第33話
「お、そろそろ追試が終わる頃合いではないか」
「だねえ」
チラリと校舎の上に付いている時計を見上げた
「それでは、私は例の物を持ってくるからハカセは火の番を頼む」
「はい鍵」
「おっとっと」
振り返りながら由実がたき火を指さしてそう
にこやかに手を振って見送った雅の携帯が短いバイブ音を鳴らし、誰だろう、とスラックスのポケットから携帯を取りだした。
確認するとメッセージアプリの通知が来ていて、その相手は彼女の母親だった。
「また〝アップデート〟、か……」
メッセージを読んだ雅は、かぶりを振りつつため息交じりに言って、気が重そうにそうつぶやいたところで、
「おいっすー。
眉の下がり具合から、やや疲れていることが分かる顔の美姫が真っ先に現われた。
「やあ美姫嬢。感触はどうだい?」
「まあ、お山がヒットでよゆっすねー。ぶいぶい」
「それは良かったねえ。お疲れ様」
ピースにした両手を頭上に挙げて、自信ありげに不敵な笑みを浮かべる、ここ数日で全教科をこなした美姫へ、雅は頷きながら労う。
「? みやびー、なんかお腹でも痛いんすかー?」
てくてくと近づいてきた美姫は、オイルランタンに照らされている雅の、どうにも冴えない顔を見て、何かしら良くない事が起こった事を察して首を傾げつつ訊く。
「お腹は痛くないけど、頭が痛くなる案件があってね……」
「あー……」
雅は件のメッセージを美姫に見せながらそう言うと、彼女は腕組みをして眉間にしわをよせつつトーンが下がっていく唸り声をだした。
「まーたっすか。確かに頭痛案件ー」
「だろう?」
美姫も雅も心底うんざりといった様子で、深々とため息をついた。
「ユっさんをなんかこう、自分が進んだ考えを持ってる、ってするためのアクセサリーかなんかだと思ってるっすよね。あの人」
「あまり悪く言うものじゃあないよー」
そうは言うものの、美姫が珍しく吐いた毒に同意しているのが、雅の表情からは隠せていなかった。
「なんかこう、また
「時間の問題だろうねえ」
よいしょ、と自分のチェアに座って、用意されていたブランケットを膝にかけた美姫も、そう言って残りのコーヒーを飲んだ雅も、そう言ってから同時にため息を吐いた。
「後で作戦会議っすね」
「ああ。――ところで、美名美嬢と真梓氏はどんな様子だったか分かるかい?」
「ほいほい。みなみんは普通な感じでやってて、まーちゃんはちらっと見たっすけど死にそうな顔してたっすわ」
「今回の数Ⅱ難しかったからねえ」
「みやびーが言うとまーちゃんには嫌みに聞こえそうすねー」
「あはは。気をつけなきゃね」
ちなみに、雅は数学Ⅱの点数は学年堂々1位の97点をたたき出していた。
「発明ってやっぱ数字とか使うっすもん、そりゃあ完璧にもなるっすね」
「いやあ、完璧というほどでもないさ。出来る事が多いだけでね」
「余計に天才っぽいぽい」
美姫に思い切り褒めちぎられて、表情がちょっと緩んでいる雅は後頭部をかいて気恥ずかしそうにする。
「で、ずっと気になってるっすけど、このたき火台に付いてる機械って何なんすか?」
「これかい? これはたき火の熱を電力に変換する装置さ。これでご飯を保温してるんだ」
美姫が指さして訊いた、箱形のたき火台の横についている箱型の黄色い装置からは、雅の後ろのアルミテーブルに置かれた小型炊飯ジャーへ配線が延びていた。
「……。爆発しないっすよね?」
「市販品だからしないよー」
「なんだー。警戒して損したっすわ」
「ええ……」
それを訊いた美姫から腰を浮かせつつ真顔で訊ねられ、美姫にも発明品が爆発する認識されていることに、雅は困り眉になってちょっとションボリする。
「む、まだ揃ってはいないか……」
ストン、と美姫が座ったところで、由実が魔法瓶式のスープジャーを2つと、カトラリーと紙皿の入ったプラカゴを乗せた台車を押してやって来た。
「おわー、ご飯ってカレーのことだったんすかー。美姫ちゃん辛い方がいいっす」
「やあ美姫くん。そういうと思って甘口と辛口を用意しておいたぞ」
「おっほー、流石はユっさん」
「ハカセ殿が子ども舌でなければ辛口だけでよいのだが」
「あは。手間をかけさせて申し訳ないね」
「なに実質は大して変わらんさ。ベースは甘口でそれを辛くしただけであるからな」
「ほーほー」
「ふふふ、実は私が思案した配合で作っていてな」
「ブレンドまで出来るとかさっすがーっすね」
「野生のスパイスマスターと呼びたまえ」
「やせすぱ!」
「なんだね。その新手の健康食品のような名前は」
