第31話

 さらにややあって。


 大分日が暮れ、ハウスの中がいくつかのLEDのランタンで照らされる中、


「よし。二十日大根の収穫をしていくぞ」


 3列の畝を作り終えた由実は、得意満面といった様子で額の汗を拭ってそう言った。


「苗は植えないんですか?」

「うむ、流石にとっぷり日が暮れてしまったからな。明日だ」

「それもそうですね」

「どうせでんすしー、ユッさんのご飯食べたいっすわわ」

「くれぐれも連絡を忘れずにな」

「あいあいっさー」


 超適当な調子で返事をした美姫は、自分の母親に電話をし、迎えに来て欲しい事とついでに真梓まあずも乗せて帰る様に頼んだ。


「これで良しですなマーちゃん」

「そうね」

「真梓先輩のお母さんへは良いんですか?」

「まあどうせ家隣だし、おばさんが言うからいいのよ」

「いつもの事だぜぜい。みなみん」

「あっ、そうなの」

「ほら、軍手の支給だ」


 美名美が真梓達と話している内に、農業用ゴム手袋をはめている由実が、袋に詰められた軍手の束から3組分出して3人へ配布した。


「あー、みやびんなんか違うのしてるっすねー!」

「これかい? 実験用のゴム手袋さ」

「ほーほー」


 受け取ってはめた3人の一方、雅は持参した青いニトリルゴム手袋をはめ、得意げにグーとパーを繰り返していた。


「サッと抜いて夕餉ゆうげとしよう。流石に私の空腹が限界だ」

「はい」

「そうだね」

「ええ」

「うっすうっす」


 異口同音にそう返した4人は、由実と共にプランターから手早く二十日大根を抜いてプラのカゴに放り込んでいく。


「さて、今日はハカセ氏の部屋に行こう。悪いが、そのまま泊めてくれないか?」

「はいよ」


 いっぱいに二十日大根が入ったカゴを抱えた由実と4人は、夜道は危ない、という判断で寮の雅の部屋へと向かった。


 ちなみに2年ほど前から全寮制ではなくなった都合上、入寮人数に余裕が出来たため雅も美名美も1人部屋となっている。


「ご飯は炊いて――無いわね」

「無洗米あるから炊いておいておくれよ」

「自分でやりなさいよ」

「面倒くさくてさ」

「特別にやってあげるわ」

「恩に着るよ」


 由実が小さめのシンクで二十日大根を洗い、真梓が炊飯器にセットしている中、美名美は物が大量にあるがキチンとしまわれている部屋を見回し、


「散らかってないんですね?」


 かなり意外そうな様子で雅の顔を見上げて言う。


「ああ」

「てっきりイメージ的に足の踏み場もないかと」

「心外だなあ。そうなってるのは部室の机の上だけさ」

「統制されたカオスという事だよ美名美くん」

「そうです? 爆発するじゃないですか」

「部屋ごと吹っ飛ばす爆発ではないからな。あくまで小爆発だ」

「そんなにしょっちゅうは爆発してないからー」


 誇張しないでおくれー、とは苦笑いで抗議するが4人とも全く賛同してくれず、雅はションボリと長身の背中を曲げて、部屋のエアコンとこたつをの電源を入れた。


「あと部屋が汚いのはユッさんの方ですな」

「そうそう。ボクがたまに覗きに行かないと、ベッドとキッチン以外はとんでもない事になってるからね」

「へえ。そっちも意外です」

「余計な事を言うんじゃない。美名美くんも額面通りに受け取らないように」

「6割ぐらいは額面通りよ。こいつ」

「だね」

「そっすね」

「ぐぬぬ……」


 正直なところ自覚はある由実は、悔しそうに口をへの字に曲げて洗った二十日大根のヘタを調理ばさみで切り取っていく。


 その頃には、炊飯のスイッチを入れた真梓が、入り口に対して縦に置かれている長方形のこたつの長辺側に足をいれていた。


「いい加減包丁ぐらい用意したまえよハカセ殿」

「果物ナイフはあるから」

「それは厳密には包丁と言わん。千切りも出来ないではないか」

「厳しいなあ。あ、サラダ用の刻みキャベツあるからそれ使っておくれよ」

「サラダぐらいは作りたまえ。混ぜるだけだろう?」

「はいはい」


 すっかりこたつで腰を落ち着かせていた雅は、やや渋々といった様子で立ち上がりのそのそとキッチンへと向かう。


 果物ナイフしかないとはいえ、由実はキャンプ料理に慣れている事もあり、30分程で二十日大根とスモークサーモンのマリネに、二十日大根と玉ネギのスープを作ってしまった。


