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第32話

「しかしながら――、真梓まあずくんはともかく、美名美みなみくんと美姫みきくんまで追試とはな」

「まあ学年末ちょっと全体的に難しかったからねえ。あ、美姫嬢は体調不良で休んだからその追試だって聞いたよ」

「ほう」


 由実ゆみみやびの2人は夕暮れ間近の空の下、第1部室棟の裏庭にて円錐えんすい形のたき火台で燃える薪を囲みつつ、追試で遅れる3人をのんびりと待っていた。


「センセイ、お湯沸いたようだね」

「む。そのようだな」


 由実の目の前にはアルミのローテーブルが置かれ、その上にステンレスの折りたたみドリッパーが乗ったアルミカップを含んで5つのそれが置かれていた。

 その横に置かれたクーラーボックス上には、つい先程豆を挽いた携帯ミルと豆が入った円筒形の缶が並んでいた。


「しかしまあ、貴殿の発明が完全に成功したのは初めてではないか?」


 由実は抽出中のドリッパーから立ち上る香りを嗅ぎながら、コーヒーを啜っている雅を半分茶化してそう言う。


 缶に入っている豆は、全自動コーヒー焙煎ばいせん機バージョン49で焙煎したもので、プロの焙煎技術を解析したデータで作った制御装置により、由実が大絶賛する仕上がりになっていた。


「豚骨砕き機とか全自動釣りエサ付け機とかはしてるじゃないかー……」

「成功例がニッチ過ぎるのだよハカセ」

「溝を埋めていけば、理論上はグランドキャニオンだって埋まるからね!」


 はっはっは、と高笑いする雅へ、気の遠くなる話だ、と由実は小さく肩をすくめる。


「ちなみにこれってどこの豆なんだい?」

「インドネシアだな」

「ブラジルとかエチオピア以外でもとれるんだね」

「コーヒーベルトと呼ばれる緯度帯ならばな」

「へえ」

「補足だが、これはマンデリンという種類でな、引き締まった酸味と野趣のある風味が特徴なのだよ」


 まあ某コーヒーショップの解説の受け売りだがね、と言いつつ、20秒蒸らしたドリッパーの豆にお湯を数回に分けて注ぐ。


「じゃあいただいてもいいかい?」

「人の物を飲もうと――ぬ。貴殿のカップかこれ」


 抽出し終えた豆とペーパーフィルターを取ってゴミ袋へ入れたところで、由実はおずおずと雅が伸ばした手を掴もうとして、彼女が取ろうとしたカップが雅の使っているものだと気付いて引っ込めた。


