第34話
「なんとなく、それを聞くともっと美味しく感じる気がしますね」
「知るということは、より深く理解することであるからな」
小さく拍手する美名美の他、カレーを頬張りつつ楽しげに話を聴いていた面々を見回し、
その隙に、
「皆の衆、もうカレー全部片してしまってもいいかね?」
「うん」
「はい」
「同じく」
「美姫ちゃんもー」
返信で真梓が素早くこの後に対応を考える相談をする事を提案し、他の2人が同意の返答をしたところで、
「また機会があればご馳走するぞ美名美くん」
「機会というか、毎日でも食べたいぐらいです」
残った米飯にルーを全部かけたものを持って由実が戻ってきた。
「はは。毎日は流石に飽きるだろうよ。みそ汁ならともかく」
「それってなんだか、昔の愛の告白みたいなフレーズじゃあないか」
「なっ、何を言うんだねハカセ殿っ」
「何を焦ってんのよ」
口から無意識に出た言葉を雅に拾われ、その意味に気が付いた由実は、珍しく顔を赤くして目を泳がせつつやや強めに彼女へ言った。
「えっと……?」
「いやあ他意は無いのだ。まったく、ハカセ殿は突拍子も無いことを言うなあ。ははっ」
「そうですか」
首を傾げて自身を見てくる
その横で、雅は口元を手で隠して、自分がそんな事を言ってしまった事に自分で目を丸くしていた。
「はあ、驚いたなぁッ。――ブホッ!?」
「うわっ。大丈夫です?」
「わ、私は問題ないが……」
動揺しまくっている由実は、カレーをかき込んで食べたせいで米粒が気管に入ってしまい、むせて米をドバッと噴射し、その一部が美名美の顔へ飛散してしまった。
「いやまあ、顔洗ってくれば良いんで」
「そうかね? もし汚れていたらクリーニング代は出すぞ」
「着いてないから要らないですよ」
じゃあ洗ってきますね、と、美名美は大わらわでポケットから財布を引っ張り出す由実を手で制し、ブランケットを置いてトイレへ向かった。
「――で貴殿ら、私の目を盗んで何を相談しているのだね」
財布をしまいつつ美名美を見送った由実は、辺りを見渡した後に、やや声を潜めて残った3人へそう問いかける。
「あ、気付いてたっすか」
「当たり前だろう。貴殿らとは付き合いが長いからな」
「愉快な話じゃないわよ」
「大方、私の生物学上の母が、またなにか動画か書籍か、あるいは講演会かで新しい思想を〝学習〟したのだろう」
「相変わらずの
「7年も同じ事をやられたら流石に予想もつく。で、今度は何に〝男への
「キャンプだそうで」
「はあ。相変わらずのセンスであるな……」
「避難手伝おうか?」
「大した物は置いていないが、まあ頼まれてくれるか。皆」
面倒かける、と頭を下げる由実に、3人は由実が悪い訳では無い、と一斉にフォローを入れつつその願いを了承する。
「そーれにしても、判断基準なんなんすかねえ」
「インフルエンサーか何かがそう言っているんだろうさ。迷惑な話だ」
諦めきった冷たい目と声でそういう由実は、そう言ってゆっくりかぶりを振った。
「戻りました」
「ぬ。服が
「自滅しただけです。お財布出すのやめてくださいってば」
その表情は美名美が戻ってくると一転し、彼女の制服の腹部辺りが少々濡れている様子を見て、わたわたと財布から千円札を渡そうとして苦笑いされていた。
「由実先輩のカレー作り方とか教えて貰えたりします?」
「構わないぞ。私はこれで商売しようなどとは思っていないのだから」
「ありがとうございます」
「ではまず――」
美名美は携帯のメモ帳を起動して、由実がどういう理由があるのかを交えて伝えてくるレシピをメモしていく。
「――このくらいであるな。後は美名美くんのセンスが問われるが、まあ君なら問題ないだろうさ」
「そうでしょうかね……」
「なあに、余計な事さえしなければカレーはほぼマズくはならんものさ」