 そして、雅が任されたサラダは、


「何をしたらこんなバジルまみれになるのかね……」

「いやあ、うっかり詰め替えるときに内蓋取ったの忘れててね」


 マヨネーズベースのソースの仕上げに少々かけるはずが、全体的にだいぶ緑色に染まってしまっていた。


「……いや、これも有りと言えば有りだな」

「えっ、本当に?」


 出す前に味見をしてみた由実は、それが案外マッチしていた事に目を丸くした。



                    *



 その翌日。晴れた夕方のハウスにて。


「ふむむ。これは良い苗っすな」

「ほう」

「あっ、語れる程は分かんないっす。おばーちゃんの見てただけなんで」

「そうかね……」


 しゃがみ込んでカゴに並べられた苗を見た美姫のコメントに、由実は話が分かると思って色めきだったがすぐにちょっと悲しげな表情になった。


「……さて、さっさと植えていくぞ」

「ほえーい」

「はい」


 気を取り直した由実の号令に対して、ジャージ姿で軍手をはめた美名美と美姫は、移植ごてと苗ポッドを手にしつつ返事をする。


 ちなみに、真梓まあずは急用が入ったため、雅は美術部から絵のモデルを頼まれたため、それぞれ欠席していた。


「雅先輩、意外と誰かの頼みって引き受けるんですね?」

「うむ。ハカセ殿はあれでいて人当たりは良いのだ。まあ、キャンプと実験以外には出不精で当たる人自体は少ないのだが」

「んで、結構人見知りっすよね。あれでいて」

「そうなの?」

「うん」

「背丈が飛び抜けて高いからな。中学入ってからだったか、連日運動部にしつこく勧誘されてトラウマになっているだとか」

「それで見かねたユッさんが追い返したところ、めっちゃかっこよだったんだよねぇ」

「へー」

「営業妨害はやめたまえ」


 適度な大きさの穴を掘り、ポットから引き抜いた苗を植えながら、由実の良い人エピソードを話そうとした美姫にそう照れ隠しに言って話を止めさせた。


「全く。私を過度に善人呼ばわりするのはやめてくれたまえよ」

「実際良い人なのになんでっすか?」

「……似合わないだろう。私に」

「そうは思いませんけどね」

「……まあ、持つ感想まで強要するつもりはないがね」


 目を丸くしてそう言った由実は、個人的に誇大広告は好かんのでな、と続けて2人からちょっと距離を置いた位置で苗を植え始めた。


「ぬ。お電話出てくるっす」

「うん。いってら」


 30分程経過したとき、美姫の携帯から木琴の着信音が流れ、相手を確認した彼女はそう言ってハウスから出て行った。


「時に美名美くん」

「はい」


 すぐに美姫が帰ってこない事を確認してから、面白くもない話かもしれんが、と前置きした由実は、


「君のご両親はどういった方々なのかね」


 少し声を潜めて真後ろで作業している美名美へと訊く。


「母はとにかく中立的な立場で物を考えなさい、という人で、父は他人にできるだけ優しくしてあげなさい、っていう感じですね。それ以外は基本的に放任です」


 由実の家庭環境をちらほらと伝え聞いている美名美は、それを悟られないように自然な具合を心がけつつ振り返らずに答えた。


「なるほど、良いご両親ではないか。面白くもないかも、などと言って悪かった」

「大丈夫ですよ。……まあ、訊かれたくない人もいますからね」

「まあ、そうだな」


 特に気には留めていない事を伝え、少しヒヤリとした感覚を覚えつつそう言った美名美へ、由実は羨ましげな声色でやや目を伏せながらそう返した。


「はーい。ただいま戻ったにゅーん」

「おかえりー」

「いえーいえい」


 うっすらとやや気まずい空気になりかけたが、美姫がちょうど陽気な調子でそう言って戻ってきたためうやむやになった。


「なんか嬉しいことでもあった?」

「ふっふーん。おかーさんからのテストのご褒美なにが良いかって電話なのじゃ」

「それは良かったねぇ。何にした感じ?」

「なんかこう、お高いチョコ」

「そんなざっくり」

「伝わってるのでヨシ!」

「良いの?」

「まーあ、事故っても喜んで食べるから」

「ああ、そういうこと」


 そんな調子でわいわい言いながら作業する様子を横目で見た由実は、


「……」


 少し遠くを見る様な目をして、かつて父と庭の家庭菜園をいじっていたときの事を思い起こしていた。

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