦げた異臭が鼻孔を擽る。
距離という概念において奴が有利であるならば、それを消す……奴の攻撃を喰らいつつ、こちらの攻撃を全て土産に持たせてやるだけだ。
肋骨が何本かやられているがその他のダメージは軽微。不安要素は奴の攻撃を凌ぐために多量の魔力で身体を常に覆っておく必要があることか。
なんとも非効率で馬鹿らしく愚かな戦法だが、この根競べに望む他ない。
「お前……何考えてんだ」
「貴様の想像する通りのことよ。まさか、我の首を取りに来ておいてただで済むとは思うていまいじゃろ?」
「……たりめーだっつーの!」
そこから先は悠久の
ライゼンの拳が我の顔面を捉える度に歯が折れ、口内に血が溢れる。
その返しに我は己が持つ渾身の魔法をカウンターで返す。
血が舞い、炎が逆巻く。
ライゼンの放つ拳と蹴り、その一挙手一投足が我の意識だけでなく命まで刈り取らんばかりの威力を内包している。
だがそれは奴も同じこと。
攻撃する度に我の魔法をその身に受けているライゼンの身体は既に、正常な生物のものではなくなっているはずだ。
火炎、氷槍、風刃、呪術、重力――その全てが着々とライゼンを蝕み続けている。
「こうして戦ってると益々お前のことがわかんねぇな」
「元より貴様に理解も共感も求めておらん」
互いが互いの攻撃に顔を苦渋に歪めながら、そんなことを言い合う。
「まぁそう言うなよ。どうせお前は俺に殺されるんだしよ。遺言くらい聞いてやるって言ってんだ」
「ふざけたことを! 貴様にくれてやる言葉も死ぬ気もない」
蹴りを躱し、殴打の連続攻撃を弾きながら強く言い放つ。それでもライゼンは、その軽薄さが際立つ笑みを消さずに口を閉じようとしない。
「いーや、あるね。なんせお前が死んだあと。クロムとかいう勇者の面倒見るのは俺なんだから」
「なっ……」
「やっぱお前、相当あのガキの勇者にご執心のようだな」
痛み分けのような戦況はガシッと、互いの手を掴み力比べへと移行。
我とライゼンの膂力は拮抗し、僅かにでも気を吹けばたちまち飲まれる。
手に込める力を一切緩めることなくライゼンが頭を近づけた。
「前だってそうだ。勇者を引き合いに出す度にお前の感情は揺れ、思考は乱れる。冷徹無比で残虐な孤高の魔王と恐れられていたお前はどこへ行った? 俺の知っているリヴィエラはこんな腑抜けじゃねぇぞ」
「我が腑抜けだと……」
「ああそうだよ。お前は完全に牙を抜かれた魔物、もはや愛玩動物だ。だから俺が喝を入れてやるよ」
断言したライゼンを目の前に悪寒が走った。
瞳孔が開き猛禽のように血走った支配者の眼に射抜かれる。
それはほんの一瞬、1秒にも満たない刹那の時間。脳裏にあってはならぬ未来を描いてしまった。その光景があまりに現実味を帯びていて、だが受け入れ難く追い払うのに時間を要した。その数瞬の葛藤が生死のやり取りのさなか、最もあってはならぬ瞬間を招いてしまった。
すなわち空白時間。
何も考えられず、何も動けず。無防備な隙を晒してしまったのだ。
ようやく戻った思考で自身の不甲斐なさに歯噛みする。
気迫に気圧された。
勝てぬかもしれぬと思わされた。
集中力の低下が途中まで紡いでいた呪文の詠唱速度を落とす。
間に合わない。
「セキライ!」
「ぎやああああああああああああああ――――!!」
こちらの魔法が完成するより早く、あたかも落雷を直接叩き落されたかのような強烈な電撃が、組んだままのライゼンの手から我の手へと伝い全身を襲った。
身体の至るところが引きちぎられ、超高温の鉄杭を押し付けられているような痛覚の嵐。流れ続ける涙は生まれた瞬間に蒸発し、喉が千切れんばかりの悲鳴が止めどなく溢れる。
永遠とも思えた電撃が止んだ時には、立つ力も残っておらず、頽れる我の身体をとこどころにヒビが走った冷たい床が受け止めた。
意識が朦朧とし思考もままならない。
胸のうちに今までにない感情が芽生えたのを感じる。
戦意の萎縮。自棄。死期の悟り。
これからどうしようと勝てという――――諦観。
我が最も忌避する感情が抗えぬ絶望となり身体を圧し潰す。
「やっと虫の息か……つっても、このままじゃ回復するしな。せめてもの優しさだ、一思いに塵も残さず一瞬で消滅させてやるよ」
もはや虫の息である我からライゼンは大きく飛び退き、玉座の側から見下ろす。
空気が振動した。
見ずとも分かる。ライゼンが我にとどめの一撃を放つべく魔力を集中させているのだ。
恐ろしい魔力だ。仮に暴発でもしようものならこの辺り全てが焦土と化すほどの莫大な魔力。
それが腕を天へと掲げるライゼンの手に集中し
「こいつで終いだ」