「さすがにボクはそこまで卑しくないよー」

「これは失礼」


 ジトッとした目で抗議の視線で見てくる雅に、由実は小さく苦笑いして謝った。


「じゃあいただきます――なるほど、なんだかインスタントとは違う風味がするねえ。どういう差があるんだろう」

「分析したいのなら少し譲るが」

「お言葉に甘えさせてもらうよ」

「ちなみにハカセ、これを人工的に完全再現したりなどはできるのかね」

「多分できるとは思うよ。分子構造とかを完璧に再現できるようなものが出来ればだけど」

「何年かかるやら」

「完成はすると思うのかい?」

「まあ貴殿ならな」

「はっはー、プレッシャーだねえ」

「自信が無いことは言わぬだろうよ。貴殿は」


 ヘラヘラと笑っているがその目は真剣な雅を見て、そう言って笑みを浮かべた由実の目にも同じものが宿っていた。


「液体だけじゃなく、いっそ3Dプリンターで食べ物を召喚したいところだねえ。インクみたいに組合わせてさ」

「それは画期的だな」

「これさえ出来れば、生きた粘土で出来た巨大ロケットが飛ぶ世界も、少し現実みが出てくるわけだ」

「……。ハカセ、どこぞのガス惑星で漁業でもする気かね?」


 雅が無駄に良い顔でいきなりボケに突入すると、由実はいつもと違ってワンテンポ遅れてツッコミを入れた。


「お疲れかい?」

「そんな事はないのだがな」


 前のめりになって心配そうに覗き込んでくる雅へ向けて、ヤカンを持っていない右手を由実は追っ払うように振ってそう返す。


「それならいいや」

「なんだね」

「別に」

「貴殿が人の疲れを心配するなど珍しいこともあるものだ」

「ボクそこまで無神経だと思われてたのかい……?」

「冗談だ」

「傷つくなあ」

「貴殿はそんなに繊細でもなかろう」

「バレたか」


 顔を覆って泣く真似をする雅だが、由実には完全に見切られていて、案の定手を外すとケロリとした顔でニヤニヤしていた。


 やれやれ、といった様子でかぶりを振った由実は、丁度抽出が終わったカップを手に取り、アツアツのそれに息をしつこく吹きかけて冷ましにかかる。


「熱い飲み物を冷ます発明品があるんだけど」

「いらん。どんな爆発をするか分かったものではないものを使えるか」


 そんなものより私はコイツを使うぞ、と由実が手に取ったのは着火用のブロワで、吹き出し口を液面へ向けて空気を噴射する。


「用途外使用じゃないかー」

「貴殿の発明品は用途内でもダメな時があるではないか」

「ぐうの音も出ないね」


 おどけた表情で雅は舌先を出しつつそう言った。


「時にハカセ、釣り堀のバイトは今年も募集しているのかね」

「うん。まあ営業は来週ぐらいになるけれどね。すぐ入り用なら貸すよ?」

「そこまで切羽詰まってはいないぞ。友人から金を借りるなど、自分がダメ人間になった様な気がするではないか」

「いやあ、別に普通じゃないかな?」


 そうは言うものの、雅はそれ以上は何も言わずに、少し冷めたコーヒーをズズっとすすった。


「営業は来週だけれど、設営は今週中だから頼んでみようかい?」

「そうか。まあ早いに超したことはないから頼む」


 携帯を取りだした雅が叔父に電話して確認をとると、水の入れ替えとか地味で面倒な作業でよければ、と二つ返事で快諾した。


「というわけで、日曜の7時集合で大丈夫かい?」

「うむ、支障ない」

「りょーかい」

「そうだ、直に礼を言わせて貰えるだろうか」

「ほい」


 雅から携帯を受け取った由実は、至極丁寧な調子で雅の叔父へお礼を伝えた。


「で、何を買うつもりなんだい?」

「ふふん、訊いてくれるか。これだ」


 携帯をポケットにしまった雅からの質問に、由実は口の端をニイっとつり上げつつ、2、3操作してから自分の携帯の画面を見せる。


「なになに。海氷ペンギンソファー?」

「良いだろう。コイツが結構な良い値段するものだから、貯金では足りぬもんでな」

「確かに15万は結構な買い物だ」


 そこに映っていたのは、強めにデフォルメが効いている、全高1メートル程度の海氷をかたどった布地の座面に、ペンギン型の背もたれ部分が付いているものだった。


「このペンギン部分がな、ふわふわのぬいぐるみ仕様になっていて、非常に触り心地が良くてな」

「へー。見に行ったのかい」

「こういう物は実際に座ってみないとわからないものだからな。ちなみにコイツは座面がスプリングコイル入りで、性能という点もしっかり抑えてあったぞ」

「なるほどなるほど」


 ぬはは、とどこまでも楽しそうにうっとりと語る由実を、雅は目を細めて暖かいまな差しで見守りつつ相づちを打つ。


「うむ、そろそろ良いか」


 セールスマンのごとくソファーについて語っていた由実は、口先を浸けてコーヒーの温度を確認すると、角砂糖を1つ入れて慎重に啜る。


「ふふん、我ながら良い仕上がりだ」

「センセイが楽しそうでボクも嬉しいよ」

「……」


 はたと自分を見る、雅のおばあちゃんじみた表情を見て、由実はブロワーの吹き出し口を彼女の顔に向けてスイッチを押した。


「うわあ」


 鼻っ柱に風が直撃して驚いた雅は、目を慌てて閉じて顔を引き、ひどいなあ、と依然にこやかなままぼやく。


「ふん」


 その暖かい眼差しを受けて、由実は少し居心地が悪そうに口をへの字に曲げ、鼻を鳴らした。

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