第30話

 ややあって。


「よし、このくらいで良いだろう。ハカセ殿、肥料撒き機借りるぞ」

「はいはい。操作は普通のヤツと一緒だからね」


 全体をしっかり耕し終えたところで、由実は一旦壁際に鍬を置いて肥料撒き機を手にすると、肥料袋の前まで移動して顆粒かりゅう状の白い肥料をそれに投入する。


 それを押して全体に肥料をザラザラと振りかけていき、それが終わると再び鍬で土と混ぜていく。


「時に美名美くん。君は肥料についてどれ程知っているかね?」


 混ぜながら同時に畝も作りつつ、由実は唐突に美名美へそう話を振った。


「腐葉土とか液体の栄養剤とか色々あるかな、位ですね」


 いつもの蘊蓄披露が始まる事を察し、美名美と雅はワクワクした様子で自然と口角をあげていた。


「一口に肥料と言ってもいくつも種類があってだね。大きく分けて有機質肥料と無機質肥料に分けられるのだ。

 前者は比較的即効性がある動物の糞や魚粉、やや遅い米ぬかや油かすなどが原料で、いずれも植物の根を通す分遅効性になっているので、最初に使って基肥とすると良いぞ。

 後者は人工的に作られる物で前者と違って速効性があるので、追肥に用いる事が推奨されているのだ。

 その中でも、窒素・リン酸・カリ・苦土・石灰といった無機成分のみを含み、状況に応じて1つ1つ使い分ける単肥や、2つ以上をまとめた複合肥料といった種類が存在するぞ。

 ちなみに先程挙げた成分は五大要素と呼ばれていて、その他にも鉄・マンガン・ホウ素などの成分も必要となってくるぞ

 一応、さらに違いが細かく分けられるのだが、ここでは割愛させてもらう」

「使い分けとかってどうやるんです?」

「うむ。それは生育状況を見て判断だ。私のような素人ではなかなか難しいが、そこは状況を頭にたたき込んでトライアンドエラーだな」

「なるほど」


 そうやって上機嫌に話している内に畝が1列出来上がり、3列の予定の内2列目に突入した。


「……?」


 いつもは最後に皮肉めいた言葉で締められる由実の長話が、質問に答えただけで終わってしまい、美名美は不思議そうに瞬きをした。


「あ――」


 その事について触れようとした美名美だったが、


「それにしても、結構高い畝作るんだね」

「うむ、水はけを良くしようという意図もあるが、人力の都合上固い地面にすぐ達してしまうからな」


 雅がその前に間へ入るように質問したため機会を失った。


 そんな事をする様な性格ではない、雅の行動を不思議に思ったが由実の表情がどこか寂しげな様子に美名美は気が付いた。


 単純に忘れてたとか、そういうのじゃないのかな……?


