不穏
村から真っ直ぐ飛び城に着いた頃にはもう陽は完全に暮れ、月が夜空へと昇っていた。肌を撫でる風は冷気と言って差し支えないほど冷たく、草木一本すら生えぬこの辺り一帯で夜に活動するモノはいない。
何か祭りごとがある度にどんちゃん騒ぎで夜を明かす人間界の連中とは対を為すように、亜人らの住む世界は静寂に包まれている。まぁ元よりこのマナの枯渇した土地には騒ぐほどの知性を持つ亜人など存在せぬがの。
だからであろう。
「…………む」
――――何かがいる。
城に降り立った瞬間、妙な気配があることに気づいた。
はぐれ亜人か魔物が外気の寒さを凌ぐために入った……わけではないだろう。
魔力探知を使うまでもなくわかる。
強い。それも相当、明らかに人外の強さを持つ輩であるのは確定的だ。
クロム……ではない。あ奴も今や只人の範疇から逸脱しているが、今不遜にも我が城に居座っている奴の纏う空気はクロムとは比べられんほど禍々しい。まだ直接対峙すらしておらぬ今ですら、我にこれほどの圧を与える者は世界広しと言えど、そう多くはいまい。
さて、どのような奴が何の目的で来たのやら。
城の中に入った我は一歩一歩たしかな足取りで歩を進める。
焦りも怯えもない。ここは我の住まう城であり、この周辺は我が支配しているのだ。つまらぬ感情など持つ意味がない。
向かう部屋は勿論決まっている。
部屋と廊下を隔てる巨大な扉の前で1度立ち止まる。
「数百年生きてきたが、こちらの立場になってみるのは初めてだの」
言って我はかつて数々の勇者や冒険者がそうしてきたように両手で扉を押し開いて、敵の将が待ち構える玉座の間へと足を踏み入れた。
「やっ、思ったより早いご帰還だね。リヴィエラ」
来客を迎えると言うように、或いは進行を阻むように叩きつけられる向かい風。狭い道中に打って変わって広々とした空間は言外にここが決戦の地であり、もしかすれば己の最後の場所となりうる可能性を突き付けてくる。
吹き抜ける風と共に飛んできた声には聞き覚えがあった。
「元気そうでなによりだよ」
「誰かと思えば。久しいのぉ、ライゼン」
玉座の間にいたのは男……否。男児と見紛うほど小さな体躯の亜人。
我と同じく魔王の1人だ。
手入れなどしていないと思しき赤い髪は規則性なく跳ね、肌は血が通っていないと言われても納得するほど青白い。我の玉座に太々しくも腰掛けパタパタと踵で傷をつける様は視界に入るだけで腹立たしい。
「あれっ? サプライズでやって来たのにあんまり驚かないね」
「戯け。いずれ貴様が接触してくるのはわかっていた」
数年前、この近くにある人間の集落が1つが亜人の軍の襲撃を受けた。
我の介入で軍は殲滅され首謀者はわからず終いで幕を閉じたが、リザードマンと雷人族の混合軍であったことから突発性の侵攻ではなく計画的であったことは明らか。
あの時はリザードマンが表立っていたが、雷人族の魔王であるこ奴が裏で引いていたであろうことは容易に知れた。
魔王間にも面倒なことに勢力関係というものがある。
敵対する者、同盟を組む者とそれぞれだが、我とライゼンは少なくとも良好な関係とは言えん。
どのような魂胆知らぬがライゼンは度々我の支配地に侵攻を試みているのだ。
「んー……それもそっか。そうじゃないと俺がこうも落とし損ねないもんな」
「落とし損ねるだと。馬鹿を言え。貴様が我に勝ったことなどこの数百年ただの1度もなかったであろう」
「けどリヴィエラも俺に勝ったことはないだろ?」
腹立たしい所を突かれ睨む我を無視してなおもバタつかせる足を止めることなくライゼンは会話を続ける。
「俺たちいったい今まで何回戦ったんだろうね。俺がお前を殺すために男百何千って兵を送ったのに、お前はまるでゴミでも掃除するみたいに全部返り討ちにしてさ。逆に俺の城に特大の魔法放ちやがって……」
「貴様はそんなくだらないことを言うために、わざわざやって来たのか?」
「まっさかー」
「なら早く言え。それとまず我の玉座に座るでない――」
言葉を発するのと同時に瞬時に生成した魔法の火球を放った。
掌から生まれた業火はたちまちヒト1人を容易く飲み込める規模に膨張しライゼンへと迫る。
着弾。
爆発を起点に轟音と猛烈な熱波が肌を撫でる。
黒煙が晴れたそこにはライゼンの姿は跡形も消え――。
「ちょっとちょっと。言えとか言う癖に攻撃してくるとかマジ酷くね」
去ることはなかった。
目で追わずともライゼンが背後に移動し攻撃を避けたことがわかった。
手加減などしたつもりはない。当然殺す気であった。
思わず舌打ちが零す。
「考えてみれば貴様の言葉に耳を貸す必要などなかったと思ってたな」
「だからって俺とお前が正面から押っ始めたらどっちもただじゃ済まねぇだろ?」
魔王の強さは主に才能と生きた年数の長さに準ずる。
純潔魔族にして千年近く生きる我に対し、ライゼンは雷人族の起源に最も近く雷人族唯一の魔王。たかが数百年程度の歴史しかなく元は人間とは言え、魔王への覚醒から唯の1度もその座を降りない実力は認め難いが我と拮抗している。
