第25話

                    *



「ゆで蕎麦あったかね?」

「無いねえ。乾麺は?」

「無かったぞ」

「冷凍も無いわ」


 後は出汁と蕎麦を買うだけ、となった段で、肝心の蕎麦が全部売り切れてしまっていた。


「えっ、じゃあどうするんだい?」

「粉ならあったのだが。ほれ」

「あんた達打てる?」

「いや」

生憎あいにく

「肝心な所で……」

「無茶を言うのはやめたまえ。私は職人ではないのだぞ」

「ああそう」

「こんな事もあろうかと、全自動蕎麦打ち機を開発してあるんだけれどね。どうだい?」


 眉間にしわが寄っている由実と真梓へそう言い、自信満々に胸を張ってポンと胸元を叩いた雅だったが、


「美姫は出来ないのよねえ」

「美名美くんに訊いてみよう。彼女は何かと器用だ」


 2人は聞こえていないかの様に無視して会話を続行した。


「ちょっとー。ボクの話聞いてたかい?」

「あんたが作ったのは爆発するじゃないの」

「危なくて使えんのだよハカセ殿。そんな破壊的な除夜の鐘は要らん」

「失敬なー。ちょっと火災報知器が反応したぐらいだから」

「いや、爆発してるじゃないの!」

「発火はしてないからー」

「先日のアレは貴殿の仕業か。せっかく人が昼寝していたのに台無しになったのだぞ」

「それはごめんよ」


 不満げに口を尖らせて反論していた雅だが、由実の渋面全開な抗議へ素直に頭を下げた。


「まあともかく美名美くんへ訊いてみるとしよう」


 ひとまずそこは置いておき、由実はゴツゴツしたアウトドア用の携帯を取り出し美名美へ電話をかける。


『あ、打てますよ。道具があればですけど』

「ほう。そうか」

「どうだって?」

「打てるそうだ」

「やったわね」

「ああ」


 由実と真梓は美名美の答えを聞いて同時に微笑み、握り拳同士をコツンとぶつけた。


「美名美くん。一応道具は揃えてあるから準備して待っていてくれたまえ」

『はい』

「でも、なんであるのよ」

「センセイ氏、ちょっと前にやろうとして三日坊主になってたんだよ」

「余計な事を言うのはやめたまえ」

「いたいいたい足踏まないでくれよー。――ところで、美名美嬢に悪いし、ボクの蕎麦打ち機を使わないか訊いておくれよ」

「諦めたまえよ。――美名美くん、ハカセ殿が蕎麦打ち機を開発しているそうだが」

『危ないので私がやります。流石に爆発はマズいですし』

「爆発するのはマズいから却下だそうだ」

「ええー……。そこまでいうなら部室でやるよ……」

「粉は自費で買いたまえよハカセ殿」


 誰からも同じ理由で拒否され、見るからにショボンとした顔で、雅はもう1袋そば粉の袋を小脇に抱えた。


「では出汁だな。まあ市販のめんつゆでよかろう」

「とらないの?」

「出汁の抽出装置作ってあ――」

「なぁに、大晦日ぐらいは私も最大限楽をしたいのだよ。諸星もろほし真梓まあずくん」

「なんでフルネームなのよ」

「おーい、無視しないでおくれー……」


 分かってないねえ、というドヤ顔をして顔の前に立てた一本指を左右に振った由実に、真梓は眉間にしわを寄せる。


「じゃあ私お金払ってくるから待ってなさい」

「ハカセ殿のそば粉代以外は折半であるな?」

「もちろん」


 カートに雅が自分のそば粉を入れると、真梓はそれを押してそれなりに人が並んでいるレジへ向かった。


「待望のイートインに行こうではないかハカセ」

「別にそこまで楽しみにしてるわけじゃ無いんだけどなあ」


 しばらくかかるとふんだ2人は、店の奥の片隅にあるイートインスペースにやって来た。


ゆうどう? なんかビビッときた?」

「来そうな気がするぞ亜希子あきこ


 そこには手前の方に楓葉高校制服を着た先客が2人いて、店内に店を出している和菓子店で買った、雪の結晶や干し柿、椿型などの練り切りを熱心に眺めていた。


「奥へ行こうか」

「だね」


 サービスで出しているお茶が入った紙カップを手に、由実と雅は1番奥の席に座った。


「ここのヤツは程よいぬるさで良いのだよ」

「だねえ。ところで、お父様はお元気かい?」

「まあ、つい一昨日自家栽培の大根を送ってきた所を見るに、元気ではあるだろうよ」

「それは良かった」

「なんだったのだね。藪から棒に」


 今まで一度もそんな事を訊くような事は無かった雅へ、由実はいぶかしげな視線を向けた。


「さっきの大晦日ぐらいは、って、あれお父様が言ってたよね?」

「言われてみればそうであるな……。記憶力が良いとはいえよく覚えているものだ」

「だろう?」

「大事なことであったのにな……。すっかり忘れていたよ。ありがとうと言っておこう」


 ズゾゾ、とお茶をすすった雅は、どういたしまして、と痛恨の極みといった顔のしかめ方をする由実へ返した。


 由実の父親はかなり娘の趣味には寛容な性格だったが、あるときから自身と真逆の性格に豹変ひょうへんした妻から追い出される形で、10年以上別居状態になっている。


「それはまあ置いておくとして」

「うん?」

「ボクちょっと出汁の辺りの話を聞きたいな」

「化学はハカセの方が詳しいだろうに。まあいいが、帰ってからにしてくれたまえ」

「おかのした」


 雅は由実の機嫌が良くなった事を確認して、口元に小さく安堵あんどの笑みを浮かべた。


「待たせたわね。焼き芋買っといたけどいる?」


 レジ袋を両手に携えて戻ってきた真梓は、もう1つ右手に持っている、焼き芋が5つ入った小さい袋を2人に見せつつ彼女らのいる席へやってきた。


「思いのほか早かったな。貰おう」

「結構並んでた様に見えたけれどねえ。ボクは半分だけ」

「レジの人がめちゃくちゃ早い人だったの。そう思って小さいの選んだわよ」


 雅はその小さい袋を受け取り、中に入っている紙袋を探って、小さい物を選びとってから由実に渡した。


「うむ。この粘りと甘みは流石は安納芋だな。ホクホク系の品種も良いが、このいかにもデザートと主張してくる食感はとても良いものだ」


 1番大きい物を手に取った由実は、半分に割ってから念入りに息を吹きかけて冷まし、一口囓るとうっとりした様子で長々語った。


「由実はもうちょっと褒めてる感じで言ったらどう?」

「個人の勝手だろう。真梓くん」

「うまいうまい」


 由実と雅が食べ終わるのを待って、3人は日が傾いて一段と冷え始めた帰路を急ぐ。

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