「ちょいと花摘みに行ってくるよ」

「いってらー」


 美名美がその表情の理由を考えていると、途中で鍬を置いた由実はそう言って入り口から見て右手前に置かれた、大きなペンキ缶製の椅子にある上着を取って出て行った。


「さっきの知識、多分センセイ氏のお父様から得たものだと思うから、センセイ氏は皮肉を言わなかったんだと思うよ」

「そうなんですか……」


 頭の中を覗き込んでいたかのように雅が話すので、美名美はギョッとしつつそう言った。


「あっ、もしかしてあの苗も?」

「うん。お父様が送ってくれた、ってウキウキしてたよ」

「なるほど……」

「言うまでもないとは思うけれど、一応、他言しないであげておくれよ?」

「はい」

「……センセイ氏のお母様には、特にマズいから」


 キョロキョロ、と周囲を確認しつつそう言った雅は、特に声を抑えて美名美へそう念押しした。


 ややあって。


「――そんなに食べる必要あるんですか。ラムネ」

「頭脳労働にはブドウ糖が必要なのさ。どうもボクは燃費が悪いらしくて」

「おや、随分と仲がよさそうじゃないかね」


 左腕に缶を3つ抱えた由実が、ハウスの戸を開けてひょっこりと帰ってきた。


「お帰りーセンセイ氏ー」

「あれ、そのココアどうしたんです?」

「ちょっとした差し入れの様なものだ。私のレベリングぐらい地味な作業に付き合わせているからな」


 遠慮無く受け取りたまえ、と言いつつ、缶コーヒーブランドのココアを2人に渡し、由実は残りの1個をよく振ってからグイッと一気飲みした。


「うおー、良いの飲んだっすねぇ」

「その声は美姫くんじゃないか」


 空き缶をペンキ缶椅子の脇に置いて、作業を再開しようとしたところで美姫が間延びした口調でハウスに入ってきた。


「まあ、美姫ちゃんも買ってるんすけどねっ」

「はは、気が合うな」

「ユッさん、今日は農業の気分なんすね。あっ、みやびーとみなみんオッスオッス」

「ご機嫌だねえ」

「美姫おつー」

「おっつおっつー」


 ココアを飲みながらしゃがみ込んで由実を見ると、そのまま首だけ動かして美姫は力士の様に手刀を切ってベンチの2人に挨拶した。


「美姫くん。もし時間があるなら、皆で二十日大根を収穫して食べんかね」

「ラディッシュのことかーッ!」

「その通りだが、ちょっと違うと思うぞ」

「そっすねぇ。なんか違うと言いながら思ってたっす」


 何故か不知火型でせり上がりながら、美姫はどこか気の抜けたご機嫌なやりとりをする。


「なにか良い事あった?」

「ぬふふ。聞いてくれみなみん。年明けテストが全部満点で褒められたのじゃ」

「えっ、すっごいじゃん」

「すごい。というわけでみなみんも褒め称えまくってくれーい」

「めっちゃ天才ー」

「ふはは。まだまだ拙者はひよっこよ」


 てこてこ、と移動してきた美姫のために、雅と美名美が寄って出来たスペースに座りつつ、彼女は鼻高々といった様子でドヤ顔と腕組みを繰り出した。


「真梓先輩は?」

「マーちゃんはお花畑です」

「お昼から具合悪そうだったからねえ」

「やはり、賞味期限切れのものは食うべきではないな」

「食あたりですか……」

「なんで同じ物を食べてマーちゃん以外の2人は平気なんだろ」

「えっ、何食べたの?」

「ユッさんのお家収納から発掘された1年前の未開封ポテチをおやつで」

「ええ……」

「乾燥してたから行けると思ったのだが」

「センセイ氏は鋼の胃袋だし、ボクはヤバイ食べ物には慣れてるからじゃないかな?」

「ありうる」


 平然としている消化器官まで変人のコンビに、流石の美名美もドン引きする中、


「復活したわよ」


 顔色が若干まだ悪い真梓がハウスの中に入ってきた。


「災難だったな諸星真梓もろぼしまあずくん」

「おつかれー」

「他人事ねえ。アンタらが食べようって言ったんでしょうが」

「乗ったのは君ではないかね。責任転嫁はやめてくれたまえ」

「そーそー」

「まあそこはぐうの音も出ないわ」

「とはいえ一端ではあるし、責任取って整腸剤はあげるよ」

「……市販品よね?」

「君にまでそう言われると、ボクぁ悲しいなあ……」

「普段の行いが悪いっす」

「ん? まで?」


 先程、雅が喰らったのと同じやりとりがまた発生し、由実と美名美はデジャブ染みたそれにちょっと噴き出しかけた。


――――――――

参考文献

マイナビ農業『肥料の種類と相性の良い野菜』(2022/02/04閲覧)

https://agri.mynavi.jp/2019_08_28_84995/

JAあいち三河『家庭菜園 野菜づくりの基本 土つくりと肥料やりの目安』(2022/02/04閲覧)

https://www.ja-aichimikawa.or.jp/garden/tuchi_dukuri.php

市川啓一郎『タネ屋がこっそり教える野菜づくりの極意』(農山漁村文化協会)

20頁~23頁

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