我の攻撃をまるで気に止めていないと言わんばかりの声色でライゼン言った。
「今日はいつもみたいに喧嘩を吹っ掛けに来たわけじゃねぇんだ。」
「貴様が直接我の前に現れた時点で、宣戦布告であることには変わりないであろう」
「いや、それは変わりねぇけど……」
ならば話は早い。今ここでライゼンを滅する。
答えは出ていた。
今ここにいるのは我とライゼンのみ。下手に小賢しい手を使われてしまえば拮抗しているパワーバランスが傾きかねん。
逆にここは我の城。眷属も城への細工もないが勝手知ったる場所で戦えるだけで十分優位に立てるだろう。
まさに散々ちょっかいをかけて来たライゼンを屠る好機。
「そうであろう。そして我がのこのこ1人やって来た貴様を逃すはずがない」
魔力を全身に巡らせ身体能力を強化する。
濃縮した魔力を丹念にかつ繊細に巡らせ加速させる。
ライゼンはまだ余裕の笑みを浮かべ我の反応を待っていた。
心の底から愚か者だと思った。何故自分がこの程度の童に数百年もいがみ合っていたのか呆れるほどに。
脆弱であろうと常に死と隣合わせの戦いに身を置き、我に立ち向かってきた勇者らとの死闘の方が何倍も心が疼くものであろう。
準備は整っていた。
交わす言葉もない。
最後に……と、ライゼンの眼を正面から一瞥し攻勢に出る。
我が地を蹴りライゼンへと迫った拍子にボンッと爆発めいた音が発生した。
幾らライゼンでもいきなりこの攻撃に反応することは不可能。1秒後には奴の頭と身体は我の手刀によって切り離される。
「――――勇者」
「っ……!」
刹那、その一言が我の身体に静止を掛けた。
ライゼンは嗤う。先ほどまでとはまるで異なる嘲りを込めた笑み。
首元にちらつく手刀を意に介すことなく飄々とした態度を崩さない。
「今日は勇者について話をしに来たんだ」
勇者……その言葉が無論クロムを指しているのはわかっている。
「俺はまだ直接見たことはねぇが、今世の勇者はまだ子どもなんだろ」
「それがどうした?」
「『どうした』だって? センパイ魔王のお前ならこれだけでわかって当然じゃないのか。今のうちに殺しちまおうぜ」
「ふむ……早いうちに処理してしまおうという魂胆か」
「なんだよリヴィエラ。納得いってねぇ顔だな」
「貴様がそう見えるのであれば、余程そうなのであろう」
実際我自身ライゼンの言葉に対して不満を持っているのを自覚している。
それはクロムを殺すということについての躊躇いか。それとも長年敵対してきた者の口車に乗ることを拒んでいるためか。
「勇者はまだ幼い。ならば貴様がわざわざ動く必要もなかろう。それとも急ぐ理由があるのか?」
「そりゃな。……つかそれはお前が1番知ってるだろ」
確信を持って口調でライゼンがこちらに顔を寄せてくる。
真紅の前髪の間から覗くギラついた視線が我を射抜く。
「幼いうちから魔王の1人である
それはきっと正論なのだろう。
「俺だって雷人族の
独りこの城で勇者を待つ我と、種族全体の命を背負うライゼンとの決定的違いなのかもしれない。
魔王とは唯我独尊である。
自らの望みのため……否。望みなどという希薄なものではない。自身の欲のためならば如何に両手が血に染まる非道だろうと、亜人らしからぬ献身的行いであろうと実行する存在だ。
「
そこまでの情報を掴まれているのかという驚きと、我とクロムの
「だからリヴィエラ、俺と組め。この際だ数年前に俺が勇者に嗾けた兵を、お前がうっかり皆殺しにしちまったのは水に流してやるからよ」
「それは貴様が我の支配域に兵を放った当然の報いであろうが」
目的がどうあれライゼンが我の支配域に侵攻したのは事実である。
むしろ……。
「まっ、それはそれとして……。お前が1人で勇者を殺せるってんなら別に構わねぇよ。俺としても目の上のたんこぶが勝手に消えてくれるってんなら、それに越したことはねぇ」
「……」
「だから5日後だ」
「5日?」
「ああ、どーせ毎日懲りずに勇者は来るんだろ? なら明日から4日間でお前が勇者を殺すならそれで良い。だがそれが無理だったなら5日目は俺がお前の助っ人に入ってやるよ」
あくまで自らは幼き勇者1人始末できない不甲斐なき魔王に手を貸してやる立場である、とライゼンは言う。
そんな下らぬことに執着しているとは、やはり若造か。
ライゼンの申し出に言葉を返さず次の出方を窺う。ここで気に喰わぬと一蹴すれば戦闘は避けられんからの。
だが、さらに我を挑発するような文句を並べるかと思いきや、予想外にもライゼンはそこで踵を返した。
他に何も言うつもりはないらしい。
遠ざかってゆく背に一言投げかけてみる。
「我がこの申し出を蹴るとは思わんのか?」
ピタリと歩が止まった。首だけを回したライゼンの顔にはこの場に現れて以来最も狂気に満ちた嗤いがあった。
「そん時はまぁ……そん時だ」
落雷の如く刹那の間にその場から消えたライゼンのいた場所を、我はしばらくの間見つめていた。
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