台車をテーブルの横まで押してきた由実は、よいしょ、とスープジャーを持ち上げてテーブルにそれぞれを乗せた。
「ではご
「いやあ、もう香りからして市販品超えてるじゃないか」
「マスターは
立ち上がって寄ってきた2人へ、ランタンを点灯してから蓋を開けた由実は、自身が
「なんか良い匂いしますね……!」
「ご
すると、タイミングを見計らったかのように、美名美と真梓の2人が死にそうな顔をしてやって来た。
「やあやあやあ! 美名美くん! 辛口と甘口を用意しておいたがどっちを食べるかね?」
「じゃあ甘口で」
「そうかそうか」
美名美の声を聴いた途端、由実は視線を上げて彼女を視認すると一段と明るい声になり、手でスープジャーを指し示して訊ねる。
「私にはなんで言わないのよ」
「貴殿は甘口にハチミツだろう
「まあそうだけど……。ってなんでフルネームなのよ」
「他意は無い」
やたら上機嫌でそういう由実は、各々へ席に座るように言い、やや深めの紙カレー皿の梱包を解いて5つ並べていく。
「まてまて。ハカセ殿は手伝え」
「なんでさー」
「貴殿は疲れていないではないか。当然だろうよ」
「ボクももてなしてくれよー……」
「もうコーヒーを飲ませたではないか。私がルーをかけるから飯を盛るのだ」
「分かった……。どのくらい欲しいかい?」
「美姫ちゃんは良い感じにお願いするかなー」
「もうすこし分かりやすく言ってあげなさいよ。ていうか、私自分でやるわ」
「あ、じゃあ私も」
「そういうことなら美姫ちゃんもー」
「じゃあボクは自分の分だけでいいかい?」
「皆がそういうならそうしよう。では並んでくれたまえ」
各々が必要な程だけ盛られた米飯へ、由実が流れ作業でそれぞれ指定のルーをかけていき、最後は自分で自分の分をよそい、ついでに
「カレーって発祥がインドって言いますけど、そういえば結構見た目って違いますよね」
「ほう。必要とあらばその情報は持ち合せているが、聞きたいかね?」
いただきます、と手を合わせ、まず一口食べてその仕上がりに頷いた由実は、まじまじとカレーを見つめてから1口食べた美名美の疑問にすかさず答えようとする。
「じゃあお願いします。――あ、カレーすっごく美味しいです」
「うむ良かろう。――我ながら最高の仕上がりと思っていたが、勘違いでなかったようで何よりだ」
では少々待ちたまえ、と言って、由実は自分のカレーをシャカシャカと食べ終え、すっかり冷めたコーヒーをグイッと飲んでから話し始める。
「カレーが元々インド料理であることは周知の事実であるが、これが直接日本に来たわけではないのだ。
1600年に英国が英国東インド会社を設立した事により、本国に高級インド料理として伝えられ、スパイスをひとまとめにしたカレー粉が発明されたり、とろみをつけられたり、というアレンジがなされて生まれたものが原型だ。
これが明治5年に出版された、『西洋料理指南』という書物に、現在と大きく違う形ではあるが、作り方が掲載された事が始まりとされているぞ。
ちなみにその前年に、どうも会津白虎隊の
「大きく違うっていうのは?」
「具に長ネギやカエルを用いよ、と書いてあったのだ。ちなみにこのカレーは
「なるほど」
「では話に戻るぞ。これを彼のクラーク博士が推奨したという逸話があるが、その当時は非常に値の張る料理でな。明治10年に〝銀座風月堂〟という店で出されていたものは、盛りそばが1銭の時代に8銭ほどだったとか」
「8倍じゃないですか」
「うむ。だがしかし、それでもその美味しさに魅せられて店は大繁盛だったとか。その後明治末期に入ると大衆食堂でライスカレー、カレーうどん、カレー
さらにその後、大正12年に国産カレー第1号となる〝ヒドリ印カレー粉〟が、試行錯誤の末に昭和5年に家庭向けのカレー粉が誕生し、ジャガイモ、タマネギ、ニンジンを入れる日本式カレーが成立したのだよ」
影も形も知られていない状態から、数十年ですっかり国民食になるのだから、食文化という物は面白い、と言って由実は話を締めた。
――――――――
参考文献
S&B食品株式会社『日本の食文化とスパイス カレー粉』
https://www.sbfoods.co.jp/sbsoken/jiten/world/washoku/curry.html
農林水産省『カレーはどこから来たの?』
https://www.maff.go.jp/j/agri_school/a_menu/curry/01.html
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