偶にはこちらから――



「――――――――暇じゃ」


 誰に言うまでもなくボソリと呟いた愚痴が玉座の間一帯に反響する。

 ここ数日、クロムの顔を見ていない。

 初めて対峙した日から1日も空けずに鍛錬……もとい我を討つべくこの城に訪れていた、あのクロムがだ。

 そう軽い気持ちで我が城に足を踏み入れていること自体がそもそもおかしな話であるが、急に来なくなったらなったで落ち着かぬ。

 気を紛らわすためにグラスに並々注がれた梔子色の酒を一気に干すが、どうも落ち着かぬ。


「病にでもかかったか……いや、ここに来るたびに我が治癒魔法をかけているのだ。あり得ん」


 あと考えられるとすれば、大怪我をしたという可能性くらいだが。

 魔物や他種族の者らの仕業であるなら我が感知できぬはずがない。数日の記憶を遡ってみるも強力な魔力を持った者はいなかった。

 ならば自然現象や谷にでも落ちたのか。それも中々に考えにくい。

 

「クロムの奴め……これほど前に我の思考領域を占めおって……」


 今度やって来たら説教してやらねばなるまい。

 そう、奴が何の問題もなくのこのこと……


「そうじゃ。……うん。そうじゃな」


 刹那、我に電流の如き閃きが舞い降りた。

 普段というか魔王は待ち構えるのがセオリーと思い、この発想はなかった。

 たしかクロムの出身地はここから南に行った村じゃったの。

 うむ、偶に我自ら赴いてやるのも面白い。


「待っておれクロム」

  





 思い立ったが何とやら。

 さっそく我は玉座が腰を上げるとカツカツと床踏み鳴らし、屋上に出る。

 この城一帯は空気や大地、川に漂うマナが乏しい。それ故に大地は干上がり割れ、川は淀み、空には常に暗雲が敷かれている。人間が住まうにはこれほど劣悪な環境はそうそうあるまい。

 普段と、いや。数百年一切変わらぬ色をしている空を一度睨みつけた我は、背中の翼を大きく広げ、一気に羽ばたかせた。

 空気を切り裂く音が耳朶を撃つ。

 顔に当たる強烈な向かい風の勢いに目が覚める。

 干上がった鉛色の大地があっという間に変わり始めた。

 雑草1本生えなかった大地に僅かながら草木が見え始め、遠くの空は徐々に青色の物へと変化してゆく。

 城から文字通り飛び出して数分、ついにそれは見えた。

 果てしなく続くと思われた荒野と人間界の境界。

 何の目印もない場所から荒れ果てた大地が急に緑で生い茂り、森を形成している。

 まるで超常的な力を有する何者かの手によって無理矢理両断されたかのような、不自然極まりない境目。

 

「ここからはスピード落とさなくてはの」


 魔族や他種族と異なり、人間界は必ずしも強者が頂点という訳ではない。

 事細かに定められた法を敷くことで安寧を得ている。こと用心深さには我も舌を巻くほどで、いつどこで何者かが監視しているとも限らん。

 突然変異で生まれた魔物1匹ですらギャーギャーと騒ぎ立てる国もあるというのに、魔王が突如王都に現れたとなると人間どもは阿鼻叫喚の嵐になるであろう。

 賑やかなのは構わんが、ただ喚きたてるだけの騒がしいのは好かん。

 それに今回はあくまでクロムの様子を見に行くためである。無駄に事を荒げるようなことはせぬ。

 森の中腹辺りで大地に降り立つ。

 すると我の身体がこの森……人間界に満ちるマナに反応した。一言に表せられるような感覚ではないが、あえて言うならば高揚感が近しいだろう。

 

「これほどマナが満ちているならば、侵略を企てる他種族どもの心も分からんでもないの」

 

 そう一人ごちて歩み出す。

 この森にも魔物と呼べるほどの生物はおらず、精々人間の家畜が放し飼いにされている程度。マナの枯渇した荒野が森の先にあるので家畜が遠方に行くこともない。

 しばらく歩いて森を抜けると、直ぐに村が見えてきた。

 アレがクロムの育った村だという。

 ふむ……村という割に存外大きくしっかりとしたものだの。

 まだ遠目にしか見えんが、外周は石レンガや木でしっかりと柵で囲われ、出入り門らしき場所には見張り台まで設けられている。

 それに魔力感知で村の中を探ってみると中々に村人もいるようだ。だがクロムの魔力は感じられんかった。

 まぁその辺は村の中で探れば良かろう。

 まずは――。


「さすがにこの格好は目立つかの」


 今一度自分の衣服に目を落としてみる。

 胸が邪魔だの。足元が見えぬ。

 などと冗談はさておき……。

 100年ほど前に、人間界には生息せぬ幻獣の皮を使い仕立てさせた漆黒のドレス。クロム曰く目のやり場に困るということは、我を魔王と認識せずとも民どもの目を惹くかもしれん。翼や肌の色はどうとなるにしても、服は難しい。