「そうそう。コンソメと間違えて三温糖を入れたってね!」
「ハカセ殿、さすがに味がなさ過ぎて食えた物ではなかったぞ」
「あれ?」
「どうやらバカ舌の守備範囲も広がるようだな」
「ひどいなあ」
「でも甘いのもあるっすよね」
「うむ。実際甘いがコクがあり、それでいて辛くて美味いカレーも存在するしな」
「なるほど。ボクも惜しいところまで行っていたのかも」
「行ってないぞ」
「行ってないわね」
「ほぼ水煮は惜しくないっす」
「どうやったら間違えるんですか……?」
「うーん。開発なら部分的成功は失敗じゃあないんだけれどね」
「開発ならば、な」
直球4連打を食らい、雅はその長身を小さく丸め、哀しげな笑みを浮かべてしょんぼりしていた。
ややあって。
「では、美名美くん。また明日」
「はい」
雅の発明品は使わずに、5人が人力で協力して片づけた後、解散して各々住み処へと帰っていく。
「さてセンセイ。お家、そろそろ散らかっているんじゃあないかい?」
由実と最後まで残った雅は、やる気に満ちている笑みを浮かべて彼女へそう訊ねる。
「流石、良く分かったなハカセ。ちょうど足の踏み場が今朝消滅したところだ」
「潮の満ち引きみたいに一定周期だから簡単さ。ソフトで計算したんだ」
「まーた使いどころが微妙なものを……」
ドヤ顔で雅に使い道が1つしか無いものを自慢され、由実はちょっと噴きだしてから呆れた目線を送る。
では掃除を頼もうか、と由実が言って、とっぷり日が暮れた学園前の坂を2人前後に並んで下っていく。
「んん?」
「なん――」
カーブのそれを下りきったところで、由実にはゴミ集積所の看板でまだ見えない、その向こう側にアイドリング中の見覚えのある車を発見し、
「由実。バックバック」
ゾッとした顔をする雅は、前を歩く由実の肩をむんず、とつかんでバックさせた。
「なんだね? いきなり」
「――君の母親がきてる」
「なっ……」
その予想外の来訪者の出現に、由実も怯えた表情となり来た道を慌てて引き返す。
「じ、事前に連絡もなしに……」
「ひとまず諦めるまでボクの部屋だ」
「……そうだな」
大急ぎで坂を駆け上り、第1部室棟裏を通って女子寮の雅の部屋へと2人はやってきた。
そこのベランダからは望遠鏡を使えば由実の住むアパートが丁度見え、路肩に停車している、外車のセダンの様子を覗うことができる。
30分程経過すると、諦めたのかその車両が発進して、由実達からみて右方向にある幹線道路へ走り去った。
「うん、居なくなったね」
「よし、今のうちだな」
ブレーキランプが見えなくなってからしばらく待ち、由実は雅と共に折りたたみプラコンテナを積んだ台車を手にアパートへと再び向かった。
手当たり次第、部屋に山のようにあるペンギングッズを詰め、雅の部屋へ全て避難させた。
「後付け台車モーターが役にたってよかった」
「……そうだな」
「いやあ。ボクでもたまには最初から成功するものだってあるよ」
「……」
「……」
等身大アデリーペンギン縫いぐるみを抱き寄せる由実は、いつもの様にいじりを入れても来ず、雅が見えないものと会話しているかの様になってしまっていた。
「由実!?」
その直後、由実が過呼吸発作を起こして胸を押え、ヒューヒューとまるで窒息しそうな様子で激しい呼吸をし始めた。
「たの――」
「分かった。君のお母様には電話しない」
だくだくと冷や汗を流しながら首を左右に振る由実に、首腕を強く掴まれた雅は、言葉にならない願いを察して真っ直ぐ目を見て頷いた。
「落ち着くんだ。ゆっくり呼吸を意識しよう」
「……ッ」
なんとか落ち着かせようとするが上手く行かず、けいれんまで始まってしまったので、雅はタクシーを呼んでから、由実の父親へ連絡を入れた。
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