これなら…………確実に死ねるの。
そんな考えが脳裏を過ぎる。
下手に手加減されて生き残るような痴態を晒すくらいなら、痛みを感じる間もなく消されて方が遥かにマシだ。
目と鼻の先にまで迫った死を受け入れた途端、達観というのだろうか。驚くほど心が落ち着き、自身が為してきたことを懐かしむように過去を俯瞰。
ただひたすらに血沸き肉躍る戦いを求めて生きてきた道程が、次から次へと去来する様を幻視した。
これは走馬灯。
絶体絶命。抗えぬ死を前にしたその刹那、己のありとあらゆる記憶を総動員して生に執着する本能。
だがどうだろうか。我にはもうその生存本能すら無い。
故にこの走馬灯は一種の夢なのだろう。
思うがままに暴れ、戯れ、殺し、満足行く生涯であったと確認するための幻。
ただ1つ。思い残すことがあるとすれば――。
幻の最終地点に立っていたのはすっかり見慣れた人影だった。
歴代の勇者と比べて一際小さく貧相な身体。
幼く脆く弱くいっそ儚い。
――されど、どれほど強大な敵を前にしても決して諦めなかった我の唯一の弟子。
「嗚呼……そうだの、クロムよ…………」
「んあ?」
なら
何故なら――。
「弟子の信念は師匠譲りと相場が決まっておるのだ」
疲弊しきった四肢に鞭打ち萎えた心に矜持を灯す。
魔王としてではなく……勇者クロムの師としての譲れぬプライド。
「はっ、そのまま這いつくばっていれば楽に死ねたのによー!」
「我もそう思ったのじゃが、生憎そういう訳にはいかぬのだ。我の命が潰えるまで付き合ってもらうぞ、ライゼン!」
既に我には高位の魔法を行使するほどの力などない。唯一可能なのは凝縮させた魔力を放つという魔法と呼ぶことすら烏滸がましい、敗者の無粋な悪足掻き。
最後の最後まで現実から目を背け、抗おうとするその攻撃は実に醜く滑稽なものだろう。
だが、それがどうした。
危険など度返し。例えこの身が朽ちようと、眼前の敵をを滅することさえできればそれが如何に醜悪であっても我の勝利。簡単な話だ。
故に我は全てを懸けよう。
恥も外聞も捨て泥臭く散ったって構わん。気力も意志も意地も生命力すら
視界がぼやけ手足の感覚すら遠くなり、自分が立っているのかすら分からん。
それでも倒すべき敵を見据えることだけは辞めない。
時は来た。
「灰塵に帰せ!!」
「はああああああああああああ!!」
魔力が溜まったのは両者同時。
我とライゼンは互いの身体など優に飲み込むほどの魔法を正面から放った。
回避など不可能な距離。回避などしたところで衝撃から逃げられるような規模ではない。
魔法同士がが衝突し強烈な衝撃波が身体を撃つ。
ぶつかり合う魔力の力場は互いが互いを喰らい合うように荒ぶり、猛りその周辺を砕きながら膨張と収縮を繰り返す。
「く……んぐっ……!」
「消えろリヴィエラ!」
やがてジリジリと形勢が傾きだした。
ここまでか……。
我の攻撃がライゼンの雷に飲み込まれてゆく。
今度こそ何もできん。いや、できることは全てやった。
力を振り絞って抗ってみたものの結末は変わらず。
だが少なくとも勇者の師としては悪くない最期であろう。
破壊を繰り返し孤独を貫いた我にも憎悪と怨嗟以外に残せるもの……託せるものがあった。そのことに思いを馳せるだけで、どこか清々しい思いが我の胸を通り抜けていった。
実に魔族らしからぬ感情。
それもまた一興か。
薄れゆく意識の中、最後に彼方にいるであろう弟子に囁く。
「お前が倒せ……クロム」
完全に体内の魔力が尽きると、呼応して今まで辛うじて現界していた魔法を潰えた。抵抗するものがなくなったライゼンの攻撃が必滅の雷となり我に迫る。
雷が直撃した瞬間、我の身体は木っ端微塵になる。
「――テリオスィエラ・アミナ!!」
はずだった。
突然明後日の方向から聴こえた詠唱。
この詠唱が齎す魔法は高位の防御壁を築くもの。
しかし魔法の効力など後回し。我が真っ先に意識を奪われたのは詠唱者の声。
その声はここ数年、我が最も耳にしてきた人間の童のものだった。
雷が我を討とうと襲い掛かるが一瞬早く防御魔法が展開し、眼前で大爆発が起こる。
「ん? 誰だよお前」
徐々に晴れてゆく土煙の中に佇む闖入者に不満げな顔でライゼンが問うた。
闖入者が名乗る前に我の口からその者の名が零れる。
「クロム……?」
雪の如き白髪の上からバンド巻き、翡翠色の鎧に身を包んだ魔王の天敵。
我を背にし仁王立ちでライゼンと対峙する勇者クロムがそこにいた。
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