 幻惑魔法を使うかとも思案してみたがおそらく上手くいかぬだろう。

 幻惑魔法とは自身の姿を変えるのでなく、相手に干渉して認識を狂わせる催眠である。1人2人に幻惑魔法を掛けたところで正しい認識を持つ者に諭されれば容易く解ける上、幻惑魔法を意識するだけで2度目の効力は期待できん。

 村人全員に掛けられんこともないが、行商など不確定要素の多い今は避けるべきだ。

 だからといって森から服を調達するのも不可能なので村で確保するしかない。


「とりあえず動いてみてから考えればよいの」


 翼は畳めるし、肌も混血だと言い張ればなんとかなるはずだ。

 我は堂々と出入り門へと向かうことにした。

 人間界の最果てに位置するからなのか、単に行商に力を入れていないのか人通りは激しくない。

 それでもかなりの規模の村であるということは村の中のみで暮らしに必要な物が賄えている証拠だろう。

 

「ん?」


 1人歩いてくる我に出入り門の番を務める衛士と思しき男が気付いた。もう1人いる衛士に声を掛け、我の到着を待ち構える。


「止まれ。あなたは何用でこの村に?」

「ただ観光に訪れた女子おなごに詰問とは怖いのぉ」

「そ、そうだぜ……。こんな美しいフフ……女性にあたりがきつ過ぎるって」


 得物の鉄槍を構え警戒する大柄の男と、温厚そうなヒョロガリの男がそれぞれ言った。大柄の男は騒がれると面倒事になりかねんがヒョロガリの方は馬鹿っぽい。我の身体を舐るように向けてくる視線が気色悪いがの。

 

「馬鹿野郎が! こんな所に馬も使わず歩いてくる女が普通なわけあるか!」

「でもよー」


 まったもって大柄な奴の言う通りじゃ。

 だからこそ疑いが大きくなる前に先手を打つ。


「まぁまぁ我が怪しいかどうか、この眼をみればわかるじゃろ」

「眼だぁ? んなもんで善人悪人見分けられたら俺たち見張りはいらねぇよ」

「そう言わずに……の?」

 

 グイッと距離を詰め強制的に我の眼を大柄の男の視界に入れる。

 一瞬怖気づいた男が我の眼に焦点が合ったのを見計らい、幻惑魔法を発動させる。

 幻惑魔法は発動方法が多様なことから特殊なものとして扱われている。

 端的に言えば自身の魔力で相手の認識を狂わせられれば、それでよい。

 ――例えどのような手段であっても。

 一般的なものは空気中に自身の魔力で霧を張るようにして敵の体内を侵すのだが、

眼や臭い、音、かなり特殊なものとして打撃を加えることで直接相手に自身の魔力を流すものものも存在する。

 

「我はほんの僅かも怪しくない、ただの観光にきた女子……じゃろ?」

「そう……だな」

「ではこの村の滞在を認めてもらおうか」

「わかった。……この許可証を首に……かけるように」


 幻惑魔法は正しい認識を持つ者がいると効力を失う。こと衣服など民やこの村に行商にやってくる者全員が一般常識としての認知していることなどは特に。

 ならばその共通認識というものを逆手にとってやれば良い。

 門にて正式に衛士が入村の許可を出した者であれば、無害な来訪者であると。

 

「時間を取らせてすまなんだ。勤めに励んでくれ」

「はっ! あなたも存分に観光をお楽しみください」


 大柄の男同様にヒョロガリにも幻惑魔法をかけ、ようやく村に入ることができた。

 つい気になってヒョロガリに我の印象を問うてみたのだが……いやぁ、我ともあろうものがうっかり殺そうとしかけての。何というか、もう気色悪かった。


「さて仕切り直しにクロムは探すかの」


 既に服は着替えている。

 あの衛士2人に服や布織物を手掛ける店を問うて良かったの。金はないが、あとで服は返してやってもよい。我の魔力を帯びて多少の呪いが付与されているかもしれんが。

 閑話休題。

 とにかくクロムの居場所を知っていそうな者を探さなくてはならぬのだが、目星は1つだけ。

 過去のクロムを僅かながらに知る者がいる。かつ、勇者と浅からぬ関係のある場所。


「教会はどっちじゃろな」

          


 

 

 

 

 

 


 

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